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陰謀論ウィルス 第4話 孤独(連載小説)
-1-
夏希との通話を終えた寧々は、かすかに震える体を抱くようにして、体を縮めた。
視線の置きどころが分からず、和室の仏壇に向くと、胸のあたりが痛み始めて、顔を逸らして立ち上がった。
『一週間ぐらい、連絡が取りづらくなるかも。でもチャットとかくれたら、返信は絶対するから』
夏希の言葉が過る。
「大丈夫、私にできることがあれば相談して」と伝えたものの、何ができるのだろうかと問うと、何も浮かんではこない。同時に、不安の重力を強く感じていた。ワクチン騒ぎは、収まるどころか過激さを増している。できるだけ見ないようにしているものの、ニュースとして飛び込んでくるものもあれば、SNS上での衝突を目にしてしまうこともある。
肯定派も反対派も、それぞれの意見を主張するだけで、相手を打ち負かすことしか考えていないから、見ていて疲れるのもあるが、反対派が時折見せる狂気は、まだ癒えていない傷を刺激して、眠りすら妨げる。それでも、夏希と話せれば落ち着くことができた。
『気持ちは嬉しいけど、寧々はまだ、自分のことで大変なんだから、気にしないで』
私にできることがあれば……と言った寧々に、夏希はそう言った。
「……」
両手で顔を覆って、俯く。
不安の重力を振り払おうと首を横に振って、落ち着きなく歩き回り、ふとキッチンで視線が止まった。視線の先には、ナイフスタンド。フラフラと近づき、包丁を一本、ゆっくりと取って、顔の位置に掲げる。
あの日、すべてを奪った狂気が、今度は親友の家族を壊そうとしている……被っている正義の仮面を取れば、その下から出てくるのは同じ狂気。自分の正義のためなら、人の命を奪うことも、人の人生を壊すことも厭わずに正当化する。主張の根拠が正しいかの評価はされず、すべては結論ありきで突き進む。
なぜそんなことになるのか、寧々には分からなかった。
原因を知るために、その狂気と向き合う体力も、気力もない。第一、原因を知ったところで、どうすることもできない。
(一週間……)
寧々は包丁をナイフスタンドに戻すと、仏壇の前に正座して、数分の間、目を閉じて手を合わせた。それから、壁に掛けてあるカレンダーの、一週間後の日付に丸を付けた。状況が変わることもあるだろうし、拠り所にするのは危険かもしれない。それでも、一週間後にまた夏希と話せると考えると、視線はナイフスタンドで止まらなくなる。今は、それだけで十分だった。
それからの数日は、ニュースもSNSも見ないようにして過ごした。
情報を入れないことに不安も感じたが、仕事には支障はない。時々、レストランのホールで客同士が話している内容が入ってくることはあったが、仕事中は不思議と、受け流すことができた。家に帰ってきてから思い出すと、呼吸が荒くなることもあったが、長引くことはなく、目安の一週間は、あと一日のところまできていた。
(明日、こっちから連絡してみようかな。あれから何も言ってきてないから、大丈夫なんだよね、きっと……)
仕事が終わり、20時前にはマンションの前に着いた。明日は休み。今日は久しぶりにゆっくり眠れそうな気がする……そう思ったとき、革靴の音が聞こえた。
「こんばんは、夢丘さん」
声を掛けられ、見ると、以前にも見た記者がこちらに向かって来た。
「なんですか? 話すことは何も……」
「国崎です。朝丸新聞の」
国崎は名刺を差し出した。
「国崎……」
受け取った名刺を見て、寧々は反射的に国崎を睨みつけた。
「あなた、一年前の……!」
「当時とは髪型も違うし、髭も生やしてましたからね。ようやく思い出していただけたようで」
国崎は、淡々と言った。
「また人の傷に塩を塗りにきたんですか?」
「それは目的ではありませんよ。事実を確認するためには、そうなってしまうこともあるだけで」
「言い訳でしょ?」
「まあ、どう取っていただいても構いませんけど、今日伺ったのは別件です。いや、厳密には別件ではないかな」
「何を言ってるの?
私、忙しいのでこれで」
「お友達、大変みたいですね」
立ち去ろうと背中を向けたとき、国崎は言った。
「なんのこと?」
「失礼ながら、調べました。なんとかあなたに、お話を聞きたくて」
「何を調べたの? 夏希のこと晒すような真似したら絶対に許さない!!」
夏希の名前を出してしまったことに、寧々はハッとしたが、国崎は、
「あなたの親友、手島夏希さんを晒すようなことはしません。手助けしたいだけです。代わりに、独占インタビューをさせて欲しいんです。かつて陰謀論を信じた者によって家族を殺された人が、どんな心境で今の情勢を見せているかを」
と言った。
「やっぱり一年前みたいに、人の苦しみを掘り起こそうとするんじゃない……! それに何よ、手助けって……」
「手島さん、ご家族がいわゆる陰謀論にハマって、大変みたいですね」
「そんなことまで調べたの? 気持ち悪い……」
「仕事ですから。それに、手島さんとお母さんと妹さん、SNSでコメントしたり、それ系の話を拡散もしてます。まあ他の人と同様、拡散するときは特に自分の意見は書かずにやってるだけなので、目立った存在というわけでもないですけどね。イベントに参加したこともあるので、記者なら調べるのはそう難しくはありません」
「それを止めさせるのを手伝うって言うの?」
「いや、残念ですが、すでにハマってしまっているお二人を引っ張り戻すのは無理でしょう。だから、せめて夏希さんだけでも染まらないようにするのが、今できる最善の方法です」
「家族を見捨てろってこと?」
「言い方は少しあれですが、まあそういうことです。残念ですが、何かを守るためには、犠牲は付き物ですから」
「帰って!!」
「私には」
「……?」
「ワクチンを打つことに不安を感じる気持ちも、分かります。でも、間違った情報を信じて、助かるはずの命が失われるのは、やはりそのままにはできない……!」
先程まで淡々としていた国崎の言葉に、熱が見えた気がした。
「あなた……」
「もし何もしなければ、夏希さんも陰謀論に染まってしまうかもしれません。人は、周囲の影響を受けるものです。それが家族など、親しい人であればなおさら。だから早いうちに……」
「夏希はそんなことにはならないし、そんなことさせない……もう帰ってください。私は何も、話すことはありません……!」
国崎は諦めたのか、歩いていったが、寧々は家に戻り、何度もハンドソープをプッシュして手を洗った。まとわりついたモノを洗い流してしまいたかったが、シャワーを浴びても、新たに芽生えた不安は、蜘蛛の糸のようにまとわりつく。
『もし何もしなければ、手島さんも陰謀論に染まってしまうかもしれません』
国崎の言葉が、頭の中で繰り返される。
もし夏希が染まってしまったらと思うと、立っているのに支障が出るほど、体が震える。
(夏希、大丈夫だよね……?)
時刻は21時半になろうとしている。まだ夕食を食べていなかったが、遠い空腹はそのままに、寧々は夏希の番号をコールした。
-2-
実家に戻ってきてからの一週間、夏希は何度も、母と妹と話しをした。ときには父親も交ざったが、話がややこしくなるだけと、途中から見ているだけになった。
「インフルエンザのワクチンは人体に悪影響があるの。それに、大流行を利用して、世界を牛耳っている組織が人類全体を奴隷にしようとしてるのよ」
夏希が実家に帰ってきた日。
昔のように、ダイニングテーブルで食事を囲み、本題に入ると、母の美津子は真剣な顔でそう言った。
事の発端は、死者が例年より多いというニュースから、今年はインフルエンザワクチンを打ったほうが良さそうだと、父が口にしたことだった。そのとき美津子は、ワクチンには極小のチップが入っていて、打つことによって脳に入り、影の組織の意思通りに動かされるようになってしまうと言い出した。
父は最初、何を言っているのか分からず、言葉に詰まったが、妹の遙華も一緒になって同じようなことを言い出し、二人してどうかしてしまったのかと思ったが、やがて本気だと分かると、二人が言っていることが何の根拠もない陰謀論だと、事実を出しながら説明したが、二人は納得せず、口論が続いた。
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