死刑遊戯 第1話 死刑制度の是非を問う【小説/シリアス】
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全国の都道府県にある警察の中で、異質ともいえるほど大きな組織、警視庁。東京というエリアを管轄する警察組織という意味では、神奈川県警とも、長野県警とも同じだが、その規模は桁違いで、5万人以上の職員を有する警視庁は、その役割も多岐にわたり、影響力も大きい。
そんな警視庁の捜査一課で、警部という管理職についたばかりの坂下昇(さかした のぼる)は、一週間前に起こった事件に、頭を悩ませていた。厳戒態勢のような緊張感に覆われ、刑事たちは苛立ちと疲労、焦りを、日に日に濃くしていく。坂下も同様だったが、立場を理由に平静を装っていた。
「坂下警部!!」
大部屋に設置された捜査本部から出たくてうずうずしている坂下のもとに、部下の片岡雅(かたおか まさし)が飛び込んできた。
「これ、見てください!!」
空調の効いた部屋の中だというのに、片岡は額から流れるほどの汗を滲ませている。少し薄くなったことを気にしていると話していた髪は乱れているが、気にかけることも忘れているらしい。
「なんだ? 手がかりが見つかったか?」
坂下が聞くと、片岡は大きく首を横に振った。
「違うんです、とにかく見てください……!」
片岡は、手に持っているスマホを、坂下に向けた。
「……」
片岡が再生ボタンを押すと、動画が流れ始めた。
少しノイズが入っている画面に映る、白い壁の部屋。場所を特定できるものは何もなく、映っているのは、木の椅子に座っている、五人の男と一人の女、横に立っている黒尽くめの人物。顔もマスクをしており、男か女かも分からない。椅子に座っている男女は、後ろ手に縛られているらしく、全員が同じ姿勢で座っている。
「行方不明の六人だよな、これ……」
画面を見ながら聞くと、片岡は「はい」と答えた。
2分ほどすると、カメラがズームアウトして、行方不明者たちを取り囲むように立っている四人が見えてきた。全員が手に拳銃のようなものを持っており、六人に向けている。
『突然このようなものが公開されて、警察は慌てている頃だろう』
椅子の横に立っている男が言った。
言葉は日本語だが、英語の字幕もついていて、坂下は眉をひそめた。
『この動画は、イントロダクションだ。明日以降、我々は彼らと、死刑制度の是非について討論をする』
そう言って、男は椅子に座った六人を見てから、またカメラを見た。
『こんな形での討論となることに、反発もあるだろう。銃で脅すようなことをして、討論になるのかと。その反応はもっともだが、なぜこういう形を取ったのかについても、明日以降をご覧いただければ、分かるようになっている。
私は死刑賛成派だが、反対派の意見を封殺するつもりはない。彼ら六人には、反対派の代表として、自らの主義主張を世界に向かって発信し、証明してもらう。当然、我々は賛成派の立場から、意見をぶつけていく。そこには、やらせや忖度はない。生の意見、その背景にある思いのぶつかり合いとなる。ぜひ、楽しみにしておいてほしい。
それと、六人の家族と警察に向けて伝えておく。
我々が、彼らに危害を加えることはない。無論、彼らが討論をつつがなくこなせばの話だ。逃げようとしたりすれば、そのときには残念な結果になるということは、付け加えておく』
約10分の動画が終わると、坂下は片岡を見た。
「公開されたのは今日か?」
「30分ほど前です」
「30分……午後9時ぐらいか」
「確認中ですけど、作り物ってことはないと思います。メディアも10時からのニュースで取り上げるはずです」
「出てしまってる以上、そうなるだろう。メディア対応は上にやらせとけ。それより、場所は特定できそうか?」
「今、動画の運営会社に問い合わせてます。どこかの建物だとは思いますけど、特徴的なものが何もないので、難航してます」
「急げ。行方不明の六人は無事みたいだけど、今は分からない」
「え? でも全員……」
「ライブじゃないんだ。取り終えた後に殺されてる可能性もある」
「あ、そっか……」
「動画の中で、主犯らしい男が言ってたことを信じるなら、討論とやらが終わるまでは殺しはしないだろうが……とにかく、配信元や撮影場所についての特定を急げ」
「はい、承知しました」
片岡が走っていくと、坂下はノートパソコンで同じ動画を確認した。
「全員が、同じ場所に集められてたわけか……」
一週間前に起こった失踪事件。
六人とも、それなりに知名度がある人間で、テロ組織や過激な陰謀論者による可能性も考えられたが、犯人からはなんの声明も要求もなく、死体が転がり出ることも考えていた。その六人が、今、モニターに映し出されている。
フリーライターの財津高徳(ざいつ たかのり)。
NPO法人、青少年育成コンサル代表の細田穣(ほそだ みのる)。
犯罪ジャーナリストの枝野勝俊(えだの かつとし)。
人権派弁護士として知られる、玉木明臣(たまき あきおみ)。
人権団体、自由と弱者を守る会の代表、石破喜英(いしば よしひで)。
テレビやネット番組のコメンテーターとして知られる、三谷深雪(みたに みゆき)。
六人は、プライベートでの交友はなく、職業もバラバラだが、共通点もある。全員が、死刑反対派であり、かつ、なにかにつけて声高に主張していること。
「過激な死刑肯定派……? 行方不明だった六人とグルってこともなさそうだし……」
討論をすると、主犯らしい男は言っていたが、どこまで本気なのだろうか。自分たちの主張を広く伝えるだけなら、六人を拉致するリスクを犯さなくても、別の選択肢があるはずで、わざわざ大きなリスクを取って動画を公開したのはなぜか。
「……」
考えてみたが、答えはすぐに、思考の壁にぶつかって止まった。
分かるはずもない、今はまだ。
坂下は立ち上がると、上に報告するために捜査本部を出た。
すでに動画のことは話がいってるかもしれないし、お咎めを受けることは間違いない。だが幸い、拉致された六人はまだ生きている。犯人が目的を達成する前に発見できれば、全員を助けられる……
坂下は、頭の中で情報を整理すると、上司の部屋のドアをノックした。
-2-
最初の動画が公開され、メディアが22時のニュースで騒ぎ始めた頃、北沢悠真(きたざわ ゆうま)は、立ち上がって部屋の中を歩き回った。
「まさか……いや、そんなわけないよ」
都内の端のエリアにある、築32年のワンルームマンションの一階。ソファベッドと、折りたたみ式のテーブル以外、テレビもなく、クローゼットの中の服も、約3日分。あとは洗濯して回すだけで、残りのスペースはすべて、壁際に積まれた本で埋め尽くされている。荷物のために部屋を借りていると言われる人もいるが、北沢の場合は、本のために部屋を借りているといえる。自分よりも本が優先するような部屋だ。
そんな部屋の中で、オレンジ色の炭酸ジュースを片手に、タブレットに映し出される動画を見て、視点が少し泳いでいた。座っていられず、歩き回って見るものの、微かに体が震えている。
「何かの間違いだ。顔だって見えてないし、声だって……」
友人から、面白い動画が上がっていると連絡がきて、確認したそれは、北沢を動揺させた。主犯と見られる男の声は、何か機械を使って変えているのか、クリアではあるものの、少し違和感を覚えるものだし、マスクの向こうからの声だからというのもあるかもしれない。
しかし、話し方や佇まいには、見覚えがあった。
記憶の中のそれと、完全に一致はしないが、重なるところはある。
「そんなわけない。こんなことする人じゃない……!」
立ったまま、否定と肯定を繰り返していると、SNSが騒がしくなった。どうやら、二本目の動画が公開されたらしい。友人からもチャットがきて、北沢は拡散されている動画のリンクをクリックした。
「……」
最初の動画と同じ画角。おそらくは、一度に撮ったものを編集したのだろう。
冒頭、主犯の男が、誘拐された人たちの紹介をして、自分たちとの立場をより明確にすると、「さて」と言って続けた。
『彼ら六人は、それぞれ違う立場から、死刑制度の反対を主張している。加害者にも人権がある、死刑制度は先進国の制度ではない……野蛮な後進国のやることだと言いたいのだろう。その他、人権を侵害する行為だといったもの、言い方は様々だが、人権を盾に、加害者を守ろうとしているという意味では同じだ。
私は、多様な意見があるのは良いことだと思う。弊害もあるが、言論封殺よりは遥かにマシだ。だが、彼らが自分たちの主張を理由に、死刑制度を廃止させようとする動きには、同意できない。無期懲役や終身刑では、何十年も税金で生活を賄うことになるし、刑務所内の”見た目”の態度次第では、仮釈放もある。そして彼らは、死刑制度に替わる刑罰も提案せずに、ただ廃止しようとする。それはなぜか?
私は、こう考える。
彼らは人間の善意を、性善説を信じているのだと。
たとえば外交において、抑止力があるからこそ平和であることや、外交交渉とは、軍事力を始めとする”力”を背景に置いた話し合いであること、そういった"現実"を無視した理想論を言うのと同じであると。だから、詐欺師だと分かっている相手を信じたり手を差し伸べたりと、信じ難いことをする。
面白いことに、死刑制度を廃止しようとする人たちと、話し合えば……たとえば、戦う意志を持たなければ攻撃を受けない、平和でいられるという平和教の信者は、同一人物であることが多い。
もちろん、外交に対する考え方がまともでも、死刑制度に反対の人もいるだろう。だが、傾向としてはそうで、今私の前にいる彼らは、死刑制度に反対で、外交についても、戦力を放棄すれば平和だと言う人たちだ。
大人がそんな陰謀論じみた物語を信じていることに驚きはあるが、何かしら信じる理由、あるいは、そう主張する理由があるのだろうし、信仰の自由でもある。
対して私は、人間の善意など信じていない。思いやりに溢れる人間がいる一方で、何の罪悪感も持たずに人を傷つける人間もいる。そういった人間に行動を思い留まらせるのは、話し合いではなく抑止力、やれば痛い目に遭うという現実だ。
ぶつかり男を例に取ろう。今でも存在するが、数年前に頻発し、ニュースでも取り上げられたものだ。ぶつかり男とは、駅の構内などで、女性にわざとぶつかってくる男のことだが、彼らがターゲットにするのは、一人で歩いている女性だ。二人以上の場合や、男と一緒に場合は避ける。
なぜか?
答えは難しくないだろう。女性二人以上、あるいは男が一緒の女性にぶつかれば、反撃を受けるか、騒がれて通報される可能性が高い。人生の不満を他人や社会のせいとしか考えない、ぶつかり男の主な目的は、日々のうっぷんを晴らすことだから、反撃はさらなるストレスになる。だから一人の女性を狙う。つまり、男や多人数という抑止力があるから、それがない女性一人を狙うということだ。
死刑制度においても、死刑になりたいから人を殺したという、一部の例外を除けば、捕まれば死刑になるというのは恐怖だろう。死刑制度が抑止力にならないという研究は承知しているが、もし殺人で逮捕され、死刑が確定し、独房に入れられ、ある日突然、君は今日死刑になると伝えられることを想像すれば、恐怖を感じると思う。
つまり、自分が死ぬときのことを具体的に想像させれば抑止力に繋がると、私は思っている。突然、今日死刑だと言われるのは人道に反するという人もいるが、死刑判決を受けるような犯罪者に、そんな気遣いは必要ない。未成年であっても、犯罪の内容によっては死刑になると分かっていれば、行動に歯止めはかかるだろう。少なくとも、未成年だから少年法が適応されるという、チープで幼稚な考えを抑制できる。もっと分かりやすく言うなら、こめかみに銃口を突きつけて、もし目の前の人を殺せば脳に穴が空くことになると言えば、大概は思い留まる。そういうことだ。
おおまかだが、私はそう考えている。そして、彼ら六人は私とは対極の考え方だが、それが悪いとは思わない。さっきも言ったように、意見は多様なほうがいいからだ。多すぎればまとまらなくなることもあるが、少なくとも対極の考え方を確認するのは必要なこと。
凶悪犯罪を抑止する代案を出さずに、死刑制度の反対だけを訴える彼らのそれは、信念なのか、別の何かなのか、そして、死刑制度の継続と廃止、どちらが妥当なのか。
ここで、その道筋をつけよう。
先に言っておくが、結果がどうなるにしろ、我々や彼らの言うことが100%正しいということはない。完璧な意見など存在しない。だが、ここで示されるだろう道筋をきっかけに、”現実”を理解し、議論が活性化することを望む。
以上だ。
我々と彼らの討論会は、日本時間の明日、9月30日、20時から開始する』
動画が終わると、北沢はもう一度、話している男を確認した。映像を拡大しても意味はなかったが、再生速度を下げてみたりして、身振りも観察した。
「……」
主張そのものは、相容れない。
そこだけを見れば、気の所為だったということになる。
そう、気の所為に決まっている。
しかし、身振りや声の雰囲気は、どこか懐かしさを感じる。
「青峰教授……」
青峰豪紀(あおみね ひでとし)。
悠真が大学生のとき、青峰は心理学の教授で、学業に熱心だった北沢は、青峰の家に呼んでもらったりして、個別に教えを受けたりもした。他にもそういう学生はいて、青峰は熱心な学生に対して、それが失われてしまわないようにと、自分の時間を削って教えていた。そんな青峰のことを、学生たちも慕っていた。
北沢が現在の職業……従業員のメンタルケアを行う社内カウンセラーをしているのも、仕事のストレスでおかしな方向に行かないように、話し合いを重ね、前向きにやっていけるように、働く人たちの手助けをしたいと思ったからで、それは、青峰からの指導の影響が大きい。
青峰は、いくつかの理由から死刑制度に反対だったし、犯罪者たちと向き合い、彼らが社会復帰する支援もしてきた。人を拉致するなんて、そんなことをする人間でもなければ、こんな暗く、恐ろしいことを言う人間でもなかった。
“あの事件”があってから、思い悩んではいても、信念は変わっていなかった。だから、この主犯の男が青峰であるはずはない……
北沢は、自分にそう言い聞かせ、納得させようとしたが、ある種の確信を拭うことはできなかった。
(違いますよね、先生……)
北沢は、何人かの友達にさりげなく、そういえば青峰教授ってどうしているかなとチャットしてみたが、大学を辞職してからのことは分からないと、誰もが言った。
チラリと時計を見る。23時近い。今日はどうにもできない……頭の中で、明日仕事を休むための理由を考え、スマホに書き残すと、ベッドに潜った。
確認するしかない。青峰の家に行って、本人に聞く……
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