第2話 黒い砂 テケテケ誕生の物語【伏見警部補の都市伝説シリーズ】
-4-
伏見は、明け方までに調書の第一報を書き上げると、仮眠室に向かった。室内は静まり返っており、廊下から入ってくる明かり以外、光源となるものはない。
「伏見さん、まだ起きてたんですか……?」
先に仮眠室に来ていた谷山が、かすれた声を出した。
「まだ寝てて大丈夫だぞ」
「今まで、調書を……?」
「ああ」
「珍しいですね、そんなやる気だすの」
「否定はしないが、一言余計だな」
「気になるんですね、今回の件は」
「司法解剖の結果を見るまでもなく、人間の仕業とは思えないからな。まあ細かいところは、結果を待つ必要はあるが」
「調書にそんなこと書くのだけはやめてくださいよ? また何を言われるか……」
谷山はそこまで言うと、再び寝息を立て始めた。
「事実なら、書くしかない。理解できなくてもな」
伏見は独り言のように呟くと、横になって目を閉じた。
二時間ほどして、重い体をシャワーで強引に起こし、捜査一課の部屋に行くと、谷山が欠伸をしているのが見えた。
「おはよう、谷山」
「あ、おはようございます、伏見さん」
灰色の机とノートパソコン、入口から見て右奥にあるソファとテーブル、その前に置かれた34インチのテレビ。タバコの臭いがしないことを除けば、古い刑事ドラマに出てくる部屋とほとんど変わらない風景。
ただ一つ、違いがあるとすれば、伏見のデスクには、犯罪心理学などの実用的な本以外に、都市伝説や妖怪に関する本が並んでいることで、最初にそれらを目にする刑事は、ほぼ例外なく首を傾げるが、警部補という立場の伏見に、ほとんどの刑事は口を閉じる。
上は、仕事さえしていればいいという考えなのか、片付けろと言われたことはなかった。もっとも、言ったところで片付けないことは分かっているから、という可能性もあるが、伏見にとってはどうでもいいことだった。
「あと10分もしたら解剖の立会いだ。おまえも来るか? 谷山」
「ああ~……行きたいのは山々ですけど、聞き込みに行かないと」
「他の人間に任せてもいいぞ」
「いえ、やはり現場を確認した人間が行くべきかと」
「……分かった、じゃあそっちは頼む」
「何か言いたそうですね」
「まあな。けど、気持ちも分かる」
伏見は、給湯室まで歩いて熱めのコーヒーを淹れると、ゆっくりと体に流し込んだ。
「さて、行くか」
カフェインで覚ました体に芯を通すように呟き、警察署に併設されている建物に向かった。伏見が所属する山城警察署の刑事たちの間で、”病棟”と呼ばれているその建物は、司法解剖をするための部屋が二つあり、その他の三部屋は、薬品や備品が置かれている。かなり年季が入ってきているため、近々建て直す予定と聞いてから、一年が経過していた。
「よう、伏見さん。おはよう」
遺体が安置されている部屋に入ると、沢口が右手を上げた。
沢口は、年齢は52歳、身長163cm、小太りで、気のいいオッサンといった感じの風貌をしている。楽しいものを見に来たわけではないはずだが、その顔を見ると、何となく体の力が抜ける雰囲気がある。
「おはようございます、沢口さん」
「お? 谷山くんは一緒じゃないのか?」
「聞き込みに行きました」
「ああ、なるほど。いい理由だね(笑)」
沢口は白い歯を見せた。
「じゃあさっそく、始めようか」
「ええ、お願いします」
沢口はレコーダーをオンにして、遺体の情報を話しながら、メスを入れていく。切り離された……というより、引きちぎられた足は、定位置にあるが、当然のことながら繋がってはいない。昨日現場で見たときとは、また違った異様さがある。
「凶器が分からないね」
手袋を外しながら、沢口が言った。
「ナイフでも、包丁でも、ナタでもノコギリでもない」
「じゃあ、どうやって足を?」
「ありえないことだけど」
「……」
「小さな人形の足を取るみたいに、手で掴んで引っ張った。といっても、ただ下に引っ張ったわけじゃなく、捩じ切るようにして引っこ抜いた、という感じだね」
「一応聞きますが、たとえば巨大な動物に食いちぎられた、ということは?」
「ないね。足には、何かが刺さったような傷はないし、遺体だけを見るなら、倒れた被害者の足を掴んで捩じ切った、だね」
「なるほど……」
「人間にできることじゃないけど、人間が手で掴んでやった以外の方法が見当たらない。厄介な事件になりそうだね」
無造作に足を掴んで捩じ切る……伏見は、いくつかのイメージを頭に浮かべたが、どれもB級ホラーのようなもので、リアリティはなかった。常識に縛られるのはマイナスだが、常識の外でも説明が難しい。
「さて、どうするかな」
このまま遺体と一緒にいても進展はない。
伏見はそう判断すると、沢口に礼を言って部屋を出た。
-5-
テケテケの話を聞いてから三日目。
瑞江は少し寝不足で、奈々と葉子にもからかわれたものの、できるだけ会わないようにして、やり過ごしていた。
(今日で三日目……)
バイトで少し遅くなり、辺りはすっかり暗くなっている。といっても、まだ仕事帰りの人が歩いているような時間だから、怖いという感覚はなかった。人が多い場所は好きではないが、今はそれが安心できる。
「ただいま~」
「あ、おかえり、瑞江」
家に帰ると、慶子は出かける服装で、何やらバタバタと動き回っており、瑞江は首を傾げた。
「どこかいくの?」
「私のクライアントでね、14歳の女の子がいるの。ずっと引きこもりだったんだけど、何度も話して、ようやく明日から学校に復帰することになってたんだけど、急に行かないって言いだしたらしくて。
その子のお母さんから連絡がきて、急で悪いけど来てほしいって言われたから、これから言ってくるわ。その子のこと、放っておけないしね。あ、夕食は用意してあるから」
慶子は一気に話すと、入れ違いのようにして家を出ていった。
(引きこもりか。私も学校嫌だって休んだことあったな。嫌なことばかりなのに、なんで行かなきゃいけないのって)
子供の頃の記憶をぼんやりと浮かべたまま、静まり返った家の中で一人、夕食を食べた。一人で食べることは慣れているから、それ自体はどうということはなかったが、なんとなくテレビをつけて、静けさを消した。風呂に入り、いつもの勉強が終わる頃には、23時を周っていた。
(お母さん、大丈夫かな)
ベッドに潜り、少しの間スマホを見ていたが、慶子からの連絡はなく、瑞江は「先に寝るね」とだけメッセージを送り、スマホをテーブルに置くと目を閉じた。
「……?」
どれぐらい時間が経ったのか、ふと目を覚ますと、違和感を覚えた。
部屋がいつもと違う。
今目の前に見えるのは壁だが、背中を向けているほうに、何かがいる。見られている……そんな気がした。
「お母さん?」
顔を壁に向けたまま呟く。
返事はなく、相変わらず視線だけを感じる。
心臓が早くなり、体が身を守ろうと、縮こまっていく。
(見ちゃダメ、反応しなければ消えるって、前にどこかで聞いたことがある……大丈夫、そのうち……)
体が震えているのを気づかれないように、両手を回して体を押さえる。
「呼んだのは、あなた……?」
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