見出し画像

陰謀論ウィルス 第8話 深淵(連載小説)

※第1話リンク

-1-

休み前の仕事をきっちり終えた翌日、寧々は普段よりも二時間ほど遅く起きた。といっても、朝の8時で、疲れもあったため、寝すぎたという感覚はなかった。

いつものように朝食は食べず、ヨガ・ストレッチを一時間ほどこなすと、髪を後ろで結んで、コーヒーを淹れてからパソコンと向き合った。記事を書き、情報を漁り、本を読む。その繰り返しをしているうちに夕方になった。

普段体を動かす仕事をしているだけに、座りっぱなしの状態はどうだろうかと思ったが、目的が明確だからか、集中に問題はなかった。記事の反響は弱くなったものの、見てくれる人は一定数いて、そういう意味では悪くないのかもしれない。そう、悪くはない。だが、それだけ。

「え……なに、これ……」

記事を確認していると、一件のコメントに目が止まった。

『この人は、自分を陰謀論の被害者としてるけど、その件で国から見舞金を受け取ってて、旦那の生命保険も受け取ってる。それ目当てで事件に巻き込まれたって話も見たことある。信用できない』

「それ目当てって、何よ……私がお金欲しさに二人を殺したっていうの……?」

寧々は立ち上がって、両手で顔を覆った。

「はぁ……はぁ……」

立ち眩みがして、両手を膝に置いて体を支える。
倒れるように椅子に座ると、震える手でSNSを確認した。

『グリーンスクエア銃乱射事件は自作自演。助かった人間は雇われた役者なんだよ』

『生き残った人間は政府から金もらってる。その金の一部は、銃乱射した奴の家族に流れてる』

『あれは銃規制派のやらせだよ。あの日本人の女も金もらってんだよ』

「う……うわあぁぁぁぁぁ!!!!!」

寧々は奇声を上げて、両手が壊れるほど何度も机を叩いた。

「はぁ……は……はぁ、はぁ……」

呼吸に意識を向ける。
手がズキズキと痛む。

「う……うう……」

悲しみか、憎しみか、怒りか……何色か分からない涙が溢れて、体が震える。
日本政府は確かに、事件後の入院費や帰国の手続き、日本に戻ってからのカウンセリングの手配など、手を差し伸べてくれた。いくばくかの見舞金も受け取った。夫の生命保険金も受け取った。だが、それがなんだというのか。夫と娘を失い、人生を破壊され、それほどの犠牲を払って金を得たとして、そこにどんな価値があるのか。

事件の直後、アメリカで、自作自演だと言っている人がいるというのは知っていた。しかし、日本でも同じように考え、SNSやブログのコメントにまで書いてくる人間がいることに、寧々は体の震えを抑えることができなかった。

そういったコメントを攻撃するもの、寧々を支持してくれるもの、同情してくれるものもポツポツと出てきてはいるものの、そもそものビュー数が傷に見合わない。

(事件の被害者ってだけじゃ足りないの……? 記事の書き方? それもあるかもしれないけど、ワクチンのことで世間はまだ騒がしいのに、注目されるのはワクチンが危険かどうかばかりで、その後ろにある陰謀論の悪質さまで興味はないってこと……?)

ようやく落ち着いてきた頭は、事件の被害者という立場以外で、影響力を強くできる術がないことに気づいた。記事の書き方を改善しながら、地道にやっていく以外ない……しかしそれでは、また病院襲撃事件のようなことが起こってしまうかもしれない。

(影響力、影響力……)

「あ……」

寧々は立ち上がってリビングまで歩き、棚の引き出しを一段、二段と開けて、一枚の名刺を取り出した。

「……」

スマホを右手に、名刺を左手に持って、いざ電話をかけようとすると、躊躇う自分がいる。うまく影響力を強められたとしても、その先はもっと、暗い場所かもしれない……
和室の仏壇にチラリと目をやると、寧々は通話ボタンを押した。

(……出ない)

何度かコールしたあと、留守電に切り替わり、折り返しが欲しい旨を入れると、電話を切った。

一時間ほどして、折り返しがくると、寧々はすぐに出た。

『状況が変わったというのは、どういうことですか?』

国崎は言った。

「詳しくは、会ってお話できればと思います。そのときに、インタビューも受けます」

『……分かりました、伺いましょう』

「場所は……」

『こちらで選んでおきます。後ほどSMSを送りますよ。ランチでもしながら、リラックスしてお話しましょう』

国崎はそう言って、電話を切った。

-2-

寧々との通話を終えると、国崎はすぐに店を選び、SMSで送った。帰宅したときは、23時を過ぎていたが、そのままパソコンを開いて、イベントについてのメモを作成して、記事の草案を書いた。これだけでは弱いのは分かっている。向田と直接話せる、10万のイベントに出て初めて、記事は日の目を見るチャンスを得る。

午前2時近くまで作業をして、シャワーを浴びると、妻が寝ているベッドにそっと潜り込み、目を閉じた。

翌日は、少し遅いランチで、14時に設定し、30分前には店に着いた。
商業ビルに入っている静かめの店で、会話するのに適している和風レストラン。シートはソファのように繋がっているタイプで、一人一席の椅子はない。ボックス席の間は障子で仕切られており、二人がけのテーブル席もある。

店全体の色味も落ち着いていて、椅子は和紙のようなやわらかい白、テーブルはつややかな茶色で、天井には提灯型の電灯が、目に優しい灯りで店内を照らしている。メニューは一風変わっていて、巻物になっていて、広げると和風の文字で縦書きにメニューが書かれているが、達筆ながら、読みやすさも考慮されている。

(少し早いか。まあ席だけ押さえて、お茶でも)

店に入り、窓際の席を確保して玄米茶を注文し、半分ほど飲んだところで、寧々がやってきた。

以前見たときは肩甲骨が隠れるぐらいまであった黒髪はショートボブになっており、首につけたインフィニティのネックレスが、反射で少し光った。黒いブラウスに白いロングのタイトスカートに茶色のスタンドカラーコート、黒いフラットシューズと黒いハンドバッグという姿は、マンションの前でインタビューしようとしたときとは、ほとんど別人と言っていい。ただ一つ、左手首につけている、コートと同じ色のレザーブレスレットは、見覚えがあった。

「お呼び立てしてすみません」

寧々は言った。
向かい側の席に座り、じっと国崎の目を見る。そこには、以前のような怯えや敵意はなく、かといって、落ち着いているというふうもない。熱を感じるが、それがどこから発せられているのか分からない。

「まさか、ご連絡いただけるとは思いませんでした」

国崎は言った。

「ひとまず、食事を注文しませんか? この店は、鯖の煮付け定食と、鰆の塩麹定食が絶品です」

国崎が言うと、寧々は淡々と、「じゃあ鯖の煮付けにします」と答えて、店員を呼んだ。国崎は鰆の塩麹を頼み、残った玄米茶を一気に飲み干した。

「そちらは、話し合いをするべきだってことばかりで、あまり危機感をもっていないようですね」

寧々は、手をテーブルの上で組んで、真っ直ぐに国崎を見ている。そちらというのは朝丸新聞のことで、話し合いはワクチン騒ぎのことを言っているのだろうと、すぐに察した。確かに最近の論調は、ワクチンを推奨でも否定でもなく、主張というほど強いものがない。

「今、世間はそのことに敏感になってます。新聞が立ち位置をハッキリさせてしまうと、騒ぎを刺激しかねません。だから慎重になってるんですよ」

「反ワクチンは陰謀論です。なんの根拠もない、デタラメです。ワクチンの危険性を訴えてる医師も、注目を集めたいとか、知名度を上げて自分のポジションを押し上げようとか考えてる人間ばかりで、事実を重視してない。彼らは自分の発言によって、助かるはずの命が失われても構わないと思ってるんですよ」

寧々は、今まで聞いたことがないほど強い口調で言った。
一年前、事件直後にインタビューしたときでさえ、メディアに対して怒鳴ることはあっても、それは感情的な反応に近かった。だが今は、別の怒りが込められているように思えた。

「あなた方は、社会の公器ではないんですか? デタラメが広がって世間の人たちが迷惑してるのに、曖昧な態度を取り続けて、批判されないように当たり障りないことを言ってるように見えます」

「夢丘さんが、陰謀論に対して強い憤りをもっていることは、お察しします。しかし、私たちがハッキリとどちらかの立場に立った論調を打ち出せば、リスクもあります」

「あなた方も襲撃されるかもしれない、ということですか?」

「それもあります。でもそれよりも、立ち位置をハッキリさせてしまうことで、今よりも大きな対立を生んでしまうことになりかねない、ということです」

「国崎さん自身は、どう思ってるんですか?」

「私が、というのは?」

「今の発言、会社としての言葉ですよね? 会社の立場ではなく、国崎さん自身はどう思っているのか、それをお聞きしたいです」

「それを聞いて、どうするんですか?」

「これから話そうとしてることを、伝えるべきかどうかを決めます」

「つまり、私の個人的見解次第だと?」

「ええ、そうです」

「おまたせしました~」

食事が二人の前に置かれると、一度言葉は止まり、会話は料理についての雑談に変わった。和やかな空気になったとは言いがたかったが、食事の美味しさが、向き合ったときから二人の間にあった緊張を緩和して、お互いに肩の力が抜けたような気がした。

「夢丘さん、あなたは私に、何をしてほしいんですか?」

食後のコーヒーを注文して、ミルクと砂糖を混ぜながら、国崎は聞いた。

「その前に、国崎さんの意見を聞かせていただけますか?」

「ワクチン騒ぎについての、ですか?」

「そうです」

「私は、子供もいる身です。そして子供には、ワクチンを接種させました。当然、私も妻も打ってます。ここ何年も、インフルエンザにかかったことはありませんが、流行り方が例年と違うのと、今までのものとは違う型のようなので」

「なるほど」

「答えになっていますか?」

「ええ。でももう一つ、教えてください」

「なんでしょう?」

「国崎さんが記事を書くなら、どう書きますか? 現実的には、会社側の立場が優先されるから好きなようには書けないでしょうけど、もし自分が書くなら」

「それを聞いて、どうするんです?」

「この後の私の話と関係することなので」

ここから先は

1,978字

スタンダードプラン

¥630 / 月
初月無料
このメンバーシップの詳細

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?