第5話 雪の花(小説/ラブストーリー/ヒューマンドラマ)
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「ねえ、マサは車買わないの?」
土曜日の昼前。
氷室は菜々美と二人で、先日ネットで確認したビーフシチューの専門店、ラーズに向かっていた。ネットでの評価も高かったが、メディアでも取り上げられ、飲食系雑誌として有名なグルメライフにも掲載されたことで、さらに知名度が上がったらしい。
「車……興味ないな」
氷室は少し考えてから返した。
「でも免許はもってるんでしょ?」
「ほとんど身分証だよ。何年も運転してないし。
どうしたんだ? 今まで車のことなんて気にしなかったのに」
「ドライブデートとかしたいなって思って……」
「たまにはいいかもしれないけど、レンタカーとかシェアリングサービスでいいんじゃないか?」
「……うん」
菜々美は納得がいかないようだったが、言葉を飲み込んだように少し俯き、氷室の左腕に回した腕に力を込めて、体を寄せた。
「菜々美、何かあったか?」
少なからず、最近の自分の態度が原因だろうことは分かっているのに、そんなふうに聞く自分に、氷室は一瞬、眉をひそめた。
「少し怖かっただけ。平気」
菜々美は言った。
「それより、マサは今日何食べるか決めた?」
「ラーズで?」
「うん」
「メニューを見て決めようと思ってたけど、ビーフシチュー専門店なんだから、やっぱりビーフシチューかな、初めて行くわけだし」
「いろいろ種類あるんだよ。私はもう決めてるんだ」
「早いな(笑)
お腹空かないか? そんなに早く決めちゃうと」
「うん、だから早く店に着きたい(笑)」
「もう少しだよ(笑)」
ラーズは、最寄り駅から歩いて10分ほどのところにある、飲食店が複数入っているビルの一階にある。写真で見る限りだが、店の奥側にあたる大きなガラス張り近くの席は、ビルの中庭らしい、小さな庭園のような景色を見ながら食事を楽しむことができる。白を基調とした店内は、高級感と清潔感が同居していて、一見すると、少し入るのが躊躇われる雰囲気だが、価格は大衆料理店より200円から300円高いぐらいで、店員にも、客を緊張させるような雰囲気はない。
最寄り駅を出て、大通りを越え、路地に入っていく。
「……? あれ……?」
声を漏らして足を緩めた氷室を、菜々美は不思議そうに見た。
「なに? どうしたの?」
「ここ、どこかで……」
最寄り駅は、初めて降りた駅だった。隣駅から歩いたこともなければ、近くに来たこともない。なのに、目の前に見えている景色は、間違いなく見覚えがあった。
「マサ……?」
菜々美の声がしたが、氷室は顔を動かして、記憶の中にある情報と目の前の景色を照らし合わせた。
「あのロディってBARの看板のところを右に曲がると、小さな薬局がある……その先の信号を渡ると……」
地図を表示していたスマホも見ずに、歩いていく。
「あった……」
信号の向こう側に、目的の店が見えた。
「マサ、大丈夫……?」
菜々美が腕に力を込める。
「え? ああ、大丈夫だよ。着いたよ、店」
「うん、そうだね」
歩きながら、菜々美の体温を感じながら、氷室は自分の記憶の中を走り回っていた。
来たことがある……駅から店までの道を、覚えている自分がいる。でもこの店に来たのは初めてで……
「そうか……」
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