Footloose 80年代はアメリカのサントラブーム🎵
こんにちは、Hideです。
この前は、1970年代の外国のROCKを取り上げてお話ししました。
今回は時代が80年代に入り、音楽業界も大きく変化していった様子を、当時10代〜20代でリアルタイムで観聴きして感じた事をお話ししていきます。
音楽は映像により作品の世界観を広げていきました。
ROCKもマニアのものだけではなく、今まで聴かなかった人にも普通に楽しメル音楽になりました。
今回は、そのきっかけとなった、全世界にヒット曲を多く生んだ、映画のサウンドトラックブームのお話をしていきます。
80年代に入りソニーから発売されたカセットテープを持ち歩いて良いサウンドで聴けるウォークマンが発売になりました。
街を歩く若者達は皆腰にウォークマンをつけて頭にはスリムなヘッドホンでそれぞれ好きな音楽を聴くのが格好良かった時代でした。
1980年代初頭 プロモーションビデオがオーディエンスを変えていった
1981年MTVというアメリアのケーブルテレビが設立され、24時間アーティスト達のプロモーションビデオが流されていました。
現在のミュージックビデオの先駆けでしたね。
当時は、曲の宣伝の為に作られたのがプロモーションビデオでした。
読んで字の如く、販売促進用動画ですね。日本語で呼ぶと堅苦しい感じがしますね(笑)
曲の宣伝用の為に制作されたビデオも、マイケルジャクソンの「スリラー」によって、プロモーション用としての枠を超えた作品になりました。
まるでドラマか映画の様な…
ミュージックビデオ自体が、一つの作品となりましたよね。
スリラー以来、単なる宣伝用動画ではなくストーリー性を持たせ、曲のイメージを大きく拡大できる映像が多くなりました。
アーティストが作るプロモーションビデオが一種の社会現象にもなりました。
1984年アメリカ映画の「フットルース」はプロモーションビデオから派生し、音楽を聴かせるミュージカル映画みたいでした。
ケニーロギンスやデニーズウイリアムスの全米No.1ヒットを生み出しました。
多くのアーティストが、それぞれの曲が映画のサウンドトラックとして使われ、シングル版としてリリースしヒットチャートを大いに賑わせました。
1984年5月にリリースされた、「フットルース サウンドトラック」は通算18週1位に輝きました。
映画としては、評論家達からは酷評されましたが、配給収入で全世界で15億円を記録してヒット作品となりました。
アカデミー賞においても歌曲賞にもノミネートされました。
私が凄いと感じたのは、サントラ版に人気アーティストのシングル曲が、びっしり詰まっているのです。
フットルースは9曲入りだったので、シングルレコードを9枚買わなくても楽しめるのです(笑)
ネットで配信やSpotifyなんてない時代です、CDすら一般に普及していない。
現代では、企画版として、様々なコンセプトのアルバムが出ていますが、昭和の時代において映画のサントラは、場面を思い出して余韻に浸るものでしたが、フットルースは、こんな曲が聴ける映画を観に行こうか〜みたいにさせてくれる感じだったのです。
映画は観なくても、サントラだけは聴いた!って人も同世代で多くいたと思います。
画期的でしたよね。その以前にも「サタデーナイトフィーバー」や「フラッシュダンス」もビージーズや、アイリーンキャラ・ドナサマーなどを配して、ヒットしたサントラ版はありましたが、フットルースはもう桁違いの反響でしたね。
音楽が先か映画が先か〜どちらが先に作られたのかわからない感じでしたね。
一見明るく見えた80年代でしたが、まだ閉塞感も残っていて、そこを打ち破るのに足掻く若者達が立ち上がり始めた時代で、”今までの古いものを壊して、楽しもう”って時代でしたね。
その中で私も自由を求めて、大人達と戦っていたのです。
ストーリーは都会から引っ越してきた少年が、転校したハイスクールでダンスパーティを企画するが、保守的な大人達から反対を受けて対立する…
私が中学時代に文化祭で初めてエレキギターを持ち込んでロックをやろうとして先生と揉めた事を思い出しました。
映画「フットルース」のストーリーもまたそんな内容でした。
観て聴いて歌って踊れる 80年代はそういう音楽に心を揺さぶられた
1984年に日本では”盗んだバイクで走り出す〜🎵”なんて尾崎豊の”十五の夜”が注目を集めた頃で、アメリカの若者も同じ気持ちだったのですね。
プロモーションビデオを観て、レコードを買って、ディスコでレコードで聴き覚えた曲を踊る。
レコードはカセットテープにダビングしました。さすがに直径30cmあるレコードは持ち運びながらとか車内ではかけられませんので(笑)
彼女とのデートには、自慢の車とカーオーディオでガンガンかけて、夜景の綺麗な場所へドライブに行く。
80年代の若者のお決まりの楽しみ方ですね。
ちょうど19歳の頃でした😃青春でしたね( ◠‿◠ )
車の免許も取得して、それまで行けなかった場所にも、大好きな音楽と一緒に遊びに行けました🚗
あの頃が一番楽しかったなぁ〜🎶
その時期の「フットルース」のサントラ版は、まさに青春のシンボル的なアルバムでした。
ヒット曲満載 収録曲リスト🎵
Footloose (Original Motion Picture Soundtrack) ’84全米ビルボード200チャートで1位獲得 VARIOUS ARTISTS
A面
①Footloose / Kenny Loggins ビルボードHOT100 ’84,3,31〜4,14 No.1
②Let's Hear It for the Boy / Deniece Williams ビルボードHOT100 ’84,5,26 No.1
③Almost Paradise... Love Theme from Footloose / Mike Reno & Ann Wilson ビルボードHOT100 No.7
④Holding Out For A Hero / Bonnie Tyler
B面
①Dancing In the Sheets / Shalamar ビルボードHOT100 No.17
②I'm Free (Heaven Helps the Man) / Kenny Loggins ビルボードHOT100 No.22
③Somebody's Eyes / Karla Bonoff
④The Girl Get Around / Sammy Hagar
⑤Never / Moving Pictures
発売当時のレコードから収録曲を掲載しました。
1998年にフットルース15周年記念コレクターズコレクションで新たに3曲と「ダンシンインザシーツ」の12インチシングルバージョンを加えたアルバムがリリースされました。
⭐️私的アルバム評
オープニングのケニーロギンスからノリの良いギターフレーズで始まる軽めのロックンロールで、おっきたぞって感じがし、2曲目のデニースウィリアムスのR&B風のダンスナンバーでウキウキ感でいっぱいになったところで、男女のデュエットの「パラダイス」で恋のムードで溢れました。
その次が、このアルバムでは激しい攻撃的なロック調のハスキーボイスでボニータイラーが歌う「ヒーロー」で決まり…(何が〜笑)
ほぼA面で聴いてる若者は高揚感爆上がり状態でした。
ドライブで聴く時は、カセットテープをB面にしてじっくりと余韻を楽しみながら後の5曲を聴くみたいな〜感じでした。
当時、誰がレコードの曲順を決めたかは知りませんが、私の感想のようにA面で心を掴んで離さない演出にしたのではないかと予想されます。いや間違いないでしょう。
1曲目のフットルースとレッツヒアボーイが全米1位を獲得するくらいヒットしています。
3曲目に当時売り出し中のバンドであるラバーボーイのマイクレノと同じくロックバンド、ハートのボーカリストのアンウィルソンの「パラダイス〜愛のテーマ」こちらもヒットしました。
日本の音楽業界にも影響を与えた サントラ版のヒット
4曲目の「ヒーロー」は日本では、麻倉未稀がドラマの主題歌としてカバーしてヒットさせました。
「ネバー」も元ピンクレディーのMIEがカバーしてヒット。
その何年か後に、日本映画でも人気アーティストのヒット曲を一つの映画の中で使用して、映画も曲もヒットしました。
サザンやユーミンの曲をふんだんに起用した「私をスキーに連れてって」や「彼女が水着に着替えたら」、80年代の洋楽をフューチャーした「波の数だけ抱きしめて」などがそれです。
日本の音楽にも大きな影響を与えたわけですよ。このアルバムは。
映像と音楽が上手く融合され始めた頃だったのです。
それまでは、サウンドトラックは、あくまでも映画の為のものであり、重要な役割をしていたことは間違いありませんが、サントラが通常のアルバムと同じくらいヒットチャートを賑わすなんて、当時では画期的なことでした。
その後もドラマや映画のサントラアルバムがヒットするなんてことも珍しくなくなってきました。
振り返ると、現代の音楽に至るまでの経緯というか、辿った歴史を感じます。
その変化の渦をリアルタイムで見聴き出来た私はラッキーですよね。
とにかく80年代は時代の転換期で、古いものとの衝突もありながら、カラフルな明るさが似合う煌めいてた時代だったと思います。
「フットルース」は80年代を象徴する映画と音楽でした🎵