第5話 二重輪郭【死生の天秤】小説
■第5話の見どころ
・箕島が気づいてしまったこと
・時代を変えた発見
・笛木の正体?
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店を出ると、箕嶋は、タクシーを拾って真っ直ぐに家に帰った。
マンションの入口を潜り、玄関の前まで着くと、なんとなく忍び足になる。ボディバッグから鍵を取り出して、カチャリ、と静かに鍵を外すと、音がしないようにドアを開け、泥棒にでも入ったように慎重に歩く。
寝室のドアを、赤ちゃんに触れるように開けると、優衣はベッドで寝息を立てていた。
(良かった、ぐっすり眠れてるみたいだな)
小さく口を開けて寝ている優衣の顔を、カーテンの隙間から差し込む月明かりが照らしている。夢から覚めないように、そっと手を動かして、優衣の髪に触れる。
「パパ……」
「……!」
起こしてしまったかと思ったが、変わらず寝息を立てている優衣を見て、寝言だと気づいてホッとしたが、同時に、想いが溢れてきた。鼻をすする音が聞こえないように、顔を横に逸らしてシャツで抑える。
『あなたの目の前に、優衣さんがいる。それが現実ではないですか?』
(優衣、優衣……)
箕嶋は声を必死に抑え、立ち上がると寝室を出た。リビングまで来ると、明かりは点けずソファに座り、両手で顔を覆った。
「優衣……」
あの子は本当に優衣なのか……似ているだけだとしても、そうだとしても、あの子は……
笛木は”再生”だと言った。でもどうやって? 話を聞いただけで造れるものではないはずだ……
(造る……か)
人間を人工的に造る。それは倫理的な問題もあり、未だに議論が続いている。技術的にはできても、法的には許されていない。それが、箕嶋の世界。笛木はなぜそれができた? 法を破っているふうにでもなかった。
「……」
箕嶋は、自分が意識を別のことに向けていることに気づいて、首を横に振った。笛木が何をどうしたとしても、結果として、優衣……優衣によく似た子が、壁を隔てた寝室で眠っている。箕嶋のことをパパと呼ぶ存在。造られたものだとしても、どうしてそれを否定できる? 誰が否定できる? でもそれは、正しいことなのか? 笛木は受け入れればいいと言ったが、失ったからといって、再生すればいい……そういう話なのか? そんな軽いものなのか? もしそうなら、あのとき「ありがとう」と言った優衣の存在はどうなるんだ……
答えなど、出るはずもなかった。
それでも考え続けようと、脳は動き続けたが、やがて限界がきたのか、脳内の明かりを消して、視界も光を遮った。
「……?」
目を覚ました箕嶋は、カーテンの隙間から差し込む光が、顔を照らしてることに気づいた。少し汗ばんでいる。そういえば、シャワーも浴びずに寝てしまった。
「優衣……?」
視線を胸のあたりに向けると、優衣が膝を曲げて眠っているのが見えた。箕嶋の体にも毛布がかかっているところを見ると、夜中のうちに移動してきたのだろう。
「……」
箕嶋は思わず、優衣の髪を撫でた。造られたと言われても、本物とどこが違うのか。
「パパ……?」
髪から手を離して、ゆっくりと上半身を起こすと、優衣が言った。
「おはよう」
「おはようパパ」
目を擦りながら、同じように上半身を起こす。
「お仕事忙しかったの?」
「うん、ちょっと急な仕事が入ってね。毛布ありがとな、優衣」
「パパってば、ソファで何もかけないで寝てるんだもん。風邪ひいたら嫌だよ」
そう言って、優衣は箕嶋の背中に腕を回した。
「そうだな、気をつけないと」
もう一度優衣の髪を撫でる。
「優衣のおかげで、風邪ひかずに済んだよ」
「良かった」
「パパはこれから、シャワーを浴びてくるよ。昨日帰ってきてからそのまま寝ちゃったからね」
そう言って笑うと、優衣は「いってらっしゃい」と言って手を振った。
「優衣も歯を磨いておいで。昨日歯ブラシも買っておいたから。後で服も買いに行かないとな」
「やった!」
シャワーを浴びていると、急に現実的なことが浮かんできた。
服を買いに行くのはいいが、この辺りには一年前の優衣を知っている人もいる。それに、仕事にしても、一人で暮らしていることを前提にスケジュールを組んでいる。隙間がほとんどないほどのスケジュールを、今から組み直すのは難しい。数カ月先のならともかく、締切りが迫っているものもあれば、忙しい時間の中で作ってもらった取材のアポもある。
シャワーから出ると、優衣はダイニングの椅子に座って、足をプラプラさせていた。
「ごめんな、お腹空いたよな。お仕事の整理してくるから、ちょっとだけまっててくれるか?」
「うん。でもそんなに長く待てない……」
「大丈夫、すぐに終わるよ」
首からタオルを垂らして、髪を拭きながら書斎に行くと、パソコンを開いてスケジュールを確認する。幸い、今日は取材がない。つまりは、仕事はすべて家でこなせる。締切りが明後日のものがあるので、それだけなんとかすれば……他のスケジュールは優衣が昼寝したときにでも……電源を入れたままパソコンを閉じると、ダイニングに戻った。
「優衣、ご飯を食べたら、一時間だけ仕事させてくれるかな? その後、一緒にゲームしよう」
「学校は?」
「学校は……まだ退院したばかりだから、もう少し様子を見てからだよ」
咄嗟に言ったが、優衣は「そっか」と納得したように頷いた。
「すぐにご飯作るよ」
優衣は相変わらず足をパタパタと動かしていたが、卵とハムを挟んだサンドイッチとヨーグルトを出すと、笑顔になった。
「飲み物は牛乳しかないから、これでいい?」
「パパと同じのがいい」
「パパはコーヒーだから、優衣には少し早いよ」
「ぶ~……」
「じゃあ、パパと一緒に牛乳を飲むのは?」
「それならいいよ」
弾けるような笑顔に、箕嶋は咄嗟に顔を上げた。
「パパ、どうしたの?」
「なんでもないよ。さあ、食べよう」
「は~い!」
「いただきますは?」
「あ、いただきます!」
「いただきます」
朝食を済ませ、少し待っててねと言って書斎に籠もり、50分で仕事を終わらせると、優衣は書斎から出てきた箕嶋に抱きついてきた。
「パパ!」
「よし、じゃあゲームしようか」
「うん!」
コントローラーを触る仕草や、真剣な眼差しが、記憶の中の優衣と重なる。仕事がないときは、妻と三人で一緒にゲームをした。優衣はゲームが得意で、『パパ弱い』と何度も言われて、俺はずっと笑って……
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