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人面犬とハーメルンの噂 /第4話 闇酒屋(伏見警部補の都市伝説シリーズ)/連載小説
第4話 闇酒屋
-1-
「来たよ、旭子さん」
伏見は、骨董品屋、又兵衛のドアを開けて、怪しげなものが並んでいる通路を抜けて、ガラスケースの向こう側に座っている女性に声をかけた。
「早かったね、伏見ちゃん」
「その呼び方は変える気ないんだな(笑)」
「いいじゃないか、口に馴染んじまってるんだし」
「ああ、いいよ。それで、情報があるって?」
伏見は、来る途中に買ってきた鯛焼きとペットボトルのお茶を、ガラスケースの上に置いた。
「おや、気が利くね」
旭子は目を細めてニヤリとした。
「情報はタダじゃないからね」
「そのとおり。と、金を渡せばいいってもんじゃない」
旭子は、まだ温かい鯛焼きを頬張った。
「うまいね。後で、どこで買ったか教えとくれ」
「ああ」
「で、情報だけどね」
旭子はお茶を一口飲んでから続けた。
「前に話した、首をねじ切られた事件があったって話、覚えてるかい?」
「何十年も前の事件ってやつだね」
「そう。朝鮮戦争勃発を機に、日本が戦後復興への道を歩き始めて、しばらく経った頃だね。警察の捜査資料になら、正確な日付が出てるかもしれないけど、あたしにはそこまではわからん。ただね、殺されたのが八木沢健一(やぎさわ けんいち)って男なのは分かったよ」
「八木沢健一……何か、そんな殺され方をするような人間だったのか?」
「そこまでは分からんよ。でもね、無造作に首をねじ切られて死んでいたってのは間違いない。どうだい? 古い事件だけど、殺し方には共通点があると思わないかい?」
「確かに……」
「そんなやり方ができるモンが、たくさんいるとは思えないしね。常識の外側で考えるなら……ってね」
「調べてみるよ。ありがとう、旭子さん。報酬はそれで足りたかな?」
「いんや、足りんね」
「何が欲しい?」
「コイツが買える場所の情報だよ」
「なるほど(笑)」
伏見は鯛焼き屋の場所を教えると、又兵衛を出た。
(まだ少し時間があるな。どこかで飯でも食うか)
伏見は腕時計を確認してから、食事処を探して歩き出した。
アルカタの店主から連絡があったのは昨日の夜で、今日の夜、23時過ぎに闇酒屋へ、とのことだった。
谷山たちは警察署に戻っているはずで、自分も一度戻って話を、とも考えたが、戻って他の誰かに捉まると面倒だと判断した。
「ごちそうさま~」
定食屋で鰆焼き定食を食べ終えると、伏見は夜の街に足を向けた。交番勤務の頃は、定期的にパトロールもあったが、刑事になってからは事件に対して動くようになり、警察の目で街を見て回るということはなくなった。もっとも、休日でも刑事という職業からくる視点はあるわけで、そういう意味ではパトロールしているのとあまり変わらないのかもしれないが、服装がプライベートというだけで、不思議と自分は刑事という認識はほとんどなかった。
(街は平和そうだな。裏ではいろいろあるだろうけど、男女問わず楽しそうで何よりだ)
しばらく歩いていると、腕時計が23時のアラームを鳴らした。
(よし、行くか)
なんとなく、尾行されていないか警戒しながら、闇酒屋に向かった。
-2-
「ここか」
目の前に、一軒家のような家が建っている。二階建てで、隣の建物との間に細い通路がある。正面には縦長の扉があり、内側に「close」と書かれたプレートが掛かっている。焦げ茶色の外観は、古さの中に貫禄があり、作りとしては、築年数は長そうだが、よく見ると手入れが行き届いていて、壁もまだ新しい。
伏見はドアをノックした。
「今日は閉店になります」
中から、男の声が聞こえた。
「山城警察署捜査一課の伏見です」
アルカタの店主からは、それだけ言えば伝わると聞いていた。
少し待っていると、ドアが開いて、長身の男が顔を出した。身長178センチの伏見より、さらに少し大きい。居酒屋の店主らしい、黒いTシャツを着ており、背中と右の袖に、「闇酒屋」と文字が書かれている。パンツも黒で、靴も黒、腰から下には黒いエプロンといった見た目だが、服の上からでも分かる筋肉質な体で、かといって、無駄に発達しているわけではなく、戦闘向きの体であることは、ひと目で分かった。
一方で、少し細めの顔の肌艶はよく、長い黒髪をオールバックにして後ろで結んでおり、鋭く見える目には、奥に優しさが宿っていて、不思議と安心感がある。ただ、まったく隙がないのも気になった。もし仮に、いきなり殴りかかったとしても返り討ちにされる……そんな気がした。
「お待ちしてました」
男はそう言って、微笑んだ。
目の外側にシワを作って笑うその顔は、裏社会に精通した情報屋とは思えないほど優しい。
「どうも……」
伏見はなんとなく言った。
「入ってください。
食事は済まされましたか?」
男は聞いた。
「ええ、ちょっと前に」
「そうですか。
じゃあ……一杯いかがです? 店からです」
「ありがとうございます。でも今回はけっこうです」
「分かりました。では、本題を進めましょうか」
男は微笑んだまま言って、店内のカウンター席に案内した。
店の中は、二人掛けのテーブル席が一つ、四人がけが三つ、カウンター八席という構成で、和食屋らしい世界観を漂わせている。カウンターの内側には、ビールサーバーやグラスが並び、日本酒、焼酎、ウィスキーなど、多数の酒が並んでいて、うまい飯を食べながら飲むには最高と思わせる雰囲気がある。
「私は闇酒屋の店主で、波多野仁(はたの じん)です。店を構えて七年になります」
仁は、カウンターの内側に回って、水を出しながら言った。
「七年、入れ替わりの激しい飲食店でその年数は、すごいですね。このあたりは競争も激しそうなのに」
「幸い、うちを気に入って来てくださるお客様も多くて」
仁は言った。
「波多野さん、俺はあなたに、ある人物について調べてほしくて来ました」
「ええ、存じてますよ」
「お願いできますか?」
「ええ、伏見さんからのお願いということなら」
「ありがとうございます。でもその前に、一つ伺っても?」
「どうぞ」
「アルカタの店主もそうでしたが、俺が名前を名乗ったら、態度が軟化しました。波多野さんは最初から柔らかい雰囲気だけど、なぜ俺に対してそんな態度……という言い方は違うか。なぜ名前を出したらあっさり会うという話になったのか、気になりまして」
「なるほど、もっともな疑問ですね」
仁は頷いた。
「もちろん、理由はあります。でもそれは、アルカタの店主自身にではなく、私と、実際に情報を集める者が、伏見さんのことを間接的に知っていて、信頼できると判断しているためです」
「……? 誰か、俺のことを知ってる人間から聞いたと?」
「ええ。まあその辺りも含めて、話しましょう」
仁はそう言って、ビールの瓶を出して、コップを二つ、カウンターに置いた。
「え? 波多野さん、酒は……」
「もう一つのコップは、念の為です。ビールは、もう一人のお客向けですよ」
仁は言った。
「もう一人の……?」
「よう、あんたが伏見か。思ってたより若けぇな」
「……?」
どこからか声がしたが、目の前には誰もいない。周囲を見回しても、仁以外の人間はいない。
「なぁにキョロキョロしてんだ。ここだよ」
「……!」
伏見の隣の席に、犬が飛び乗ってきた。が、その顔は中年の男で、伏見に視線を向けている。
「人面犬……?」
「ああ、そうだ。何をそんな驚いてんだ。口裂け女と話したんだろ? テケテケも見ただろうに」
「テケテケは見てない……口裂け女とは確かに、話したが……」
「なんだ、テケテケは見てねぇのか。まあそうか、消えちまったしな」
人面犬は、仁が注いでくれたビールを、器用に両手で持って口に運んだ。
「うめぇ……やっぱビールだな。いや、日本酒も捨てがたいが……」
「人面犬が、本当にいるとはな……」
伏見は、少し警戒を向けながら言った。
「そんな構えんなよ。なんもしねぇし、俺にはみづきみたいな能力はねぇ」
「橘みづき……口裂け女と知り合いなのか?」
「ああ。みづきはおまえらとのあれこれがあってから、自分を受け入れてくれる妖怪のコミュニティを探しててな。仁さんのことを聞いて、その繋がりで俺とも知り合った。今は仲間だ」
「波多野さんは情報屋だろ? 妖怪となんの関係が……」
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