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野良犬になったウル 第7話 包囲網【連載小説】

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大学を辞めると言って以降、直人は何も言わなくなった。食事の時間が一緒になっても、挨拶以外、大学の件どころか、日常会話すらしようとしない。元々そんなにお喋りな方ではないが、それでも夕飯を一緒に食べられるときは、最近はどんなことに興味をもっているのかとか、友達のことなどを聞いてきたものだった。それが今は、一切ない。

当然、一緒に食事をすると気まずい空気になるため、辰哉は食事の時間をずらすようにした。バイトがあるので、元々そんなに一緒に食事を取ることはなかったが、家にいるときでも、理由を作って時間をずらした。

「私にも何も言わなくなったよ、お父さん」

土曜日。
ウルを探すために、カーナビの履歴から当たりをつけた森に行くために、辰哉とひかるは電車に揺られていた。最寄り駅らしいところから、さらにバスを使って一時間ほど行かないと、目的地周辺にはたどり着けず、ちょっとした旅行ようだったが、目的が目的だけに、二人の表情に明るさはなかった。

「ごめんな、ひかるにまでそんなに影響が出るとは思わなかった」

辰哉は言った。

「私ももう子供じゃないし、大丈夫だよ、そんなに気にしなくて。ただちょっと……」

「ん?」

「お父さん、外には出さないけど、かなりショックだったんだろうなぁとは思う。辰にぃを責めてるわけじゃないよ。責めてるわけじゃないけど……」

「言いたいことは分かるよ」

辰哉は答えてから、窓の外を見た。

直人は、自分の家族のために必死で働いてきたし、今でも働いている。仕事でしんどいことも当然あるはずだが、子供の前では愚痴を口にすることもなく、黙々とやってきた。それを思えば、自分の発言は自分勝手なものかもしれない。大学の費用は親の金であり、強引に辞めるというのは、親の気持ちを無視した行動かもしれない。

しかし一方で、辰哉は自分の意志を尊重するべきだとも思っていた。親に感謝することと、親の言いなりになって道を決めるのは別の話。結局、自分の人生の責任は自分にしか負えないわけで、自分の考えに従うほうが後悔しない……それが、直人に話す前に辰哉が考え抜いた結果、たどり着いた結論だった。

「次の駅だね」

ひかるが言って、辰哉はハッとした。
外の景色はすでに、都会の装いを脱ぎ捨て、時間の流れすら違うように感じる。人工物よりも木々や畑、田んぼなどが目立ち、人通りも少なく、家と家の間隔も広い。

「次は~ 瀬倉丘(せくらおか)、瀬倉丘~」

車内アナウンスが流れて、一分ほどすると、目的の駅に着いた。
二人が知っている駅前とは異なり、雑踏や人工的な音があまりなく、映像で見るような田舎の駅そのものといった雰囲気で、心のざわつきが少し、鳴りを潜めた。

バスに揺られ、さらに一時間。
降りた場所は、広めの道路だったが、周辺にはほとんど何もない。伸びている小道に入っていくと、民家があるようで、その辺りに住む人以外、利用しないバス停なのかもしれないと思いながら、辰哉はスマホで現在地を確認した。

「今いるのが、西が丘前のバス停……道なりに少し歩いて、横に逸れるほうに行く感じだな」

「見せて」

ひかるが覗き込んだ。

「大きな道路が、今目の前に見えてる道だから……途中から横道に入るんだね」

「うん。じゃあ、行くか」

二人は、スマホのナビを確認しながら歩き、15分ほど歩いてから、バスが走っている道と分かれる横道に入った。車道は、上りと下りのように二つの車線に分かれているが、広くはない。左右には森が広がり、どちらもかなり広く、深く見える。

「このどちらかに、ウルがいる……?」

ひかるが言った。

「分からない。バスの道のほうにも、もう二つぐらいバス停を行くと、ここほどじゃないっぽいけど、別の森がある。それにこの辺りは、大小いくつかの森や林があるみたいだから……」

「山が多い地域だしね……」

「それでもまあ、調べていくしかない」

「うん」

二人は少しの間、道なりに歩き、歩きやすそうな場所を見つけてから、向かって左側の森に入った。バス停を降りてからの流れで、左側を歩いてきたから左からになっただけで、とくにこっちを選んだ理由はなかったが、スマホを見ていたひかるが、辰哉を呼んだ。

「どうした?」

「ねえ、これって、この森のことじゃない……?」

ひかるはスマホの画面を辰哉に向けた。
画面には、何かの記事が表示されていて、

“死体が発見された森 殺人事件の被害者? 未だ未解決の「西が丘の森遺体遺棄事件」”

というタイトルになっていて、辰哉は眉をひそめた。

電波が弱いのか、画像が表示しきれていないが、今の自分達の位置情報から考えると、今まさに自分たちが歩いている森、あるいは道路を挟んで向かい側の森で間違いなさそうだった。

「死体がっていっても、昔の話だろ? 今もあるわけじゃない」

辰哉はそう言ったが、あまりいい気持ちはしなかった。人工的な音がほとんどしない場所にいるせいか、妙な想像がポツポツと浮かんでくる。ひかるはキョロキョロと、視線をあちこちに動かしているが、ウルを探しているというより、何かに怯えているように見える。

「ひかる」

「わ……!」

声をかけると、ひかるは漫画のように両手を上げて驚き、顔を逸らした。

「な、なに……」

「ごめん、驚かせて……」

「いいよ、そんなの……」

「ただ歩いてても見つけるのは難しいと思う。名前を呼んでみようと思うんだけど、どうかな?」

「ウルって?」

「そう」

「うん、そうだね、なんか、静かにしてないといけないような気がしてたけど、呼んでもいいよね」

「よし、やろう」

二人は歩きながら、交互にウルの名前を呼んだ。
森の奥に吸い込まれていくように、声は虚しく響いていく。ウルがここにいるなら、届くはずだが、ふと、辰哉は怖くなった。

ウルがここにいて、声が届いたとして、こっちに来るとは限らない。来たとしても、自分を捨てた家族の一員である辰哉とひかるを、歓迎しないかもしれない。それどころか、敵視して、場合によっては襲ってくるかもしれない……

牙をむき出しにするウルを想像して、辰哉は首を横に振った。
ウルに限って、それはない。優しい性格だし、怒ったり、怯えたりすることはあっても、襲ってくるまではしない……

「……」

「辰にぃ、どうしたの?」

「いや、なんでもない」

曇り空というのもあるのだろうが、森の中はすでに日が落ちたような色で、不気味さが増す。それでも、歩いていると徐々に慣れてきて、二人はウルの名前を呼びながら、森の奥へと足を進めた。

「……そろそろ戻る時間を考えないとマズイな」

辰哉は、スマホを見ながら言った。

「バスは一時間に一本だし、バス停まで歩く時間もある」

「反対側の森はどうする?」

「こっちにはいないような気がするから、見ておきたいけど……今日全部見るのは無理だな。また別の日にしないと」

予想していたことだが、実際に歩く森は、想像を越えていた。どこに向かって歩けばいいかも分からないし、自分がどこにいるかも分からなくなる上に、思っていた以上に暗い。大きな木々に光が遮られ、曇り空も手伝って、夜道の一歩手前を歩いているような気がする。当然、道なんてものもないから、足元にも気を使わざるを得ず、ひかるもかなり疲れた顔をしている。

「戻るか、悔しいけど……」

辰哉がそう言ったとき、ガサっと音がして、二人は同時に、音がしたほうを見た。
数秒の沈黙。
と、何か動くものが視界に入ってきた。
ひかるは辰哉に身を寄せ、同じ方向を凝視している。

「犬……?」

数メートル先の木の影から、一匹の犬が、体半分ぐらいを出して、こちらを見ている。ウルではない、何かの雑種らしいが、秋田犬ぐらいの大きさがある。

「野良……?」

さらにもう一匹、反対側の木の影から、柴犬ぐらいの大きさの犬が歩み出てきた。どちらも首輪がなく、リードもついていない。周囲に人の気配はなく、野良で間違いなさそうだった。

「辰にぃ……」

二匹は、二人をジッと見たまま動かない。

「このまま、ゆっくり下がるぞ。背中を向けるな」

「え? うん……」

ひかるは辰哉の腕に自分の腕を絡めて、辰哉の足に合わせてゆっくりと、足を後ろに動かす。辰哉は二匹の犬から目を逸らさずに、視線を固定したまま、足元を確かめるように下がっていく。

二匹は、一歩歩み出たが、こちらに向かってくる気配はない。
徐々に遠ざかり、小さくなっていく。
やがて見えなくなると、辰哉は「ふぅ……」と息を吐き出して、少し落としていた腰をまっすぐにした。

「ビックリした……」

ひかるはまだ少し震えている。

「たぶんもう大丈夫だと思うけど、少し早足で行こう。空も怪しいし、早く森を出たほうがよさそうだ」

「うん……
ねえ、辰にぃ……」

「ん?」

「さっきの子たちも、捨てられたのかな……」

「分からない。でも、そうなのかもな」

街で、人が連れている犬を見ると、かわいいと感じる。たまにやたらと吠える犬もいるが、ほとんどは大人しく、危険を感じることはない。だが、先程のことを思い出すと、辰哉は手が震えた。

誰もいない森の中で、首輪もリードもしていない犬と遭遇する。小型犬ならそれほどでもなかっただろうが、秋田犬サイズとなると話が違ってくる。はっきりと、恐怖を感じた。もし襲われていたらと思うと、ゾッとする。二匹に一斉に襲われたら、ひかるを逃がすこともできなかったかもしれない。

「ここは、私たちの世界じゃないんだね……」

辰哉と同じようなことを考えていたのか、ひかるが言った。

「ああ。ここは、人間が優位を保てる場所じゃない」

陸の孤島というほど、町から離れているわけでもなく、車が通る道も面している。にもかかわらず、まるで無人島にでも来てしまったような不安が吹き出してくる。こんな場所にウルを……という思い以前に、命の危険を感じることになるとは、想像できていなかった。

ようやく森を出て、道路の前に立つと、自分がずっと緊張していたことに気づいた。一台、車が通っていき、ホッとしている自分がいる。街にいると、車がうるさいと思うことさえあるのに……

「辰にぃ、あっち側も見てみる? あんまり奥にはいけないだろうけど……」

ひかるに言われ、辰哉は頷いた。
先程のこともあるし、時間的にも奥まで行くのは厳しいが、少し入ってみるぐらいならできる。道路が見える範囲であればと、辰哉たちは道路を渡って、向かい側にある森に足を踏み入れた。

何が違う、というものでもない。見た目は同じに思える。だがどういうわけか、先程より緊張していない自分に、辰哉は首を傾げた。強いて言うなら、空気が違う。先程歩いた森は、何か良くないものがいるのではないかという気がしたが、こちらの森にはそれがなく、少し奥まで入っても大丈夫かもと思えたが、振り返って、道路が木に隠れてほとんど見えなくなると、立ち止まった。

「そろそろ戻るか」

「そういえば、ウルって呼ばなかったね、こっちでは」

「言われてみれば確かに……」

「呼んでみる……?」

「いや、暗くなってきたし、やめておこう」

周囲を確認しながら、二人はできるだけ静かに歩いて、道路に戻って来たときは、日はほとんど落ちていた。

「また次の週末かな……」

「そうだね……」

「とにかく、今日は家に帰ろう。なんか急に疲れが出てきたよ」

「私も。緊張が解けたからかな」

「バス停まで頑張ろう」

森の中を歩くよりゆっくりと、二人はバス停に向かった。足が重い。道のない森を歩いて、野良にも遭遇したせいもあるだろうが、ウルを見つけられるのだろうかという疑念が、足を重くしている気がした。

「バスはあと……13分ぐらいで来る。いいほうだな」

「そうだね、行ったばっかりだったら、一時間だもんね」

二人は、誰もいないバス停のベンチに腰を降ろして、ペットボトルの水を飲んだ。”ヒョコっ”と、ウルが顔を出したりしないだろうか……そう思ったとき、辰哉のスマホが鳴った。

-2-

ラミナたちとの片が付いてから、三日が経った。
森には静けさが戻っており、ウルの傷も順調に回復していた。まだ万全ではないものの、動くことはできるようになった。

『無理はするなよ』

朝。
水場から戻ってくると、レクスが言った。

『うん、分かってる。また迷惑かけたくないし……』

『そんなものは気にしなくていい』

レクスは、片は付いたと言っただけで、ラミナたちとの間で何があったのかは、話そうとしなかった。ただ、それ以降、ラミナの一味による嫌がらせはなくなり、ジョセフたちも日常を取り戻し、ブチは、ハンとノブを連れて謝罪に来て、また三匹で行動するようになっていた。

『雨だね』

木の幹で横になっていると、ポツンと、ウルの鼻に水滴が落ちた。二回、三回と落ちてきて、ウルは木の葉が傘になっているところまで体を動かして、落ちてくる雨を眺めた。

『レクス、ウル、いるか?』

ジョセフがやってきて、枝に止まった。

『どうした?』

レクスは、定位置の枝から降りて、ウルの近くに来た。合わせるように、ジョセフも枝から降りて、バサバサと、羽についた雨を払ってから、ウルの前に来た。

『この雨は強くなりそうだな。今日の餌探しは難儀するぞ』

『そんなことを言いに来たわけじゃないだろ?』

レクスが言うと、ジョセフは『まあな』と言って、続けた。

『ラミナの一味は、あっちの森で散り散りになって、実質動きはねぇ。何匹かはラミナと一緒にいるみてぇだが、まあ、また何かしてこようってことはねぇだろう。けど、別の問題が……いや、気になることがある』

『なんだ?』

『昨日あたりから、人間の数が増えてる』

『増えてる? どういう意味だ?』

『このあたりには人はほとんどこねぇ。たまに、集まって騒いでる連中もいるが、それぐらいだ。けど昨日から見かける人間は、みんな同じような服を着てる』

『その人間は何をしてるんだ?』

『特に何ってわけでもねぇ。車で来て、道の端に止めて、森の中を少し歩いて、出ていった。今日もさっき見かけた』

『なるほど、遊びに来てるってわけでもなさそうだな。同じ服装っていうのも気になるが』

『危害を加えるような雰囲気はねぇ。けどなんか、嫌な予感がするんだ』

ジョセフが言った。

『ラミナの一味が現れてから、増えだした人間か……』

『レクス、何か知ってるの?』

『いや、知ってるわけじゃない。ただ、何かしら関連があるような気がする』

『ラミナたちが何かしたってこと?』

『何かした……その可能性もあるが、おそらくは俺たちに何か仕掛けるためにやったことじゃない。理由は分からないが、結果的に人間が増えることになったのかもしれない』

『どういうこと……? ジョセフ、分かる?』

『いや。けど、レクスも何って分かってるわけじゃねぇんだろ?』

『ああ。ただジョセフの言うように、嫌な予感はする』

レクスとジョセフ。
ふたりが揃って嫌な予感がするということに、ウルは胃に何か詰まったような感覚を覚えた。何かが起ころうとしている、なのに、それが何か、まるで分からない……

『ひとまず』

ジョセフが言った。

『情報を集めてみる。人間の言葉は分からねぇが、行動から見えることはいくらでもあるからな』

ジョセフが飛び立ったあとも、レクスは一点を見つめて、その場に留まっていた。ジョセフの言ったことについて考えているのだろうが、なんとなく、話しかけづらい雰囲気を出している。こういうときは、話しかけないほうがいい……

ウルは、レクスから視線を外して、水場に降りる坂の横に立っている木を、じっと見つめた。何が起こっているのか、分からないなり考えてみる……そのうち、上げていた首は下がっていき、地面に顎がつくと、自然、目が閉じて、雨の音も遠くなった。

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