人面犬とハーメルンの噂 /第3話 青髭のピエロ (伏見警部補の都市伝説シリーズ)/連載小説
第3話 青髭のピエロ
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「ばかやろう。子供がそんなこと言うもんじゃねぇぞ」
人面犬は言った。
「それはイジメる奴らがおかしいんで、お嬢ちゃんが自分を責めるようなことはねぇんだ」
自分がいないほうが母親にとってはいいのかもしれない……そんなふうに考えてしまった翌日、日向子は遼が居残りさせられているのを見て、足早に学校を出て、人面犬の森にやってきたのだった。
「いいか、お嬢ちゃん」
「日向子だよ」
「……いいか日向子、自分の大事なもんを侮辱されたり傷つけられたりしたら、黙ってることはねぇ。やめろって叫べ。そんなことする奴らを許すことはねぇんだ」
人面犬は言った。
草が敷かれた地面に座る日向子の膝には、シャルが丸まって甘えている。
「うん、叫びそうになったよ。でも言えなくて……」
「にゃあ~」
シャルは日向子を庇うように鳴いて、手をチロっと舐めた。
「簡単じゃねぇのは分かる。だからその、遼って子ともうまくやったほうがいい。味方なんだからよ」
「でも、遼くん怖いんだもん……」
「噂ってのは、良くも悪くも尾ヒレが付くもんだ。けどな、日向子になんかしたわけじゃねぇんだろ?」
「うん」
「ならいいじゃねぇか。それでもまだ気になるなら、自分の目で確かめてみろ」
「自分の目で?」
「日向子が自分で、その坊主の行動を見るんだ。噂が本当かってな。本当に問題があるなら、それこそ担任の先生に言えばいい。養子とはいえ、先生の息子なんだからな」
「分かった、そうしてみる。
ねぇ、おじちゃん」
「あん?」
「また来たら、お話聞いてくれる?」
「暇だったらな」
「やった! そうしたらシャルちゃんにも会えるね」
「にゃあ~」
「ねえ、おじちゃんはいつもここで何してるの?」
「何って、なんだ?」
「私が学校行ったりしてるとき、何してるのかなって」
「いろいろだよ。大人は忙しいんだ」
「ふ~ん……」
「にゃ、にゃああ」
「大人じゃなくて妖怪だろって? いいんだよそんな細けぇことは」
「おじちゃんは動物の言葉が分かるんだね、いいなぁ」
「分かったら分かったで、いろいろあるんだぞ……」
「でも楽しいと思う」
「さぁ、そろそろ暗くなるぞ。帰って勉強しろ」
「勉強は余計……」
「いいから帰れ。母親が心配するぞ」
「は~い……シャルちゃん、いこ」
翌日も、日向子は放課後に人面犬のところに来て、いろいろ話をした。忙しい母親に心配や気遣いをさせまいとして話せないことも、人面犬になら話せた。人面犬も、面倒くさそうな態度をすることもあったが、話は親身に聞いてくれて、時々アドバイスをくれた。
「日向子」
その翌日。今日も人面犬のところに行こうと、下駄箱を確認して外に出ると、遼に声を掛けられた。
「なぁに、遼くん」
「おまえ、ここ二日放課後すぐにいなくなってるけど、大丈夫なのか? 一昨日は泣いてたろ?」
「うん、大丈夫。ごめんね……」
「謝らなくていいよ。でも一人になられると守れねぇだろ」
「うん……」
「一人でどこかに行ってるのか?」
「……ねえ、遼くんはなんで、私を守ろうとしてくれるの? 先生に言われたから……?」
「なんだよ、聞いたのは俺なのに。まあいいか。守るのは、俺の意志だよ」
「イシって何?」
「俺が自分で、そうしたいから守るってことだ。誰かに言われたからとか、そんなんじゃねぇ」
「そっか……ありがとう」
「好きでやってんだから、いいんだよ、気にしなくて。それよりさっきの質問……」
「また明日ね」
「あ、おい、日向子……!」
それから三日ほど、日向子は人面犬に言われたとおり、遼のことを見ていた。一学年上だから、教室も一つ上の階。あまり頻繁に見ることはできなかったが、クラスメートとのやり取り、担任と話しているところ、喧嘩しているところと、いろいろ見たが、遼は確かに喧嘩っ早いものの、自分から仕掛けることはなく、向かってきた相手を倒している、という印象だった。
日向子のほうは、そんな遼が抑止力になっているのか、イジメは少し収まったように感じていた。しかし同時に、上級生に守られているという状況を、生意気だと考えるクラスメートもいて、問題が解決したとは言えなかったが、担任の前谷静佳は満足げで、最近機嫌がいい。
「ねえ、おじちゃん。今度、友達を連れてきてもいい?」
三日ぶりに会った人面犬に、日向子は言った。
「友達だぁ? 勘弁してくれ、これ以上ガキの相手はしたくねぇ」
「遼くんだよ、連れてきたいのは」
「遼? 日向子のボディーガードってガキか」
「ボディーガードってなぁに?」
「日向子を守る男ってことだよ」
「そっか……うん、おじちゃんの言うとおり、守ってくれる。自分でも見たの。でもクラスの子が言ってるような乱暴な人じゃなかったの」
「良かったじゃねぇか。別に連れて来る理由がなさそうだぞ。だいたい、連れてきてどうしようってんだ?」
「どうするってわけじゃないんだけど……遼くん、私がおじちゃんのところに来てるの知らないから、心配してくれてるの。一人でいなくなるから」
「はぁ……ったく、やれやれ……分かったよ。でもな、連れてくるのは遼だけだぞ? ほかはダメだ」
「うん! やった!!
ありがとう、おじちゃん。大好き!」
「まったく……」
翌日。
「ねぇ、遼くん」
朝、登校していた遼に、声を掛けた。
「おはよう、日向子。どうした?」
「あ、おはよう……あのね、私が放課後、どこに行ってるか知りたい?」
「なんだよ急に……別に興味ねぇけど、目の届かないところに行かれると守れねぇし……教えろ」
「誰にも言わない?」
「言わないよ、黙ってる」
「約束。絶対だよ?」
「ああ」
「じゃあ、今日の放課後ね」
-2-
昼休み。
ほとんどの生徒が外に出て遊んでいる中、日向子は一人、本を読んでいた。と、最近大人しかったメンバー三人が近づいてきて、日向子の机を囲むようにして立った。
「な、なに……?」
「最近さ、調子乗ってるよね?」
水戸という女生徒が言った。
「そんなことないよ……」
「嘘つかないでよね。前谷先生に、私達にイジメられてるって、チクったんでしょ? おかげで、一学年上の遼とかいう奴が鬱陶しいのよね。私達は今井さんと遊んでるだけなのにさ。木村くん、昨日遼に殴られて怪我したんだよ? あんたに悪口言ったとか言いがかりつけられて」
「言いがかりじゃないよ、木村くんは……」
「言いがかりじゃねぇか!」
木村は言った。
「俺は本当のことを言っただけだぜ? おまえんちが貧乏で片親だって。なんで本当のことを言ったからって殴られなきゃなんねぇんだよ!!」
「それは……」
「うちのパパと木村くんのパパに話して、前谷先生に言ってもらうことに決めたから。前谷先生の子供が木村くんを殴ったんだから、当然だよね?」
水戸は言った。
「先生は、私のことを考えてくれただけで……」
「なんで今井さんだけ? それって依怙贔屓じゃない?」
「依怙贔屓だ、依怙贔屓」
木村が煽る。
「だってそれは……」
「黙れよ貧乏人。先生や遼に守ってもらわねぇとなんもできねぇくせに」
「……!」
「なんだよその目は? とにかく、依怙贔屓と遼に殴られたことは、うちの父さんと水戸の父さんから言ってもらうからな、教育委員会にも。ひょっとしたら、前谷先生は担任じゃなくなるかもしれないぞ。そうなったら楽しみだな、今井」
「それだけ伝えたかったの。またね、今井さん」
水戸と木村、言葉を発しなかったもう一人のいじめっ子、山下の三人は、ニヤニヤとしながら教室を出ていった。
「……」
日向子は、俯いて歯を食いしばった。足が震えている。言い返せないことが悔しいのか、母親や遼に迷惑がかかることが苦しいのか、涙を堪えるのが精一杯だった。
放課後になって、下駄箱を出たところで遼を待っている間も、まだ気持ちは下を向いていた。昼明けの授業も、ほとんど覚えていない。時々押し寄せる想いの波をせき止めるのがやっとで、木村や水戸の笑い声が聞こえるたびに、歯を食いしばって俯いたせいか、顎のあたりが少し痛んだ。
「わりぃ、待たせた。掃除当番が長引いて……ん? どうした、日向子」
靴をトントンとしながら出てきた遼は、日向子を見るなり言った。
「昼休みにね……」
歩きながら話すと、遼は眉間にシワを寄せた。
「くだらねぇ。そんなもん放っておけよ。俺は何言われたって大丈夫だ。木村って奴がおまえに何を言ったか、誰の前でだって俺は言える。なんも心配しなくていい。
……母さんにも言っとく」
「ごめんね……」
「俺が自分の意志でやってるって言ったろ?」
「そうだけど……
どうしたの? 遼くん」
遼は、立ち止まって顔を左斜め前に向けている。視線を辿ると、学校近くの公園に、ランドセルを背負った子供たちが集まっている。中心には、ピエロの格好をした男が立っていて、紙芝居を見せているらしい。
「あのピエロの人、誰かな。近所の人……?」
日向子が呟くと、遼は首を横に振った。
「青髭ピエロっていうんだ、アイツ」
「青髭……? あ、聞いたことある。時々公園に来て紙芝居とかするピエロがいるって……私、初めて見たよ」
「俺も2、3回しか見たことない。でもアイツの本当の名前は、佐伯って言うんだ」
「佐伯?」
「前に、大人たちが話してるのを聞いただけだけど、たぶん合ってると思う」
遼は言った。
「誰……?」
「分かんね。でもなんか不気味な奴なんだ。一回だけ紙芝居を見たことあるけど、ほとんど子供騙しだった。面白くねぇ。でも最後に話したのは、ちょっと嫌だったな、なんか……」
「どんな話なの?」
「昔、小さな町に、ある男がやってきた。
男は、集会とかやる広場で、大道芸や紙芝居なんかをやって、子供だけじゃなく、大人も楽しませた。子供たちは、男の話や大道芸も楽しんでいたけど、何より楽しみだったのは、最後まで見た子供に渡される、甘いお菓子だった。
ある日、男は、今日はいつもより甘いお菓子をあげるよと言って、町中の子供たちを集めて、ある話を聞かせた。でもそれがどんな話だったのかは、誰も分からない」
「え? だってお話を聞いたのに……」
「話が終わると、男は約束通り、子供たち一人ひとりに、甘いお菓子を手渡した。
夜になると、今度は大人たちを集めて酒を振る舞って、大人向けの話をした。宴は盛り上がって、深夜まで続いて、いつの間にか、全員そこで寝てしまっていた。
次の日。
家に帰った大人たちは、子供たちがいなことに気づいた。
どこを探しても、一人もいない。
町から、子供がいなくなってしまったんだ。あの男も……」
話し終えると、遼は佐伯を見た。
「今の話って、おとぎ話のハーメルンの笛吹き……」
「うん、似てるよな。だからどうってことないはずなんだ……でもなんか、その話をしてるときだけ、青髭の感じが違ったんだ。細かいことは分かんねぇけど、なんか気味悪くて、ゾクってして……」
「……」
日向子は、遼が少し怯えるような顔をしているのを見て、体中が一瞬寒くなった。
「……!
遼くん、もう行こう」
日向子は俯いたまま歩き出した。
「え? ああ……」
全身に氷を当てられているように、体が寒くなっていく。遼が怯える話をするピエロ……そう思って顔を向けたとき、青髭と目が合ってしまった。なんの感情もない目は、恐怖を呼び起こすには十分だった。
「にゃ~ん」
土手を越えて、森の近くまで来ると、シャルが足元に来た。
「シャルちゃん……!」
シャルは、日向子の恐怖を感じ取ったのか、温めるように、足に体を擦り付けている。
「その猫に会いに来てたのか?」
遼が言った。
「それもそうなんだけど……」
「……?」
日向子はシャルを抱っこすると、森の中へ入っていった。遼は、キョロキョロと周囲を見ながら、後に付いてくる。
「おじちゃん、遼くん連れてきたよ」
人面犬の寝床まで着くと、シャルを下ろした。
「にゃあ」
「おお、ちょっとまて」
「おじちゃんって、なんだよ日向子、変なおっさんに会いに来てたのか? あぶねぇだろ、そういうの……」
「変なおっさんとはご挨拶だな、初対面なのに」
人面犬が顔を出すと、遼は目を見開いて固まった。
「犬の顔が、人間……なんだよコイツ、なんで……」
「まあそういう反応になるわな。気にすんな、そんなもんだからよ」
「日向子、なんだよコイツ……化け物……」
「化け物じゃないよ、遼くん。おじちゃんはね、妖怪なの。人面犬って妖怪」
「人面犬……? 妖怪っておまえ、なんでそんな普通に……」
「取って食いやしねぇよ、落ち着け、坊主」
「お、俺は坊主じゃない! 遼だ……!」
「分かった分かった、そんなでかい声出すな。シャルがびっくりしちまう」
「え? ああ、ごめん……」
「なんだ、素直なところもあるんだな」
人面犬は笑った。
「うるさいな……」
「学校じゃあ、日向子を守ってるらしいな、遼」
「ああ……」
「んん? なんだ、照れてんのか?」
「そんなんじゃねぇよ!」
「怒るなって。もてなしはできねぇが、まあゆっくりしていけ。今、ちょうど暇だからよ」
「にゃ~ん」
「シャルちゃん、なんて言ったの?」
「今の時間はいつも暇だろうってよ。失礼な奴だぜ」
「ふふ」
日向子が普通に話す姿を見て安心したのか、最初は体に力が入っていた遼も、そのうち会話に混ざるようになった。
「なあ、おっちゃん」
「あん?」
「おっちゃん、どうやって妖怪になったんだ? なんかすごい力とかあるの?」
「なろうと思ってなったんじゃねぇよ。俺にも、本当のところは分からねぇ。まあ思い当たるフシがないわけじゃねぇが、大人の話だから、また今度な」
「なんだよそれ、教えてくれたっていいのに……」
「すごい力ってのも、別にねぇな。都市伝説だと、6メートルジャンプできるとか言われるが、無理だ。そんなことしたら腰を痛めちまう。まあ、走るのはそこそこ速いぞ。でも長時間は無理だな……」
「なんだよ、大したことないんだな、おっちゃん」
「にゃ~ん」
「そのとおりだじゃねぇ! ったく、口のわりぃ猫だな」
人面犬はため息をついた。
「でもな、遼。妖怪だからって、誰もがすごい力を持ってるわけじゃねぇ。人間だってそうだろ? すげぇ奴もいれば、普通の奴もいる。妖怪もいろいろだ」
「おっちゃん以外にも、妖怪っているの?」
「そりゃあな。紹介はできねぇぞ」
「なんだよ、ケチ……」
「他の妖怪に会って、どうするつもりなんだ?」
「会えないんだろ? いいよ」
他愛もない話をしているうちに日は暮れて、日向子と遼は、また来ると言って、急ぎ帰っていった。
「妖怪になってから、こんなに子供と話すことになるとは思わなかったな……」
人面犬はポツリと言うと、月明かりも届かない寝床の奥に入っていった。人間だったときの記憶は、妖怪になってからも覚えている。忘れられたらと思うが、人間同様、それは時間が薄めてくれるのを待つしかない。忘れたいのか、忘れたくないのか……
「さて、仕事前にもう一眠りするか」
少し大きめに声に出して、人面犬は目を閉じた。
-3-
夜の港は、場所によって顔を変える。夜釣りを楽しむ釣り人もいれば、遅くまで倉庫で仕事をしている人など、ほとんどは日常に属するが、一部には、はぐれモノもある。
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