永ちゃん 日本武道館150回公演達成おめでとうございます🎤
こんにちは、Hideです🎵
先日12月14日、日本武道館にて矢沢永吉氏の150回目のコンサートが行われました。
1977年に日本人ロック歌手として初の武道館公演を成功させてから、46年間コンスタントに毎年恒例ライブとして続けてもう150回目になるんです。
YAZAWAファンとしては、区切りの150回公演達成はとてもめでたく感じております。
永ちゃんが27歳の時からスタートした武道館ライブですが、74歳の現在でもパワフルにステージをこなしています。
凄いのは、以前と変わらずきっちり2時間やるところです!
クラブトンなんかは、随分と演奏時間が少なくなったと聞きますが…
昨年、国立競技場で観ましたが、アンコール含め2時間もの間、観ている側を魅了してくれました。
確かに、ステージ上での動きは少なくなりましたが、それでもステージを駆け回り、声も衰えていません。
驚くのは、歌唱力が格段に増しているというところです。
衰え知らずの永ちゃんですが、今年の夏にはフジロックにも出演して、マイクターン2回転を披露し、初めて観た若いオーディエンスをも驚愕させました。
実際フジロックを観に行った若者から聞いた話です。
今回は、私の知っている限りで、武道館の歴史を振り返りながら、永ちゃんファンである熱い思いを語っていきたいと思います。
1977年(昭和52年)8月26日 日本のロックの歴史が変わった
日本人ロックソロシンガーとして初の武道館公演を成功させた矢沢永吉氏ですが、永ちゃんの話をする前に武道館においてのライブの歴史を紐解いていきましょう。
日本武道館は、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの柔道の競技場として同年10月5日に開館しました。
名前の通り、柔道や剣道といった日本の武道の聖地であります。
コンサート会場としては、1965年(昭和40年)7月に日本フィルハーモニー交響楽団が世界的有名な指揮者を迎えて行ったのが、武道館を使用した初公演となっています。
ポピュラーミュージックとしては、ビートルズが1966年(昭和41年)6月〜7月にかけて3日間の公演を行ったのが最初です。
武道館で行われた初のロックコンサートとしてはあまりにも有名ですよね。
当時大人気だったビートルズの公演だった為、アリーナは機動隊が待機して、観客はスタンドからしか観れなかったらしいです。
その後の武道館公演は下記参照して下さい(長くなるので1977年永ちゃんが初武道館公演までの歴史です)
1968年(昭和43)1月 ザ・ウォーカーブラザース
同年3月 タイガースが新曲発表会として使用
同年10月 ザ・モンキーズが三日間公演
1971年(昭和46年)1月 タイガーズの解散コンサート 日本人のバンドでは解散コンサートは初
同年6月 アメリカのロックバンドのシカゴが初来日公演を行う
同年9月 イギリスのハードロックバンドのレッドツェッペリンが初の来日公演2日間行う
1972年(昭和47年)6月 アメリカのポップミュージックグループのカーペンターズが初の来日公演を行う。その後、1974年と1976年にも公演を行なっている。
同年8月 イギリスのハードロックバンドのディープパープルが初の来日公演を行う。その模様をレコード化した「ライブインジャパン」が、海外でも発売されプラチナディスクを獲得。このライブアルバムからシングルカットされたハードロックのスタンダードナンバー「すもークオンザウォーター」がアメリカで4位になり大ヒットしてようやくアメリカでもブレイクした。
1974年(昭和49年)10月 イギリスのロックブルースシンガーギタリストのエリッククラプトンが来日初公演を行う。1979年と80年の公演を収録したライブアルバム「エリッククラプトンライブアット武道館」もリリースされている。その後も定期的に武道館公演を行い、2023年武道館公演103回を記録(総合3位)外国人としては武道館に最も馴染みのあるアーティストである
1975年(昭和50年)4月 イギリスのロックバンドクィーンが初の来日公演を行う。あまりの興奮に失神者が続出した。
同年11月 日本人ソロシンガーとして西城秀樹が初のワンマンコンサートを行う。その後11年連続(12回)開催。
1976年(昭和51年)3月 南こうせつが日本人シンガーソングライターとして初の武道館公演を成功させる。当時日本は、フォークの方がロックより人気があり、かぐや姫で「神田川」等ヒット曲が多かったこともあり、日本人のフォークがロックより先に武道館公演をするのも悔しいが仕方のないことだった。
自分は、個人的には四畳半フォークと呼ばれるかぐや姫とかは好きではなかった。暗く貧乏ったらしい歌がなんか惨めな感じがして嫌いだった。
しかし、南こうせつ氏は、他のミュージシャンを巻き込み広島でチャリティーコンサートを行ったりして音楽界においても社会的にも多大な貢献をしているアーティストである。
同年4月 日本のロックバンドクリエーションが外国人ミュージシャンとジョイントで、日本人バンドとして初の武道館公演を行なった。
1977年(昭和52年)8月26日 日本人ソロロックシンガーとして初めて矢沢永吉氏が、武道館公演を敢行、フォークが人気の中、日本ロックの歴史が変わった瞬間だった。
世論やファンの暴走など数々の問題を抱えながらも、日本人ロックシンガーとして武道館公演を成功させたことは、のちの日本人ロックミュージシャン達にも大きな影響を与えたライブだった。
当時開催前に矢沢氏が語ったのは「武道館は(ポピュラー音楽として)ビートルズが初めて使って以来、日本の武道館なのに外国人ミュージシャンばかりコンサートをやっているのが、癪だった、日本人のロックで誰もやっていないなら、俺がやってやる!」というコメントを残している。
デビューも同じ時期で出身地も一緒の西城秀樹に先を越されたのも意識としてあったと思うし、同時期に活動していたこうせつ氏にも抜かされたのがかなり矢沢氏のロック魂に火を着けたと思われる。
その年「男はメジャーじゃなきゃ!」とカップ焼きそばBIGのCMにも出演している。
そして日本人ロックアーティストとして、その年長者番付1位に輝いている。
もう昔とは違い、日本においてもロックはビジネスとして成立するエンターテイメントにしたのが矢沢であった。
ミュージシャンとしての矢沢氏の功績も大きいが、アーティストとしての権利を主張し、日本でもロックはビジネスとしても成功出来る事を証明した。
現在の日本のミュージシャンも矢沢氏の功績と貢献のおかげで、成功できる様になったと言っても過言ではない。
日本武道館はROCKの聖地だ!
現在では当たり前の様に武道館公演を行うミュージシャンやバンド、アイドルが増えたが、昭和の時代ではまだまだ1位万人以上を収容する武道館でコンサートをするなんて、簡単なことではなかった。
武道館を成功させたら一流と呼ばれた時代だった。
いわばトップスターとしての登竜門であり、武道館公演はミュージシャン達のステータスでもあった。
昭和の終わりに東京ドームや横浜アリーナ等大きな会場が次々とオープンしたが、現在でも日本武道館というものは、ミュージシャンにとっては特別な場所である。
海外でも”BUDOUKAN”という名は、ロックミュージシャンの間でも広く知られている。
先に触れたディープパープルのライブアルバムやチープトリックというアメリカのバンドも「at BUDOUKAN」というライブアルバムで世界的に成功を収めメジャーバンドの仲間入りを果たしている。
自分もロックミュージシャンを志した時に、いつかは武道館でやりたい、とずっと思っていた。
今でもその気持ちには変わりはないです。
ドーム公演やアリーナライブも良いですが、1万人というキャパシティがちょうど良いと話すミュージシャンも多い。
矢沢氏も然り。
BOOWYのライブで、氷室京介氏が「ライブハウス武道館へようこそ!」とオーディエンスに向けて言ったMCは有名だ。
永ちゃん 46年間やってきた武道館での前人未到の150回ライヴ
1977年以来途中、抜けている年もありますが、コンスタントに武道館ライブを行ってきた永ちゃん。
第一線でやってこれなかったら、途中で終わっていたでしょう。
いつも日本のロックの先頭に立って、走りを止める事なく走り続けてきた結果でしょうね。
私も何回か武道館には観に行っています。
ちょうど年末に4〜5公演開催されるのですが、毎年武道館で永ちゃんを観に行ってタオル投げをして、その年を締めくくる、というのがYAZAWAファンの通例になっています。
昨年は、国立でのライブの後、武道館のチケットも申し込みましたが、見事に全て抽選で外れて行けませんでした。
今年は、仙台公演のライブ設営のバイトとして裏からお手伝いをしました。
もうステージ上では、楽器類は設置されていてスタッフがサウンドチェックの為、音を出していました。マイクスタンドくらいは見たかったのですが…本番二日前ということもあり、見れませんでしたね。
よく盗まれると永ちゃんが何かで言っていました。多分バイトに来た人とか持っていくのでしょうか?
100回目のライブでは最初に行った時の衣装を着て同じ曲を歌っていましたが…
77年最初のライブは、後からビデオで観ましたが、勢いがありましたね。
今のように大掛かりで派手なセットはありませんでしたが、27歳という若さもあり声はガンガン出ているし、動きも激しかったです。
あそこからスタートして46年が経ち、150回目公演ですか〜
凄いことですね。74歳、おそらく体が続く限りやり続けることでしょう。
永ちゃんが先に走っていると、自分もやらなきゃ、と勇気をもらえます。
フジロックに出演した際にライブの最後に「海の向こうには80歳でやっているミックジャガーがいる、負けてられない 自分もライブはやり続ける」とステージ上からオーディエンスに向けて話していました。
74歳の永ちゃんがやっているんだから、15歳年下の自分が出来ないなんて言ってられない。
「歳をとるって事は、細胞が老けることで、魂が老けなければやりたいことをやれる」と永ちゃんは言っています。
キングカズだって50を過ぎたって、白髪混じりでピッチを走りまわっています。
少年のようにボールを追いかけていますね。
大谷だって永ちゃんだって皆、好きなことをやる時は少年みたいですよね。
我らロックをやるものも同じ、楽器を持って、下手でもいいから魂の叫びを発信続けることが一番大切なんだ!
という思いを、永ちゃんからもらったと感じています。
体が動く限り魂を転がして、Rock’nRollしていきたいと思っています!
永ちゃん武道館公演150回達成おめでとうございます!
200回を目指して走り続けてくれ!
俺も後を走っていくから♪
Rock’nRollは死ぬまで終わらない!