韓国人と日本人
NHKドキュメントで敬愛する司馬遼太郎さんが出ていたので、録画して半分まで見た。
前半は、韓国との関わりについて語られていた。
最近考えるのが、日韓の仲の悪さについて。
僕は24か25歳の時に、韓国を1カ月かけて旅行したことがある。
ソウルからプサンまで、バスで移動した。
ソウルで最初に行ったのが、日本語の本が売っている本屋さん。
たしか誰かに、ソウルで一番大きな本屋さんはどこ? ということを聞いて行ったのだと思う。
韓国語がまったくわからない僕は、韓国語の会話集を買いに行った。
そこで何気なく見つけたのが、詩人の茨木のり子さんが書いた韓国語入門の本。
茨木のり子さんは、好きな詩があって、そんな茨木のり子さんが書いた韓国語入門の本を見つけたから、迷わず買った。
いま調べたら『ハングルへの旅』って本だと思う。
これを毎日お尻のポケットに入れて、でっかいバックパックを背負って歩いていた。
毎日誰かが僕に話しかけてきた。
僕を全くの韓国人だと思って、毎日誰かが話しかけてくる。
道を聞かれたことすらあった。地図を僕に見せて、ここへはどう行けばいいの? みたいな雰囲気だったから、きっと道を聞いてきたんだと思う。
話しかけられるたびに「ハンコクッゴ モォラァヨォ」って答えていた。
そういうと、みんなが僕の目をジッと見て、信じられないという顔をした。
ある町に行った時に、お金がなくなった。
僕が持っていた銀行のカードは、CITI BANKのものだった。
ソウルでは、どこでもお金をおろせたから、その町に行っても下ろせるだろうと思ってた。
お金がなくなって、ATMで下ろそうとしたら、まったく下ろせない。
町で一番大きいという銀行を聞いて、窓口まで行ったけど、やはり下ろせないという。
まったくツテのない町で、お金がまったくなくなった。
窓口の椅子に座って、文字通り頭を抱えた。
「どうかしましたか?」と隣の窓口に座っていた女性が声をかけてきた。
「実は、僕が持っている銀行のカードが使えないんです」
そう答えると、「そうですが…。あそこで待っていてください。ここでの用事が終わったら行きますから」と女性に言われた。
その銀行の入り口付近で、どうしようかなぁと思いながら呆然としていると、先ほどの女性が来て「ソウルまでのお金を貸してあげます」と言ってきた。その時に借りたのはソウルまでのバス代と、宿に一泊できるだけの金額だった。おそらく5−6000円くらいだったと思う。
「お名前と住所を教えてください。ソウルでお金を下ろしたら返します」と僕は言った。
「返してくれなくて、いいんです。使ってください。実は私、東京に住んでいたことがあるんです。その時に日本人に親切にしてもらいました。だから、そのお返しです」というようなことを言っていた。
韓国人が日本で親切にされたという話しを、10年以上の僕は信じられなかった。
だからというわけではないけど、僕はその人の名前と住所を無理に教えてもらい、ソウルでお金を下ろして、普通の郵便でお金を送った。
その女性には、本当に感謝しています。
でも、その1カ月の旅で、韓国人から親切にしてもらったのは、その時だけじゃなかった。
毎日、毎日、誰かしらから親切を受けた。
ヒッチハイクをしていたわけでもないのに、車で送ってくれる人もいた。その人は英語も日本語も話せず、僕とはボディラングエッジだけの交流しかしていないのにだ。
日本で言う民宿、民泊(ミンバク)では、宿の家族が僕を朝食、昼食、夕食に誘ってくれ、家族と一緒に御飯を食べさせてくれた。僕はそういうもの、ご飯付きの宿だと勘違いしていたが、後で紹介してくれた観光局の人に聞いたら、あそこは素泊まりだからきっと日本人だから誘ってくれたのだと思うよ、と言っていた。その家族も、英語や日本語を話せる人は1人もいなかった。
ソウルから不要な荷物をどっさりと送った先は、ソウルで初めて会った方の実家だった。プサンに行ったら、ここに電話しなさいと渡された電話番号にプサンに着いた日に電話した。プサンは分かりづらいだろうから、タクシーを使ってくるといいよ、と言われた。タクシー代は払いますからと。僕は韓国での旅に慣れていたから、地下鉄を乗り継いで待ち合わせの場所に行った。着いた場所には、親子だった。1人は70歳を過ぎるくらいの老人で、言葉は通じなかった。その老人は僕を見つけると、満面の笑みで近寄ってきて、握手を求め、ギュゥっと手を握ってきた。そしてポケットからくしゃくしゃの紙幣を出して、僕に握らせようとした。僕は断ったのだけど、老人と一緒に来ていた息子が「ここまでの交通費だと言っています。ぜひ受け取ってあげてください」と、とても丁寧な英語で、これも笑顔で言った。もう次の日にはプサンから福岡へのフェリーに乗る僕には、韓国ウォンは必要なかったのだけど、受け取った。
他にもいろんな親切を受けながら、1カ月を過ごした。
そうした経験があるからなのだけど、最近の日韓関係について、僕は非常に残念な気持ちでいる。
司馬遼太郎は、韓国人と日本人は同族だと思っていたらしい。
おそらく古代史を素直に学べば、そう思うのが当然なんじゃないかと思う。
司馬遼太郎は、日露戦争以降に、日本人は悪い意味で変わってしまったと言う。
そしてノモンハン事件は、第二次大戦に続く日本の狂気の始まりだったと。
日韓や日中の戦争が近づいているような気がしてならない。
特に日韓関係のネット上の意見を読んでいると、暗澹とした気持ちになる。
韓国政府の対応や、反日運動についてはもちろんだけれど、日本人の意見を聞いていると嫌な気分になる。
解決策を提示することができないもどかしさがある。
ただ、この日韓問題についても、原発の問題についても、少し気がかりなのが、世の中の優秀な人たちが、経済活動を優先して考えすぎているんじゃないかということ。
以上、結論のない文章。
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