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人面犬とハーメルンの噂 /第7話 依頼主(伏見警部補の都市伝説シリーズ)/連載小説
第7話 依頼主
-1-
伏見は、真栄城がトップを務める会社まで来ていた。
会う口実はなく、頭をスッキリさせるために外に出たついでに見ておこうという理由でしかないため、会社の中に入るつもりもなく、ビル周辺に等間隔で置かれているベンチに座った。
「……」
会社が入っているビルの周りは、白い石畳の広場のようになっていて、長方形の噴水のようなものがあって、心地いい水の音を奏でている。一定間隔で植えられた欅(けやき)の木が風に揺れて、サラリーマン風の男女が行き交う。
まだそうと決まったわけではないが、もし自分が勤める会社のトップが殺し屋を雇っていたと知ったら、どう思うのだろうか。ショックなのか、興奮材料になるのか、個人としてはそれでいいのだろうが、事実だった場合、会社は世間の非難に晒され、その会社に勤めているだけで白い目、あるいは好奇の目で見られるはず……
そんなことをボーっと考えていると、スマホが鳴った。
『佐伯の居場所が分かりましたよ』
「あんた、山根か?」
『ええ。今、佐伯が監禁されてる建物の近くに隠れて、見張ってます』
「現場まで行ったのか?」
『どうしても、細かい場所が特定できなかったんでね。すぐに来られますか?』
「相手の人数は?」
『たぶん、三人……いても五人です』
「分かった。何人か集めて向かう」
『早めに頼みますよ』
伏見はすぐに谷山に連絡して、すぐに集められる何人かを連れて、現場に向かうよう指示すると、自分も急いだ。
佐伯が監禁されている場所は、倉庫街の一画にある古いビルの三階。寂れていて、再開発も進んでいないため、人もほとんどいないし、防犯カメラも設置されていない。
過去に何度か、犯罪があったため、近くの警察が定期的にパトロールしているが、監禁しているほうは当然そんなことは分かっているだろうし、ビルの所有者の許可なく室内を調べることまではできないため、無計画な事件でなければ発見は難しい。
「伏見さん」
現場に到着すると、すでに谷山たちがいて、木野と他三人の刑事が、犯人たちに手錠を掛けて連行するところだった。
「早かったな」
伏見は言った。
「佐伯は?」
「無事です。ただ、かなり衰弱してるので、救急車を呼んでます。検査入院が必要かもしれません」
「無事ならいい。
山根は?」
「僕らに正確な場所を伝えた後、いなくなりました」
「そうか。後で礼だけ伝えておく」
数時間後。
谷山が言った通り、佐伯は検査と体力回復のために、2、3日入院との連絡を受けて、伏見たちは警察署に戻っていた。
「警護は付けてるか?」
伏見は言った。
「はい、そこは抜かりなく」
「お手柄だったな、谷山。木野も」
「山根って男のおかげですね。情報屋ですかね?」
「たぶんな。佐伯が息子のことを調べるのに協力してたのかもしれない。そうやって長く付き合ってるうちに、情報屋と依頼人の枠を越えて、友達みたいになってたのかもな」
「佐伯に対する同情もあったんですかね、息子のことで」
「かもしれない」
「真栄城のほうはどうです?」
「会社を監視させてるけど、動きはないな。けど、佐伯のアパートにあった資料やPCを調べてた鑑識が、興味深いものを見つけた」
「なんです?」
「どういった経緯かまでは分からない。けど、息子の誘拐に関わっている可能性がある人物が書かれてるファイルがあって、そこに真栄城の名前もあった」
「え? じゃあ……」
「他にも何人か書いてあったけど、二重線で消されてた」
「残りは真栄城だけだったと……?」
「そうなるが、証拠とするには弱い。でも今は、それを裏付けられるかもしれない人間がいる」
「拉致した連中ですね」
「そうだ。連中がどこまで話すか、どこまで知ってるか分からないが、確認しよう」
捕まえた三人のスマホは、まだ解析中だったが、伏見は一人ひとりを取調室に呼んだ。
「依頼主を庇っても、おまえにメリットはない」
黒尽くめの服を来た30代ぐらいの男を前に、伏見は言った。
「それは分かるよな?」
「……」
「依頼主について話せば、罪は軽くなる。拉致は重犯罪だが、殺人はしていないし、佐伯は衰弱しているが、怪我らしい怪我もしていないからな。もっとも、発見が遅れていたらどうなっていたか分からないが」
「……」
「佐伯を拉致して、何をしようとした?」
「……」
「金銭目的ではない。怨恨でもない。何かしらの情報を聞き出すためだ。おまえと他二人、三人が知りたい情報ではなく、依頼主が知りたい情報。それも、急を要することだろう」
「……俺は何も知らない」
「それも嘘ではないんだろうな」
「……」
「でも、嘘でもあるな。知っていることもある。あの雑居ビルに依頼主が来て、自分で佐伯を尋問するとは思えない。リスクが大きいからな。つまりおまえら三人は、どんな情報を聞き出せばいいか、知っている」
「……」
「なんて言われたんだ? 真栄城に」
不意に言うと、男は一瞬、驚きを浮かべて強張ったあと、表情を戻した。
「当たりか。スマホも解析中だ。遅くても今日中には中身が分かる、全部な。知ってることを話したほうがいい。黙秘しても、佐伯を拉致、監禁してたって事実は否定できないからな。供述は必要ないんだよ、証拠があるから」
「……警察は信用できない」
「なるほど、どのあたりが?」
「やってもいないことを無理やり言わせたり、証拠より証言を重視する。裁判所もそれを良しとする。政治的な理由で」
「耳の痛い話だな」
伏見は言った。
「確かにおまえの言うようなことはある。たとえば、大物を挙げて出世に有利しようと、司法取引を持ちかけるなんてパターンだ。大物Aに不利な証言をすれば、三つある罪状のうち一つは目を瞑るとか、そういう話は実際にある。思い込みや感情を必要としない証拠があるのに、証言のほうが信用できるって判断する、狂った裁判官もいる。そういう連中は、警察だろうと検察だろうと裁判官だろうと、クズだと思うよ、俺も」
「……」
「俺の職業は刑事だが、別に正義の味方ってわけでもないし、組織に忠実でもない。むしろ、不必要なまでの縦社会や柔軟性のなさ、面子だのなんだの気にして動きが遅いことに、いつもイライラする」
「なんでそんな人間が刑事をしてる?」
「被害者のためだ」
「……被害者のため? 正義の味方みたいな理由だ」
「そう見えることもあるかもな。でも俺は、強者の都合で弱者がいいようにされて、ときには法すらも捻じ曲げて貶めることは容認できない。そういう現実もあると認めることと、しかたないと受け入れることは違う。被害者となってしまう弱者が頼れるのは、法と、法の下に犯罪者と対峙する警察だけだ」
「じゃああんたは、身内が不祥事を起こして隠蔽しようとしたら、それを暴露するのか?」
「不祥事の内容にもよるし、なぜそういう行動をしたかにもよる。だが、たとえば私利私欲以外の何者でもないなら、身内だろうと容赦はしない。その場合、組織が俺を止めたいなら、俺を殺すしかない。まあ、そう簡単に殺されてやるつもりはないけどな」
「……変な刑事だな、あんた」
「ああ、よく言われる」
「……依頼主は、あんたの読み通り、真栄城だよ。株式会社LTPのトップ。窓口は別にいたし、俺も他の二人も、窓口としかやり取りしてないが、調べたからな」
「窓口の名前は?」
「秋野って男だ。連絡先も分かる。紳士的だが、アイツからは暴力のニオイがした。真栄城の裏の顔を守るSPって感じだろうな」
「なるほど。じゃあ秋野って男の人相と、連絡先を教えてくれ」
「ああ」
「もう一つ、教えてくれ」
「なんだ?」
「佐伯を拉致した理由は?」
「俺達が聞かされたのは、佐伯という男を連れてくること、絶対に殺さないこと。その二つだけだ」
「拉致して何をしようとしたかは?」
「聞いてない。警察が来ちまったから何もできちゃいないが、段取りでは、窓口の秋野が来ることになってた。何か聞き出そうとしたんだろう」
「おまえが秋野とやり取りしてた証拠は?」
「俺のスマホに残ってる。証拠を残しておけば、身を守るのにも使えるからな」
他の二人とも話したが、内容はほぼ一緒で、佐伯を拉致して何を聞き出そうとしたのかは分からなかった。
最初に話した実行犯のリーダー、長津のスマホからは、秋野という人間と思しき男と話している音声データが出てきて、伏見は真栄城に面会したい旨、連絡すると、思いの外あっさりと受け入れられた。
-2-
翌日の夜。
伏見は真栄城に指定された場所に一人で赴いた。一人でなら、というのが、真栄城が提示してきた条件で、伏見は承諾した。
LTPの受付で、真栄城の客ということでアポを確認、向かう先を指定され、歩いていくと、ビルの裏側にある駐車場に出た。幹部以上だけが使える場所らしく、黒塗りの頑丈そうな車が何台か停まっているが、人はいない。
「お待ちしておりました」
背後から声がしたが、伏見は姿勢を変えずに、
「言葉とやってることが一致してないな」
と笑った。
ゆっくりと振り返ると、伏見より大きい、おそらくは身長190センチ近くはあるだろう、ガッシリした男が立って、伏見を見下ろしていた。
「なるほど、外見は紳士的だが、態度は威圧的だな。あんたが秋野か」
男は答えず、表情も変えず、
「こちらです」
と言って、停まっている車の中で一番小さな車両に案内して、後部座席のドアを開けた。
「あんたには窮屈そうだな、この車」
「……」
「名前を隠さなくていい。調べはついてる」
伏見が言うと、男は「そうですか」と言って運転席に収まり、車を発進させた。
20分ほど走ると、高級店として知られる薊亭(あざみてい)という料亭に入った。薊亭は、庶民にも楽しんでもらおうと、経営の方針を変える料亭が多い中、高級路線を貫き、会員制として継続しており、金があるだけでは入れない高級店として知られる。
駐車場に着くと、秋野はルーティンのように車から降りて、後部座席のドアを開け、料亭の女将に挨拶してから、迷うことなく通路を歩いた。
「お連れしました」
「入ってもらえ」
秋野が襖を開け、「どうぞ」と言うと、伏見は部屋の中に視線を走らせてから、上座に座っている男に視線を向けた。畳の匂いが心地良く、10人以上が軽く入れる部屋に、男は一人で座っている。
艶のある黒髪は、台風がきても崩れないほどのオールバックに固定されていて、一重の目は冷たく、他人を受け入れるようには見えない。薄い唇はまっすぐで、表情がない。どこのブランドか分からないが、ひと目見て高級と分かるダークネイビーのスーツの下にあるのは、鍛えられた体であることが見て取れた。
「歓迎されてるわけではないようですね」
伏見は、男の向かい側に座った。
「刑事を歓迎する人間は少ないですよ」
「まあ、そうでしょうね」
「お食事は?」
「いえ、けっこう」
「ではお茶でも飲みながら話しましょう」
男が言うと、秋野は頷いて、テーブルに置かれたお茶を、慣れた手つきで準備し、二人の前に置いた。
「今更名乗る必要もないでしょうけど」
男は言った。
「真栄城です。TLPの代表をしています。こちらは秋野。私が信頼する人間の一人です」
「山城警察署捜査一課の伏見です」
「佐伯の件、ですね」
真栄城はサラリと言った。
「ええ。あなたのしたことは、犯罪です。あなたの立場がなんであっても、見過ごすことはできない、本来なら」
「……?」
「でも幸い、佐伯は無事だ。少し衰弱しているが、怪我もしていない」
「何が言いたいのですか?」
「より大きなことについて、あなたが話してくれるなら、佐伯の件は見送ってもいい。まあ、佐伯が絶対にあなたを許さないというなら、話が変わってくる可能性もありますが」
「伏見さん、あなたはいったい、何を知りたいのです?」
「真栄城さん、あなたが佐伯を拉致して、そこにいる秋野に尋問させようとしたのは、佐伯が照井殺害の犯人を目撃した可能性があるからだ」
「照井?」
「照井は、表向きは建築デザイナー。でも裏の顔は殺し屋だ。あなたは照井を雇って、誰かを殺させようとした」
「面白い推理ですね。つまりあなたの筋書きでは、私がその、照井という男を雇って誰かを狙い、照井はその誰かに返り討ちにされた。そして私は、返り討ちにしたのが誰なのかを確かめるために、佐伯を拉致して聞き出そうとした。そういうことですか?」
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