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陰謀論ウィルス 第7話 狼煙(連載小説)

※第一話リンク

-1-

夏希と話した翌日。
少し寝不足ではあったが、寧々はいつもどおり仕事をこなし、帰りにホームセンターに寄って、ノートや付箋を買った。
帰宅すると、昨日注文しておいた、幅1メートル以上の回転式ホワイトボードを置いて、リビングの一画を、刑事ドラマで見るような仕様に変えて、テーブルも近づけて、パソコンとノートを置いた。

調べなければならないことは漠然としていたが、まずは行動とブログを立ち上げ、自らの経験も踏まえて、陰謀論が人生を奪うことを前面に押し出した記事を書いて、SNSでも発信した。

反ワクチン騒ぎがまだ収まっていないことと、一年前の事件の当事者だからか、初回記事にしては反響が大きく、二日で1万ビューを越えた。しかし予想通り、否定的な意見や誹謗中傷も多く、陰謀論者と思われる人間からの、ヒステリックで攻撃的なコメントも見られた。

(まだこれぐらいで済んでるだけいいのかも。もっと反響を大きくしないとダメだけど、そうなったら攻撃も強くなる……)

マウスを操作する手が震える。
後悔するかもしれない。
今ならまだ、傷は浅くて済む……

一瞬俯きかけた顔を上げて、寧々は首を横に、大きく振った。
浅い傷はやがて、やらなかったことへの後悔となって、消えない傷になる。

再び湧いてきた力で、二つ目、三つ目の記事を書き、一日、二日置きに五つの記事を出して、どれも反応は悪くないものの、寧々は早くも、行き詰まりを感じていた。
ネットで陰謀論を調べ、自身の経験、陰謀論を信じることの行き着く先を書いているものの、同じような内容になり、使う言葉も限定的で、見ようによっては記事の焼き直しにも見える。

それだけが原因ではないかもしれないと思いながらも、少しずつ減っていくビューに、不安は強くなっていった。勢い購入したホワイトボードも、まだ余白のほうが多く、ノートも真新しい。

(反論が感情的になっちゃう……これじゃあ、記事を批判してくる人たちと変わらないわね……)

反発は予想していたものの、それに反論する自分の知識やスキルが足りていないことには意識を向けられていなかったことに、寧々は唇を噛んだ。

(この人たちの反応、どうしてこうなるのか理解しないと、難しいかな。敵を知り己を知ればなんとか……ってやつね)

記事の更新頻度を下げ、ネットでランダムに本を選び、届くなり、取り憑かれたように読み進めた。職場でも、休憩中はずっと本を読み、どうかしたのかと心配されたりもしたが、誤魔化した。

「いえ、そういったことは……はい、はい……いや、そう言われましても、当店としてはそういったことは……」

「……?」

成瀬が電話の前で低姿勢になっているのが見えて、寧々は立ち止まった。意味の分からない言いがかりをつけてくる人間は稀にいるものの、そういった輩の対応になれている成瀬は、相手を正面から否定せずに、うまく受け流して話を終える。あんなふうに、しどろもどろのような状態になるのを、寧々は見たことがなかった。

「ふぅ……」

電話を終えると、成瀬はため息をついた。

「あの、どうしたんですか?」

寧々が声を掛けると、成瀬はハッと顔を上げ、苦笑いを浮かべた。

「なんというか……ごめん、ちょっと話せる?」

「ええ……?」

成瀬は休憩室ではなく、普段バイトは入ることのない事務所まで歩いた。時代を感じさせる灰色の机と、パイプ椅子が二脚。あまり使わなくなった家庭用サイズのプリンターと、壁に掛けられたカレンダー。入口から見て左奥にある成瀬の机には、ノートパソコンが一台と、分厚いリングファイルが三つ置かれている。

成瀬はパイプ椅子に座ると、寧々にも座るように促した。

「いや、まったく、今までにない電話だったよ……(笑)」

成瀬は言った。

「どんな内容ですか?」

「人の命を奪うワクチンを推奨するような人間を雇ってるのか、って言われて、なんのことやらと思ったんだけど、夢丘さんの名前が出て……」

声が萎んでいく成瀬から、寧々は顔を逸らした。

「何か、心当たりある?」

成瀬に問われ、寧々は数秒、沈黙したが、やがて自分の状況を説明した。

「なるほど、そういうことだったんだね」

成瀬は腕を組んで唸った。

「すみません、説得力を持たせるために、本名で発信したのが良くなかったかもしれません……そんな電話してくる人がいることは、想像できてませんでした」

「まあ世の中、いろんな人がいるからね。でも、安心したよ」

「え……?」

「もしかして、夢丘さんが変な人たちに自分から絡みにいって、こんなことになってるのかなって、一瞬思ってしまったから。でもそうじゃない、友達のために、一番苦しいことと向き合う覚悟を決めた結果……俺は個人的には応援するし、何かできることがあれば」

「すみません、気を使わせてしまって……」

「いやいや、一緒に働く仲間だからね」

成瀬は言ったが、その先の言葉を飲み込むように、俯いた。

「……でも、お店としては、困りますよね」

「え?」

成瀬は顔を上げて目を丸くして、テーブルに両手をついた。

「……夢丘さんは何も間違ってないよ。言ってることも、友達を助けることも、正しい。正しんだけど、バイトの子がなんか悪い噂でも立てられたらと思うと、いろいろ考えちゃうところがあって……」

「成瀬さん」

「え? あ、はい……」

「申し訳ないんですけど、少しの間、お休みをいただけますか?」

「へ?」

「本当は、辞めるべきなのかもしれません。でも私、ここが好きなんです。だから辞めたくない……でも迷惑もかけたくない……もう迷惑かけちゃってると思いますけど、しばらく私がいなければ、そんな従業員はいないって突っぱねられると思うし。シフト的には困ると思いますけど……」

寧々が俯くと、成瀬は両手を広げて頭を机につけた。

「ごめん、夢丘さん……そんな気を使わせてしまって……本来なら俺が、そんなもん関係ないって強く出ればいいことだと思う。でも、どう転ぶか分からないから、その……」

「いいんです。私としても、少しそっちに集中したい気持ちもあって。手札を増やすためにも」

「分かった。どれぐらいって、たぶん分からないと思うけど、ひとまず一ヶ月ってところでどうかな? あ、給与のことは、本部にうまく話して、店の都合ってことで出してもらうようにするから」

「ありがとうございます。でも、成瀬さんの立場が悪くなるようなら、引っ込めてください。お金は大丈夫なので。それより、シフトのほうが気がかりですけど……」

「なぁに、大丈夫。俺が一ヶ月、二倍働けばいいことだから。最近管理仕事ばかりでちょっと退屈してたし、ちょうどいいよ」

「ありがとうございます……すみません、ご迷惑を……」

「夢丘さんが悪いわけじゃない。悪いのは、そういう話を信じて、人を攻撃する人間だよ」

成瀬は、普段とは違う低い声で言った。

「だから、やっつけちゃって。夢丘さんならできる。ずっと仕事ぶりを見てきた俺が保証するよ」

「やってやります……!」

「うん。あ、でも、もし助けが必要なら言って。いつでもね」

「ありがとうございます。本当に、心強いです……」

「バイトにはうまく言っとくから。明日からお休み、入ってOKだからね。
さてじゃあ……俺は明日からに備えて、ウォーミングアップしておくかな」

成瀬は何度か肩を大きく回して、事務所を出ていった。

「……」

一人残された事務所で、寧々は俯いた。

本当に、自分にやれるだろうか。
夏希を助けることができるだろうか。
もしうまくいかなかったら……

寧々は、顔を上げて、両手でバシっと顔を叩いた。
弱気が出てくることは想定済み。
でも屈しないと決めた。
もう自分を大事なものを奪わせない、何一つ……

チラリと、腕時計に目をやると、立ち上がって事務所を出た。
まずは仕事をきっちりこなす、明日からのために。

-2-

寧々の言葉に勇気付けられたとはいえ、状況は何も変わっていないことに、夏希は気づいていた。あの日、退院して実家に戻ってからも、遙華と美津子は心配してくれたものの、主張については相変わらずで、そのことが夏希が倒れる原因になったとは、露程も思っていない。それでも、二人に悪気があるわけではなく、本気で”それ”を信じているからこその状況なのは、夏希も理解していた。

(どうすれば説得できるかじゃなく、どうすれば別の考えが受け入れられるようになるか……ううん、それも違う。別の考え方もあるって思えるようになるかどうか……?)

自室の中をぐるぐると歩きながら、夏希は思案を続けた。
また病院の世話になるのを避けるために、二人には、私はまだ慣れてないから少しずつ見ていくと言って、食事のときも違う話題を出したりして、深く入り込むことを避けながら、情報を集めていた。

(やっぱり、江國さんのブログが一番いいかも……)

入院前に読んだ江國のブログには、カルトや詐欺師の手法も書かれており、夏希は一つひとつの記事をゆっくり読んで、内容を理解できるよう努めた。そのおかげで、陰謀論を信じるのはなぜなのか、といったことは分かってきたが、そこから引っ張り出すための方法は、易くはなかった。

端的に言えば、カルトにハマってしまった家族を、そのカルトから引き戻すと似ている。その人たちが言っていることはおかしい、なぜ分からない、戻って来いと言っても、事態は悪化するだけで、戻ることはない。教義のおかしさを事実をもって否定しても、信者は受け入れない。なのにほとんどの場合、引き戻そうとする家族は、おまえも教義も間違っていると、声を強める。

(間違ってることを教えればいい……その考え方が間違ってるのかも。教えるって態度がマウントだし、仕事を教わるときだって、おまえは間違ってる、何も分かってないって、言わないとしてもそういう態度でこられたら、嫌な気持ちになる。陰謀論なんかだと、明らかにおかしいことも多いから、つい間違ってるってハッキリ言いたくなるけど、それがダメなんだ……)

夏希は唇を噛んだ。
そうは言っても、じゃあどうすればいいのかという部分は思い浮かばない。

「……」

「お姉ちゃん、ご飯できたよ」

「あ、うん」

「今日はねぇ、お姉ちゃんの好きなぶり大根と筑前煮だよ」

「あ~、しばらく食べてないやつ……分かった、すぐに行くね」

「うん!」

遙華の弾む声に答えてから、夏希は立ったまま、ノートパソコンに向かった。
うまくいくか分からない。話せたところで、どうにもならないかもしれないし、信用できるかどうかも分からない。でも、時間はあまりない……
五行ほどの文章を書いて、二回見直すと、送信ボタンを押した。

-3-

向田主催のイベント会場は、予想していたよりも広く、続々と人が集まっていた。

向田が登壇するだろうステージの後ろには、注射器に✗印がついたイラストの上に、ワクチン絶対阻止と書かれた旗が掲げられていて、スポットライトに照らされているそれは、崇高なことをでも訴えているように見える。

会場に椅子はなく、立食形式で丸テーブルが並べられており、軽食やドリンクがあるが、酒はない。事前に届いた説明によると、イベント終了後に懇親会があり、アルコールも解禁になるらしい。別料金で五千円、当日払いでも可となっていたが、おそらくはイベントで熱気に満ちた参加者は、ほぼ全員が懇親会にも参加することになるだろうと、国崎は思った。

(事前に調べはしたけど、中に入ってみると、やっぱり熱気が違うな……)

数百人が収容できるだろうホールには、テーブルがあるせいか、詰め込んでる感はないが、百人以上は確実にいる。反ワクチン、それも打てば死ぬか重症、中にはチップを埋め込まれるとまで考える人間が、これほどの熱気を纏って集まることに、国崎はむしろ冷静になった。

(完全に場違いだな。でも情報収集のためには、話に乗っていかないと……)

事前に決めた、自分の設定を頭の中で思い起こす。どこのテーブルに行くか、選んだところでほとんど差はないと思いながらも、ガスマスクのようなものを被っている人間がいるところは避けて、見た目大人しそうな数人が集まっているところに入った。

「なんでワクチンなんて打とうと思うんですかね。打って死んだ人が出てるのに規制しないなんて、どうかしてますよ」

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