【昔話アレンジ】雉も鳴かずば撃たれまい
昔々、犀川(さいがわ)のほとりに、小さな村があった。
村では毎年、秋になると雨で増水した犀川が氾濫して、作物がダメになったり、人が流されて亡くなることが多かった。
お小夜という5歳の娘の母親も、一年前の雨で流されてしまい、父親の三郎と二人、寂しさと貧しさの中で、それでも仲良く暮らしていた。
それは、季節外れの大雨が降った、ある日のことだった。
お小夜は体調を崩し、中々治らない。
三郎はお小夜を医者に診せたかったが、その日食べるのもギリギリの中、そんな余裕はあるはずもなかった。
「お小夜、ほら、アワの粥だよ。食べて元気になれ」
しかし、お小夜は首を横に振った。
「あたし、かゆはもういらねぇ。あずきまんまが食べたい……」
あずきまんまは、母親が生きていた頃、一度だけ食べた赤飯のこと。
お小夜にとってそれは、貧しくとも三人で笑い合えた、心を支える灯りのようなものだった。
三郎は頭を悩ませた。
米さえないのに、赤飯なんて……しかしお小夜の目を見ていると、父親としてできることはないのか、なんとかしてこの子の願いを叶えてやれないのか……そんな気持ちで、いても立ってもいられなくなった。
「よし、待ってろ、お小夜」
三郎はそう言って、お小夜の髪をそっと撫でた。
「少しの間、一人でまっててくれ」
お小夜の視線を背中に感じながら、三郎は外に出た。
雲が月を隠し、あたりは闇に包まれている。
灯りを持たずにでてきたものの、何度も行き来している道、目を瞑っても歩ける。
三郎は、少しずつ闇に慣れてきた目と勘で道を歩き、そこに辿り着いた。
大きな蔵。地主が米やあずきなど、村人の収穫と他から買い集めた食料が大量に入っている蔵。
蔵の扉は閉まっているものの、鍵はかかっておらず、見張りもいない。
地主の物に手を出すような者は、このあたりにはいないからだ。
それでも、大きな音を立てれば気づかれてしまうかもしれない。
そうなったら、誤魔化しはきかない。
三郎は慎重に扉を開け、中から茶碗2杯ほどの米と小豆を盗み出し、また扉を閉めて、大急ぎで家に帰った。
「お小夜、ほら、あずきまんまだぞ」
翌日。
三郎は赤飯を作ってやり、お小夜に食べさせた。
「ありがとう、おとう。あずきまんま、おいしいなぁ」
「たくさん食べて、元気になるんだぞ」
涙を流しながら食べるお小夜の髪を撫でながら三郎もまた、涙を流した。
その頃、地主は蔵で盗みがあったことに気づいて、騒ぎになっていた。
茶碗二杯分など、地主にとっては食べ残して捨てても気にならないものだったが、盗まれたということが重要だった。今回だけでは済まず、また泥棒が来るかもしれない。そう考え、地主は蔵に強固な鍵をつけることにして、盗みについては役人に届け出た。
といっても、本気で捕まえる気はなく、気持ち悪いので特定しておきたい、というぐらいのことだった。まさか、村の者が盗んだとは思っていなかった。
それは村人への信頼ではなく、村人が自分に歯向かうようなことをするはずがないという、支配者の驕りだった。
それから数日後。
毬をついて遊ぶお小夜は、楽しそうに歌っていた。
あずきまんまおいしいな、と。
たまたまそれを聞いた村人の一人、弥平は、疑問に思った。
三郎の家で赤飯? そんなものを食べられるとは思えんが……
だが今は天候も安定し、村も平和。弥平は、母親と一緒に食べたという話を昔聞いたのを思い出し、そのことを言っているのだろうと解釈した。
やがて、雨の季節になった。
犀川は、茶碗一杯の水を入れたらあふれるぐらいになっており、村人たちは不安に駆られた。
「このままじゃ村が流されてしまう!」
大人たちは、子どもたちを避難させたあと、村長の家に集まって相談した。
だが対処法などあるはずもなく、雨は激しさを増す。村には少しずつ、水が浸水し始めた。
「人柱だ……」
村人の一人が言った。
「人柱を立てればいい……そうやって村を守ったって話は昔からある。先人の知恵だ」
村が浸水し始めたと聞いた村人たちは、その意見に飛びついた。
「じゃが人柱と言っても、誰を……この村には、人柱にされるような悪人は……」
村長が言うと、弥平が立ち上がった。
「いや、おる。おるぞ、村長」
「なに?」
「前に、地主様の家からあずきと米が盗まれたって話があったろ? 俺ぁ聞いたんだ、お小夜が“あずきまんまおいしいな”って歌いながら毬をついてるのを」
弥平は三郎を指差した。
「いや、おらぁそんな……」
「じゃあお小夜が盗んだのか?」
三郎が黙っていると、村長は、
「三郎よ、黙っていてはわからん。本当におまえが盗んだのか?」
語尾を強めるでもなく、静かに言った。
すると三郎は、観念したように頷いた。
「なんてことだ……犯人がこの村にいたとは……」
村長は頭を横に振った。
「皆のもの、このことは地主様に言ってはならん。そんなことをすれば年貢はもっと厳しくなり、わしらは生きていけなくなる」
そう言ってから、村長は三郎を見た。
「三郎よ、すまんが、おまえには人柱になってもらう。村を救うにはそれしかないし、おまえは悪人じゃ。万が一地主様に知れても、村はおしまいなんじゃ。分かってくれ」
「……わかった、村長……でもその前に、一度お小夜に会わせてくれ。最後に一度だけ……」
「そんなこと言って、逃げる気じゃあるまいな?」
弥平が言うと、三郎は首を横に振った。
「信じられん。おいみんな、一緒に行くぞ」
子どもたちが集まっている集会所の玄関が開き、三郎と、背後にいる大勢の村人を見たお小夜は、不安そうな顔をして見ている。
「おとう、どうしたの?」
「お小夜、ごめんな。おとうはちょっと遠くへ行かなきゃいけなくなった。村を、お小夜を守るためなんだ」
「遠く? あたしも行く!」
「ダメだ。お小夜はいい子にしてなさい。また会えるから」
三郎が頭をそっと撫でると、お小夜は泣き叫び、ついてこようとしたが、村人の一人が押さえ、三郎は他の村人と一緒に、雨の霧の中に消えていった。
「病気の子供のために、茶碗二杯分の米とあずきを盗んだだけで、人柱か……」
三郎がいなくなった翌日、雨は止み、三郎に同情的だった三人の村人が、小さな集会所に集まっていた。
「お小夜も不憫なことだ」
「俺も同じ気持ちだ。でもあまり言わんほうがいい。下手なことを言えば、今度は俺たちが人柱にされちまうかもしれない。みな、家族がいるだろう」
その言葉を最後に、三人は口をつぐんだ。
お小夜は、毎夜毎夜、泣き続けた。
「おとう、あたしが歌ったから……」
お小夜は何日も泣き続け、やがて泣き止むと、口を聞かなくなった。
何を聞いても、頷いたりはするものの、口は聞かない。
村人たちの中に、罪悪感が生まれた。
父親を殺されたショックで口がきけなくなったのだろうと。
だが、村人たちは自分にこう言い聞かせた。
しかたなかった、悪いのは盗みを働いた三郎で、村を救うためには必要な犠牲だった、と。
それから一年が経ったある日。
一人の猟師が雉を取るために山に入った。
雉の鳴き声を聞きつけて、猟師は引き金を引いた。
ズドン!!
という音が山に鳴り響き、手応えを感じた猟師が草をかき分けていくと、そこにはお小夜がいた。
「お、お小夜……?」
猟師はびっくりしたが、お小夜は反応せず、土に横たわる雉を両手でそっと拾い上げると、
「雉よ、おまえも鳴かねば撃たれずに済んだのに……」
と言った。
「お小夜、おまえ口がきけたのか……?」
猟師の言葉が聞こえていないのか、お小夜は雉を持ったまま山の中に消えていった。
この話は、すぐに村人の中に広がった。
気味の悪い子だ、雉をどうするつもりだ、わしらを呪うつもりなんじゃないか……
恐怖と罪悪感から、村人は様々な憶測を話し合い、やがてまた、雨の季節がきた。
犀川はまたしても氾濫し、村は危機に見舞われ、一年前と同じように、村人たちは村長の家に集まった。
「どうする村長」
あの日、お小夜が歌っていたという話をした村人、弥平が、村長に詰め寄った。
「もう一度人柱を立てるしかねぇ、違うか?」
その言葉に、村人は全員、肩をビクリとさせた。
「しかし、村には悪人はおらん」
眉をひそめる村長に、弥平は、
「お小夜がおる」
と言った。
「お小夜を……? 馬鹿な、あの子はまだ6歳じゃぞ」
「罪人の子だ。罪人の子がいるから、村はまた危機に瀕してるんだ。おまえらもそう思うだろ?」
弥平は大声をあげたが、他の村人は答えをためらった。
「しかし、あんな子供を人柱なんて……!」
三郎に同情的だった男の一人が、立ち上がった。
「じゃあおまえがなるか?」
弥平が睨むと、誰もが押し黙った。お小夜のような子供を人柱にするなんてと思った村人は他にもいたが、否定すれば自分が、家族が……そう思うと、口をきけなかった。
「決まりだ。お小夜の家に行くぞ」
弥平が言うと、他の者も渋々付いていった。
「お小夜!! お小夜!!」
入り口をドンドンと叩くが、お小夜は出てこない。
「いないのか?」
「かまわん、入るぞ」
弥平がドアを強引に開けると、中にはお小夜がいた。
異臭のする部屋の真ん中には、布団が敷いたままになっていて、お小夜はその上に座っている。手には、あのときの雉が握られており、体も顔も痩せこけ、
「鳴かねば撃たれなかったのに……」
ぶつぶつと同じことを繰り返している。
村人たちは恐怖で体を寄せ合った。
後付さりする者もいた。
だが弥平が踏み込み、
「お小夜……!!」
大雨の音をかき消すほどの声で言うと、お小夜は村人たちのほうに顔をゆっくりと向けた。
ゴクリ……と、誰もが息を潜めた。
感情がない目はくぼみ、まだ子供でありながら、老婆のような姿で、その中に幼さが残り、この世のものとは思えない。
村人たちは、お小夜を無理やり立たせ、あの日、三郎を埋めた場所に連れて行った。
お小夜は抵抗せず、雉を持ったままブツブツと同じことを繰り返している。
「鳴かねば撃たれなかったものを……鳴かねば……」
用意された穴に投げ込まれるときも、お小夜は抵抗せず、穴に中でも同じ言葉を繰り返した。
埋めている最中も、泣き叫ぶこともなく、だが最後に一瞬、あの感情のない目で村人たちを見た。
村人たちは気味悪がり、お小夜のことも三郎のことも、一切口にしなくなった。
翌日には雨は止み、ホッとする村人だったが、その翌日には、さらに強い雨が降った。
すると今度は、お小夜にひそかに食事を与えていた家族が人柱にされた。
その家族は以前、お小夜が不憫で……と口にしたことがあり、罪人に食事を与える者も罪人という、今しがたできた決まりが適応され、子供も含めた家族三人、全員が生き埋めにされた。
それでも雨はやまず、川の氾濫は続いた。
もう、人柱の理由はなんでも良かった。あいつがこう言ってた、いやあいつがと言い合い、罪をでっちあげ、誰もが疑心暗鬼になり、やがて誰も口を聞かなくなった。些細な言葉であっても、それを理由に人柱にされるかもしれない……そんな恐怖に、村は支配されていた。
雨が止み、平和な日常が戻っても、村に話し声が戻ることはなかった。
「いったいどうなってる!!」
これに困ったのは地主だった。
年貢を治めさせようにも、働かせようにも、誰も口をきかないから、仕事にならない。収穫が減り、必要なものが手に入らなくなった地主は怒り、護衛二人と共に村を訪れた。
だが、何を聞いても誰も口をきかない。村長でさえも。
「貴様ら……いいか、口をきかないものは人柱にする!!!」
地主の言葉に、村人たちは震え上がった。
下手に話せば人柱にされ、話さなくても人柱にされる……
そのとき、一人がボソリと言った。
「地主様がもっと村のことを考えてくださっていれば、三郎もお小夜も死ぬことはなかった……あの二人のことがなかったら、村は今でも平和だったはずだ……」
その言葉を合図に、村人は一斉に地主に視線を向けた。
「な、なんだ貴様ら……わしに歯向かうのか!?」
村人たちは、口をきかなかった。
無言のまま、目を見開き、荒い呼吸で、誰かに操られているように地主に近づき、護衛二人も数の力で抑え込んで、人柱の穴に三人を落とした。
「出せ!! こんなことしてただで済むと思ってるのか!!!」
だが村人は反応しない。
全員無表情のまま、穴を埋めていく。
「やめろ!! 引き上げた者には褒美を与える、だから……
……!!」
地主は目をパチパチさせ、やがて歯がガタガタと音を立て始めた。
「お、お小夜……?」
穴を埋めようと手を動かす村人たちの隙間に、雉を手に持ったお小夜がいた。
無表情のまま、地主の目をじっと見続けている。
「わ、わしが悪かった、お小夜、おさ……」
その言葉を最後に、地主の視界は真っ暗になった。
あとには、増していく土の重みと、積もる音だけが聞こえ、やがて五感は闇に埋もれた。
これ以降、村では人柱の慣習はなくなった。
人々は、すべての発端となった三郎とお小夜の祠を作り、毎年祈るようになったという。