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人面犬とハーメルンの噂 /第8話 日向子の行方(伏見警部補の都市伝説シリーズ)/連載小説

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第8話 日向子の行方

-1-

日向子は、目を覚まして視界に入ってきた光景に、思わず立ち上がった。

「痛い……」

こめかみのあたりがズキズキする。知らない場所、鉄の壁で覆われていて、暗い。記憶の中にあるどの場所とも一致しない、無機質な空間。床も鉄で、徐々に目が慣れてくると、錆びているところが目に入った。

かすかに、体が揺れているように感じる。ズキズキと痛む頭が、正常を奪っているようで、目覚めているはずなのに、今が現実であるという感覚がしない。

「先生に連れられて、カウンセラーっていう人のところに言って……」

思い出せるのはそこまでで、なぜ眠ってしまったのか分からない。今、自分がどこにいるのかも。

徐々に頭痛が収まってくると、怖さが膨らんできて、立ち上がった瞬間にクラリとして尻もちをついた。何が起こったのか分からないものの、漠然と、良くない状況なのは分かる。不安が押し寄せてきて、ふらつく足に力を入れて、部屋の入口らしいドアまで歩き、ドンドンと叩いた。

「助けて!! お母さん!! 遼くん!! おじちゃん!!」

誰もいない。
誰も答えない。

何度も叫んで、手が赤く腫れて、滑り落ちるように膝をつくと、大声で泣いた。自分がどうなるのか、ここがどこなのか……走った後でもないのに、呼吸が早くなり、過呼吸になって「ゲホゲホ」と咳き込んで、膝を抱えた。

「助けて……」



-2-

「子供の失踪、ですか?」

伏見は聞いた。

『どうもその子は、人面犬の知り合いらしくてね』

「アイツ、子供の知り合いもいるんですか」

『まあそこは、偶然もあったようだけど、詳しくは今度、本人に聞いてもらうとして、人面犬の話だと、その子は誘拐された可能性が高いらしくてね』

仁は、人面犬からの話を伏見に聞かせた。

「そのカウンセリングルームは、すぐに調べます。警察に届け出が出てるなら、もう動いてるはずですが……」

『人面犬も、その子の行方を追ってる。だからハーメルンの件は少し待ってほしいということだよ』

「それは構いません」

『私も情報を集めてはいるけど、今のところこれといったものはなくてね』

「もし、その子を誘拐したのがハーメルンなら……」

『何か、そう考える理由があるのかい?』

「いえ、そう思いたい……そう考えてしまっているだけかもしれません。とにかく、今井日奈子ちゃんの件については、調べます」

『ありがとう、伏見さん。私か人面犬のほうで何か分かったら連絡する』

「お願いします」

伏見は通話を終えると、急ぎタクシーで警察署に戻り、失踪の件を確認した。

「確かに、届け出がきてますね。届け出てきたのは、担任の教師で、前谷静佳。今のところ、校長先生と今井日奈子の母親以外には伝わっていません」

担当の刑事が言った。

「母親と話は?」

「まだです。何しろ届け出が出たばかりで。仕事を切り上げてこっちに来るとのことだったので、あと一時間もしたら到着するかと」

「担任教師のほうは?」

「怯えてしまっていて、あまりしっかりと話は聞けませんでしたが、今井日奈子の精神面に心配なところがあって、カウンセラーとのところへ連れて行ったそうです。その件は、母親も承知してます」

「それで?」

「カウンセラーとは一対一で話すので、前谷は部屋の待合室で待っていたそうです。カウンセリングは一時間、待っている間にウトウトしてしまったらしいんですが、起きたら時間を過ぎていて、受付の女性に聞いたら、母親が迎えに来て帰ったと言われて、おかしいと思って外に出たら、知らない車に乗っている今井日奈子が見えて、追いかけたら殴られて……ということのようです」

「それはいつの話だ?」

「今日の夕方……より少し前ですかね。17時前のことらしいので」

「カウンセラーのところに人はやったか?」

「はい、今頃話を聞いてるはずです」

「母親の話すとき、俺も同席していいか?」

「え? ええ、もちろん。何か、伏見警部補の事件と関係があるんですか?」

「分からないが、念の為な」

40分ほどすると、今井日向子の母親、今井理恵が警察署に駆け込んできた。

「日向子は……日向子は見つかったんでしょうか!?」

「落ち着いてと言っても難しいと思いますが、話をしましょう」

伏見は理恵を応接室に案内して、お茶を出した。

「座って話してる場合ではない、すぐに娘を見つけてほしい……そう思うお気持ちは、分かっているつもりです。ですが、日向子さんを見つけるためにも、情報が必要です」

伏見は静かに言った。

「日向子さんを見つけるために、協力してください」

前のめりになっていた理恵は、伏見の言葉を聞いて、ゆっくりと、肩を上げて何度か深呼吸すると、視線を上げた。

「学校が契約してるカウンセラーのところに行くという話は、担任の前谷先生から聞いてました。連絡を受けたときは仕事中だったんですが、留守電を聞いて……日向子も同意したとのことだったので、特に気にしませんでした。今までも、前谷先生は何かと気をかけてくれていましたし……」

「次に連絡があったのは、事件の後ですね?」

「はい……」

「先生はなんと?」

「かなり動揺していて、端的にっていうか、箇条書きみたいな話し方だったんですけど、日向子をカウンセリングに連れて行ったら、誰かが連れて行ってしまった。自分はうたた寝してしまっていて気づけなかった、本当に申し訳ないと、何度も謝られて……」

「連れて行った誰かというのは、お母さんを名乗った何者かということですね」

「そうだと思います……そんなようなことも、言ってましたし……でも私は何も知りません」

「カウンセリングルームには、人をやってます。彼らの話を聞ければ、もう少しそのときの状況が分かるでしょう。他には、何か気づいたことなど、ありませんか? 日向子さんの様子とか、なんでもいいです」

「特には……最近少し、帰ってくるのが以前より遅くなることが増えましたけど、その分前よりも元気になった気がしてたぐらいですね。遼くんっていう友達ができたとは聞いてたので、その子のおかげだと思ってます。
……あの、刑事さん」

「はい」

「日向子のランドセルは、見つかってないでしょうか」

「ランドセル? ええ、今のところは」

伏見は視線を横に向けたが、隣に座っている刑事は首を横に振った。

「ランドセルに何か?」

「位置情報が分かるキーホルダーが、ランドセルについてるんです。見た目は普通のキーホルダーなんですけど、私のスマホで確認できて……」

理恵はアプリを立ち上げて、伏見たちに見せた。

「……今は反応してない?」

伏見が聞くと、理恵は頷いた。

「先生から連絡を受けたときには、もう何も……」

「端末の位置を調べましょう。サービス提供してる会社の情報を教えて下さい」

伏見はその場で、サービス提供会社に連絡し、警察の捜査に必要なことだと説明、すぐに場所を確認してもらうと、カウンセリングルームで信号が途切れていることが分かった。時間帯も、担任が言っていた時間の範囲と一致する。

「お母さん」

伏見は言った。

「日向子さんの行方は、まだ分かりません。でも必ず見つけてみせます。
今は……自分も何かしなければという思いしかないと思いますが、日向子さんを見つけ、もし事件性があるなら助け出すのは、警察の仕事です。連絡だけは取れるようにしていただき、家で待っていてください。もし何か、他に思い出したことがあったら、私に連絡を」

伏見は名刺を差し出すと、

「俺はカウンセラーのところに行く。防犯カメラの確認をサイバー課へ依頼しろ」

と、一緒にいた刑事に伝えて、部屋を出た。

「私はいつもどおりカウンセリングをして、送り出しただけです」

カウンセリングルームTOKITAの代表兼カウンセラー、時田(ときた)は、うんざりしたように言った。伏見が到着したとき、先に着いていた刑事二人との会話があらかた終わっており、もう一度話をさせられたことに対する不快感もあるだろうが、非常事態に当惑し、疲れているようにも見える。

「今井日奈子を連れてきたのは担任の教師です。親が来たからといって、なんで連れて帰ることを承諾したんですか?」

伏見が聞くと、時田はため息をついて、

「それもさっき話ましたけど、日向子ちゃんが一緒に帰ると言ったからですよ。お母さんのほうも、眠ってしまっている先生を起こすのも悪いからというので……受付の子にも聞いてもらえれば分かりますよ」

と言った。

「だとしても、うたた寝ぐらいなら軽く声をかけてもよかったのでは?」

「声はかけましたよ」

時田は言った。

「私も、受付の子も。でも起きなかった。だからしかたなく……」

「妙ですね。どんなふうに起こしたのか分かりませんが、横になっていたわけでもない、壁により掛かるようにしていたのに起きないなんて」

「そんなこと言われても……」

時田は本当に戸惑っているように見える。
本当に何も知らない? 一瞬そう思ったが、構わずに続けた。

「もう一つ、確認させてほしいことがあります」

「なんです? もうクライアント二人に日程の変更をしてもらいました。まだ私の時間と仕事を奪う気ですか?」

「日向子ちゃんのランドセルが、ここで消えてるんです」

伏見は床を指差した。

「ここって……このカウンセリングルームで、ってことですか?」

「そうです。あなたが日向子ちゃんをカウンセリングした、ここです」

「知りませんよ!!」

時田は怒鳴った。

「いい加減にしてください!! 私は何も知らない! 怪しいのは母親を装って彼女を連れて行った人でしょう!」

「装ったところで、日向子ちゃんが付いていくとは思えません。自分の母親と似ているからって、間違えると思いますか?」

「いや、それは……しかし……!」

「調べさせてください」

「令状は? 調べるなら令状を見せろ!!」

「必要なら取りますよ。でも、そんな大げさなものじゃない。装置の故障の可能性もありますが、念の為調べさせてほしいだけです。それとも、調べられると何か不都合があるんですか?」

「ないよ! そんなもの……」

「では失礼します」

伏見は、先に来ていた二人の刑事、塚本と阿部に指示して、自分もカウンセリングルームを調べ始めた。本棚、水槽の裏、棚の中、どこを調べてもランドセルは見当たらず、時田の顔が、心做しか落ち着いてきたように見える。

「ほら? ないでしょ。だから……」

「伏見警部補」

塚本が手を挙げた。

「ここ、見てください」

塚本の足元を指差して、右足で2、3度、床を押した。芝生色のカーペットが、少し軋み、その下に何かあることを示している。

「……地下室か、荷物入れといったところか」

伏見はしゃがんで確かめた後、時田を見た。

「開けさせてもらいます」

「いや、そこは……!」

カーペットをずらすと、剥き出しになった無機質な床に、取っ手が見えた。近づいてきた時田を無視して、力任せに持ち上げる。

「なるほど、これは興味深い」

「……ぐ、く……」

地下室と呼べるほどの広さと深さはなく、物置といったほうがしっくりくる、約二メートル四方のそこには、赤いランドセルと、書類やノートパソコンが置かれている。

「ランドセル以外のものも、調べる必要がありそうですね。令状は取りますので、ご心配なく」

伏見が言うと、時田は顔を真っ赤にして、

「横暴だ!! こんな勝手許されるはずがない!!! 警察の横暴だ!!」

とまくし立てた。

「じゃあ、ネットで騒ぎにでもしてみますか?」

伏見は言った。

「困るのはあなたのほうだと思いますが」

伏見はランドセルを収納スペースから出すと、写真を撮った。中を確認すると、今井日奈子と書かれたノートや教科書が入っていて、GPS付きのキーホルダーも見つかった。床に叩きつけでもしたのか、本体は割れていて、反応がない。

「さて、時田さん。お話を聞かせていただけますか? このランドセルについて」

「私は何も知らない。黙秘する」

時田は椅子に座って、何を聞いても口を開かなかった。受付の女性は何も知らないようで、念の為連絡がつくようにしておくことと、街から出ないようにということだけ伝えて、伏見は令状を取る手配を進めた。

(時田が失踪に関係しているのは間違いないけど、このまま沈黙に付き合うのも……一度署に戻って監視カメラの件を……)

結局、時田は黙秘を続け、任意で連行された。
カウンセリングルームは休業扱いとされ、翌日に令状が出ると、捜索が始まった。

防犯カメラの映像には、日向子と母親らしい姿を映した部分が残されていたが、人物を特定できるほどの情報はなく、その日は進展がないまま過ぎて、真栄城が約束した日になった。

『伏見さん、テレビ見れますか? ネットニュースでもいいです。動画のほうで』

伏見は、日向子失踪について気になることがあり、TOKITAに来ていたが、スマホが鳴って、手袋を外した。

「どうした?」

『とにかく、見てください』

伏見はプライベートのスマホを出して、動画サイトを開いた。

「……」

そこには、警察に守られながらフラッシュを浴びている一人の少年が映っていた。テロップを見る限り、四ヶ月前に失踪していた少年が突然帰ってきたということらしい。

(真栄城……)

『真栄城って、LTPのCEOも記者会見を開いていて……』

伏見は、谷山の説明と、確認した少年と真栄城の会見を頭の中でまとめた。
真栄城は約束通り、少年を解放して親の元へ返した。少年が言うには、家出して、金持ちそうな家を探して歩き、帰宅してきた真栄城に声をかけて、自分は親がいないから保護してほしいと助けを求め、警察に行くなり、児童養護施設に入るなりする必要があると言われたが拒否。真栄城は勢いに負け、少年の話を聞き、家に置くことにした。時間を置いてもう一度話そうと考えていたらしい。

その後、両親が健在であることが分かり、もう一度話し合い、子供は両親の元へ帰ることで同意、今回の結果になったとのことだった。

(これで世間や警察が納得するか分からないが、子供のほうが何も言わなければ、このまま時間ともに忘れられていくかもしれない。でも真栄城の立場からすると、しばらく騒ぎは続くか。あるいはCEO退任も……)

『伏見さん、それと……』

電話中だったことをすっかり忘れていた伏見は、谷山の声を聞いて苦笑いした。

『電話してること忘れてましたよね……?』

「なんで分かった?」

『空気です、なんとなくの。考えに集中してる気がして』

「おまえは俺のファンか」

『何を言ってるんですか。そんなことより、佐伯と話せました。ちょっと長くなるので、署に戻れますか? 伏見さん今、TOKITAにいるんですよね?』

「ああ、すぐに戻るよ」

伏見は、一緒に来ていた塚本と阿部に後のことを頼んで、警察署に戻った。
すべてが繋がるなら、猶予はない。



-3-

「伏見さん、すぐに戻るって」

通話を終えた谷山は、木野に言った。

「会議室取っておきましょうか?」

「そうだね、お願いできる?」

「はい、すぐに」

木野は自分のデスクに戻って、パソコンから会議室の予約を済ませると、場所を伝えてから、準備してきますと言って捜査一課を出た。

谷山が、佐伯から聞いたことを整理してまとめ終わった頃、伏見が戻ってきた。

「お疲れ様です、伏見さん」

「おつかれ」

「真栄城から連絡は?」

「いや、ない。子供を返して、これからだろうな。辞任するかどうか分からないが、謹慎みたいな形で一時的に表から引いて、その間にハーメルンについて調べるつもりかもしれない」

「なるほど……」

「でもそれ以前に、今ある情報と佐伯の話が繋がるかもしれない」

「僕もそう思ってます。木野ちゃんが会議室準備済みなので、そっちに行きましょう」

谷山がパソコンを持つと、伏見は、

「悪い、先に行っててくれ。俺は鑑識に用がある」

と、歩いていってしまった。

「会議室3-2です」

場所を伝えると、伏見は右手を上げて部屋から出ていった。少し遅れて、谷山も部屋を出て、会議室に向かった。

「あれ、谷山さん一人ですか?」

木野が言った。
会議室のテーブルには、モニターと繋ぐケーブル、席の配置、飲み物まで用意されている。

「伏見さん、戻ってきたんだけど、鑑識に用があるって。すぐに来ると思うけど」

「鑑識……」

「たぶん、女の子が失踪した件の絡みだと思う」

「照井の件と関係がある?」

「分からないけど、伏見さんはその可能性を考えてると思う。僕も、気になってる」

「……」

「お待たせ、悪いな、時間取らせて」

伏見は入ってきて、木野に準備のお礼を言ってから、椅子に座った。

「鑑識のほうは?」

谷山が言った。

「あとでまとめて話す。先に佐伯のことを聞かせてくれ」

「そうですね、分かりました」

谷山がパソコンとモニターを繋ごうとすると、木野がカチっとHDMIを差し込んだ。

「ありがとう、木野ちゃん。
今画面に映ってるのが、佐伯に聞いた話を元に、他との関連性をマップ上にしたものです」

伏見は、佐伯の息子と真栄城が線で繋がれ、「?」がついているのを見て、腕を組んだ。

「その二人、何か関係があったのか?」

「順を追って説明します」

谷山はマウスを動かしながら続けた。

「まず、照井が殺された夜、佐伯が公園の近くにいたのは、偶然ではありませんでした」

「……真栄城が来ることを知ってたのか?」

「はい。佐伯は、息子の行方を探す中で、独自の情報網を作り上げていったようです。情報屋との繋がりも多い。それらの情報を集めて、真栄城の動向を探っていたようです」

「それが、例のファイルに真栄城の名前が入った理由か」

「はい。真栄城を疑うもっともな理由もあります」

「なんだ?」

「佐伯の息子が失踪した当時、何人か容疑者がいて、佐伯自身も疑われました。全員証拠不十分でしたが、もう一人、記録から消された容疑者がいたんです」

「真栄城が?」

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