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陰謀論ウィルス 第3話 凶報(連載小説)

※第1話リンク

-1-

「……?」

ふと目を開けて、自分がなぜこんな場所で寝ているのかと思った寧々は、ほんの数十分前のことを思い出して、再び視界が滲んだ。それでもなんとか体を起こして、バッグをリビングの棚に置いて、シャワーに向かった。メイクを落として、体が温まると、少しだけ気分が落ち着いて、食欲も出てきた。

キッチンに立って、料理をする。
振り返って、リビングのほうを見れば、すべてが夢で、カラフルだった日常が広がっているような気がした。夕飯を催促する紗の声、ママを急かしちゃダメだよと笑う卓弥の声……振り返ることができない代わりに、溢れた思いが頬を伝った。

夕食をダイニングテーブルに置いて、両手を合わせると、スマホが鳴った。リビングのソファまで歩き、手に取る。

「もしもし」

『寧々、今大丈夫?』

「うん、どうしたの?」

電話の向こうの夏希は、どこか焦りを感じさせるもので、寧々は心臓が早くなるのを感じた。深呼吸して、ゆっくりと夕食の前に戻ると、夏希は、

『あの、ニュース見た? 本当は朝連絡しようと思ったんだけど、仕事が立て込んじゃって……』

と言った。

「ニュースって、病院の?」

『うん、そう。
内容、見た?』

「……うん」

『大丈夫? っていうのは変だね、ごめん……もしかしたら、すごく不安に思ってるかなって思って……』

「ありがとう、夏希。今のところ大丈夫……さっきまで、ちょっときつかったけど……」

『何かあったの?』

寧々が、家の前に来ていたマスコミのことを話すと、夏希は憤りを隠さなかった。

『ほん……っと最低だね、マスコミって……人の傷に塩を塗るようなことして。
今は平気? 一人で辛かったら、そっち行こうか?』

「大丈夫。ありがと。夏希がいてくれるから、なんとかなってる」

「良かった。無理しちゃダメだよ? 寧々は一人で我慢しちゃうところあるから」

「気をつける。それより、仕事が立て込んでたって、何か問題?」

「ううん、問題ってほどじゃないよ。うちの課の新人さんと、営業の新人さん、なぜか新人さん同士でペアにするってことになって。先入観がない者同士、面白いやり方とかアイデアとか、思いつくのはいいんだけど、ちょっとお客さんを怒らせちゃって、フォローが必要になったの」

「誰もフォローつけてなかったの?」

「うちの課長と営業の課長が、一緒に飲んだときに盛り上がって決めたことで、そこまで考えてなかったみたい。私や営業のリーダーがうまくやるって思い込んでたみたいで。でも私も、他のメンバーのフォローもあるから……まあ私が見きれてなかったっていうのもあるんだけど……」

「夏希が責任感じすぎることないよ。十分やってるんだから、背負い過ぎちゃダメ」

「なんかそれ、寧々とペア組んでるときも言われた気がする(笑)」

「そうだっけ(笑)」

そんなふうにして、一時間ほど話しているうちに、夕食は冷めたが、心は温まって軽くなった。寧々は夏希に礼を言って通話を終えると、冷えた食事をレンジで温めて、ゆっくりと食べ、一日を終えた。

-2-

犯人がすぐに逮捕されたことで、収束に向かうかに思われた玉丘病院襲撃事件は、いくつかの方向に向かって波紋を広げていた。

(政府はワクチンで人体実験をしている……典型的な陰謀論だな。主張が大げさで、根拠は誰々さんの動画、その誰々さんの主張にも、証拠がない)

国崎は、職場のフリースペースで、他紙の記事をチェックしていた。ほとんどの記者が取材に出ている今、オフィスだけでなく、フリースペースにもポツポツとしか人はいない。

円形で、外壁部分がガラス張りになっているこの部屋は、夏場は日除けを下ろしていないと耐えきれない日差しが入ってくるが、冬場の今は、むしろ日差しが心地よく、喧騒が当たり前の新聞社にあって、癒しのスペースともいえる。

コーヒーやお茶などは飲み放題、食事も可能で、今はなくなったが、数年前まで喫煙ルームも併設していた。一人用と複数人用のテーブルと椅子が配置されていて、デスクではなく、フリースペースでの仕事を固定にしている社員も、何人かいる。

(向田は改めて関わりを否定。まあ影響を与えたのは間違いないだろうし、関わりが完全にないっていえば嘘になるだろうけど、指示したわけじゃないって意味で否定か。人が死んでるから、さすがに犯人のやったことを肯定するようなことは言ってないか)

反ワクチン派の代表格、向田以外にも、現在陰謀論界のインフルエンサーと呼ばれている人物が二人いる。
一人は、谷地田薫(やちた かおる)。ダークステートという、世界を裏で操っている組織があって、数年前に世界規模で起こった病気のパンデミック、それに対するワクチン接種は、ダークステートが世界中の人を監視、コントロールするためのチップを注入するためのものだという話や、異星人と繋がっていて、地球の植民地化を共同で進めているなど、ユダヤ人が世界を牛耳っているという、古くからある陰謀論のテンプレを使って、ダークステートを中心とした話を主張している。

もう一人は、戸神巨輝(とがみ なおき)。
戸神は、永久機関とも呼ばれるフリーエネルギーの信奉者で、無からエネルギーを作り出すその技術は、実はもう完成していて、ダークステートがそれを独占している。そして一部の国のトップは、独占をやめさせるために戦っていると主張しているが、軸になっているのは、フリーエネルギーが世界で使えるようになれば、全人類を解放して、人類の次元を一つ引き上げるという、スピリチュアルと陰謀論が混ざりあったものだ。

二人は、今回の事件については、それほど積極的に発信してはいないが、ワクチンがダークステートと関係しているということについては話していて、襲撃は許されることではないが、政府は隠していることを公開すべきだと主張している。

谷地田と戸神の支持者以外でも、ネットでは一部、襲撃犯を英雄のように扱っている人間もいて、世論は割れつつあった。あくまでも、ネットで見える範囲ではあるが、ワクチンで人が死んだという証拠はないし、それで病院を襲撃して殺人までするのは狂っているという意見と、死の危険があるものを推奨した医者と政府が悪いという意見に分かれ、それぞれが主張をぶつけあっており、さらなる事件が起こるのではないかという予感もする。

(向田は本当に指示を出してないんだろうか。おそらく、事件を起こしたような団体は他にもいくつかあるだろうし、指示は出していないといっても、繋がりそのものは否定していない。まあ繋がりまで否定して、見捨てられたと思った団体側が繋がりを示す証拠でも出してきたら厄介だろうし、だからそこについてはあまり触れないようにしてる可能性もあるが……)

ふと思い立ち、時間を忘れて調べてみたものの、ネットでいくら検索しても、当然というべきか、国崎が知りたい情報は出てこなかった。

(大人しく会社の指示通りに動いても、たぶんもう、先はない。だったら……)

国崎は、フリーメールで新しいアカウントを作ると、向田のチャンネルを開いた。概要欄を開き、リンクをクリックする。
向田が運営するコミュニティサイト。月額5000円と、中々の額だが、会員数は数万人とされるその場所なら、実態の欠片はあるはず……経費で落とすこともできない上に、正しい情報を得るという意味では、金の使い所も間違っている。大手新聞社に勤める人間のすることではない。だからこそ……

-3-

その日も、夏希は客先に謝罪と営業のリーダーとの打ち合わせで、半日を費やした。だが、ようやく整理がつき、新人同士のペアは継続、一人ベテランをつけることに加えて、新人の発想を潰さないようにと、夏希は二日に一度、その日やったことを報告するように指示した。報告といっても、事細かに作文する必要はなく、何をしたのか分かるように教えてほしい、という程度のもので、最初の報告を見る限り、うまくいくような気がした。

(こんな時間にランチ行けるの久しぶりな気がする。あ、でも一週間ぶりぐらいだから、そんなでもないか)

ランチタイムのピークを越えた14時ちょっと前。
夏希はオフィスを出て、すぐに入れそうな店を探した。会社はオフィス街から少し離れたところにあるため、徒歩3分でいける場所はなく、オフィス街に行くか、駅前に行くかの二択になる。どちらに行っても、ピークタイムは並ばざるを得ないが、今ならどちらに行っても、待ち時間無しで入れる店はある。

徒歩10分ほどのオフィス街まで来ると、高層ビルの一階と二階に入っているレストランフロアを覗いて、カレー屋に入った。インド人がやっている店で、多様なカレーが魅力なのはもちろんだが、ナンが絶品で、定期的に食べたくなる店だった。

「一人なんですけど」

店員に話しかけると、テーブルの片付け時間だけで入ることができて、夏希は一週間ぶりに、ゆっくりとしたランチを堪能した。

(いつもこうだったらいいんだけど……
ん?)

スマホがテーブルを振動させて、見ると、珍しい文字が液晶に浮かんでいた。

(父さん……?)

「はい、もしもし」

『夏希、悪いな、仕事中に』

「ううん、大丈夫。どうしたの?」

『ちょっと、話がある。俺はどうしたらいいのか分からん……』

「え……?」

弱気な父の声に、夏希は胃の辺りにジワリと何かが広がるのを感じた。夏希の父は、パソコンやスマホなど、精密機器の部品を作っている工場の管理者で、上司は工場長しかいない。娘が結婚以外で家を出ていくことを歓迎しておらず、一人暮らしをするときは少し揉めたものの、最終的には受け入れて、家具をプレゼントしてくれた。考え方が古いところもあるが、人の話を聞いてうまく収めるのが得意な父が、どうしたらいいのか分からないと口にしたことは、電話の意味が良くないことであるのを示唆していた。

「何があったの?」

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