わたしが今大好きで憧れているのは
まるで生きているかのような動物を掘り出す彫刻家のはしもとみおさんと
魂を揺さぶられるような本能の絵を描く画家のミロコマチコさんだ。
実はお二人とも私と歳がほぼ同じなこともあり
ひそかに目指したいと思っている。
めちゃくちゃ、おこがましいかもしれないが。
いや、でも理想を高くもつことは
よいことだよねと自分を許しながら。
父は画家として個展をひらき、絵を売っていたが、それだけでは生計を立てることが出来なかった。
そのため母が仕事を掛け持ちして家計を支える家に育った。
なので、その道にいくことを小さい時から否定されていた。
そして奨学金で理系の大学に行き、システムエンジニアとして就職した。
でも、子供の頃から絵を描くことも、歌うことも、文章を書くことも、工作も、演じることも大好きだった。
就職後5年頑張ってみたが、鬱病を発症し、1年の休職を経てWEBデザイン業界転職した。
そこでも未経験かつ勉強不足で紆余曲折はあったが、がむしゃらに取り組み仕事を楽しめるようになった。
そのタイミングで、結婚してから6年間ずっと授かれなかった子供が生まれ。仕事復帰する前の生後10ヶ月の時に主人の転勤で、3年半マレーシアに住むことになった。
そして結果として仕事をやめ、子育てに専念することに。
毎夜絵本をよみきかせてたら、演じる楽しさを思い出し。
オーナーさんがアートに理解のある人で、壁は塗ればいいから沢山書けばいいと言われ。
子供と大きな紙や洋服などに手で自由に描くアートを楽しみ。
リトミックで知り合った友達と親子向けのコンサートを企画運営するようになり、音楽を心から楽しむ姿を子供たちにみせたいと、全力で仲間と取り組み。
九州震災の時に駐在ママたちの力で立ち上がったチャリティイベントで、九州の童歌である「でんでらりゅーば」「あんたがたどこさ」を賛同してくれた親子で歌った。
そのチャリティで出会ったKayoko Omataちゃんと読み聞かせの会も主催するようになり、ないものは作り上げるという形で、毎月みんなで色々な企画し、作り出した。
日本に帰ってからも、出産教室で知り合っていた歌手のえぐさゆうこさんに誘われて、主に絵本の読み聞かせと小道具担当として、児童館で親子で歌う会に携わった。
そこでもう1人のメンバーとして出会ったのが、作曲でお世話になっている新屋賀子さんで。
ほどなく、作曲レッスンをやられるとの話を聞き、受けることにした。
またデザイナーのスミナツコちゃんと子供の途中入園という縁で出会い、絵本を自由に楽しむ Book Week Japan という活動をするようになった。
絵本ナビという会社でも、絵本や学習まんが・児童書読み放題、絵本ムービー見放題などのデジタルサービスの担当として働かせていただけるようになった。
マレーシアで音楽会を一緒にやっていた友達も本帰国したので、日本でも親子向けのクラシックコンサートをし、100人近くの人が来てくださった。
そして、自然と周りの人からは「アーティストだよね。」と言われるようになる。
結局、避けていた道へ巡り巡って戻ってきた。
父の血を受け継いでいた。
父のように生きたいという気持ちを封じ込めていた。
私の生きる道はこの世界だと。
子供に導かれ戻ってこれた世界。
でも歌手でも、画家でも、作家でもなく。
ただ、純粋に何かを作り出す過程が好きで。
何かを創造し、作り出していく過程が何よりも楽しいと気づいた。
そう、クリエーターでいたいのだ。
手段は何でもいい。
目的も何でもいい。
ただ、自分の楽しいと思う世界を。
ただ、ただ、作り上げていきたい。
それが目指したい姿なのだと。
時代の流れも後押ししてくれてる。
紆余曲折を経てきたけれど、もう迷わずに突き進んでいきたいと思う。
フォロー下さったり、スキを下さったり、ここまで読んでくださった皆様に感謝して。
My Songs...
▷僕は生きる
▷寄せては返す悲しみ
▷生きる意味
▷彷徨い