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第2話 違和感【聖者の狂気】(小説)

-4- 違和感

「う……ん……」

真木泉水(まき いずみ)は、見直した記事のチェックを終えて、公開設定を済ませると、思い切り伸びをした。

ここ二日、追い込みのために自宅に籠もり、ノートパソコンと二人で濃厚な時間を過ごした。色気も甘みもない時間だったが、やりきった後の達成感は得難い。

「掃除機掛けるの忘れてた……」

フローリングの床に転がっている埃を見て呟くと、椅子から立ち上がってロボット掃除機のスイッチを入れた。化粧もせず、髪もボサボサ、ラフな部屋着のままでいるのは楽だが、このままではいけないと、妙な焦りも出てくる。もっとも、一週間も二週間もそのままでいるわけではないし、家に一人のときは、そんなものだろうと思いつつも、なんとなく鏡を避ける自分がいて、泉水は自嘲するように笑った。

「いい天気」

仕事部屋にしている、5.5畳の洋室を出て、リビングのカーテンを開けると、青空が広がり、太陽はてっぺんに到達しようとしていた。

「よし、今日は少しのんびりするか!」

自分に許可するように言うと、部屋着を脱いで寝室のベッドに放り投げ、風呂場に向かった。
シャワーを浴び、メイクをして、鏡の前で服を合わせる。仕事のときは、何を着ていくかということに時間を使わないように、三種類のファッションで固めているが、仕事以外となると、やはり服装は迷うし、それを楽しんでいる自分もいる。

「こんなとこかな。たまにはスカートもいいわね」

黒いプリーツスカートに、グレーのハイネック。首元にクローバーのネックレス、イヤリングは少し明るく大きい目のものを選んだ。黒いジャケットは少し地味に見えるが、バッグを白にしてバランスを取る。背中が隠れるぐらいの黒髪はアップにしてまとめ、ブラウンが混ざった落ち着いた赤の口紅を引くと、外に出た。

雲が多少出ているものの、青空の面積のほうが多く、風が心地いい。
ここ一ヶ月、ゆっくりと本を読む時間もなかったことから、読みたい本が週に一冊溜まっていたが、数日は時間ができるから、読むことができる……そう思うと、足取りも軽くなった。

(平日の昼間にしては、混んでるわね。昼時を過ぎたぐらいだと思うんだけど)

チェーン店のカフェを除き、足を別の方向に向ける。会社で働いていた頃は、昼食の時間が少し遅れると、店はわりと空いていたものだった。昼時に行くとカフェも混んでいて、ランチ難民となったことが何度かあるが、それから数年のうちに状況は変わったのだろうかと、ふと思った。もっとも、まだ近所の範囲で、判断材料としてはあまりに乏しいのだが。

(ここでいいかな)

隣駅のほうに向かって歩くと、テラス席のあるカフェが見えた。混み具合もほどよく、ランチもやっているらしい。
泉水は、少し強くなってきた風を避けるように、店内の窓際の席を選び、ペペロンチーノとサラダ、追加でクロワッサンを注文すると、本を取り出してテーブルに置いた。

(その前に……)

しばらくチェックしていなかったニュースを確認しようと、スマホを取り出してニュースサイトを開くと、物騒な見出しが飛び込んできた。

『桜田公園の刺殺体 リベンジポルノへの仕返しか』

都内でそんな事件があったことも知らなかったが、リンクを辿ってみると、それほど難しい事件ではなく、男女間のもつれという、殺人事件の動機としてはありがちなものだったが、リベンジポルノという言葉を見て、眉間に力が入った。

男が、付き合っていた女性の性的な写真や動画をネットに晒す行為で、自分を振ったことに対する逆恨み、あるいは別れ話を持ち出した相手を思い留まらせるためなど、自分勝手な理由のために行われる、明確な犯罪……

そんな写真を撮らせる女性側にも問題があると言われることもあるが、それは筋違いだと、泉水は思っていた。もちろん、軽率にそんなものを渡すべきではないが、少なくとも付き合っているときは、お互いに信用があったはずで、写真や動画を撮らせるという行為は、その信用のもとに成り立っている。それを、別れることになったからといって脅しに使うのは、その行動に問題があるのであって、女性側の自業自得という類のものではない。

(そもそも、そんなことするような男だから振られるのよね。自分が持ってる宝石が他人の物になるぐらいなら傷物にしてやるってところかな。みっともない男。魅力ゼロどころかマイナスね)

記事によれば、容疑者となっている女は、日常的にDVをされ、リベンジポルノにまで至り、耐えきれなくなって殺害したと思われるとある。だが、その後に続く文章に、泉水は眉を潜めた。

『一見するとかわいそうな女性に見える容疑者だが、以前から男関係が激しく、これまでにも複数の男に同様の写真や動画を撮らせていたと見られ、被害者はそのうちの一人に過ぎなかった』

(あくまでも悪いのは加害者側って言いたいわけ? 殺人がいいとは思わないけど、脅したのが悪いってことにはならないの? 週刊誌ってほんと……)

『それでも、リベンジポルノという恐怖から身を守るための正当防衛だと考える読者もいるだろう。しかし、弊誌が調べたところによると、実は容疑者のほうがそれらの写真を使い、私と別れるなら、この写真をネットに載せて、被害者がリベンジポルノをしたと触れ回ると言ったという話もある。つまり、別れ話を持ち出したのは、殺害された八木沢のほうであり、加害者側がそれを撤回させるために写真や動画を使ったということだ。もし言葉通りのことが実行されていたら、八木沢は逮捕されていたはずで、そうなれば、別れ話は撤回せざるを得ない。それが本当なら、正当防衛とは言えないのではないだろうか』

(なんなのこれ……現時点で警察が発表してる内容と全然違う。弊誌が調べたところって、本当にちゃんと取材したのか怪しいわね)

仕事モードに切り替わって、記事に見入っていると、料理が運ばれてきた。

「あ、どうも……」

目を丸くしている自分が少しおかしかったが、スマホを裏にして置き、パスタを口に入れると、再び休日モードに切り替わった。

(おいしい! でも一番はこのクロワッサンね。テイクアウトできるのかな)

もぐもぐと口を動かしながらも、頭の片隅では先程の記事のことが残っていて、十分に食事を楽しめていない自分がいることに、小さなため息が出た。
それでも、一つひとつの料理を味わい、店の名前と料理、食べた感想を手帳にメモすると、テーブルに置いた本を取りかけたが、あの記事を確認するだけと頭に過って、スマホを手に取った。

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