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『劇場版モノノ怪 唐傘』の感想。

めちゃくちゃ面白かった!!!


観るまでの経緯

テレビシリーズを観たことはなかったんだけど、まず主題歌のLOVE SICKにハマって、旅行中ずっと聴いていた。
それに予告映像での、おちょこの水面に三角の波紋が生じる異変描写が超かっこいいなと思っていた。
で、トプカプ宮殿のハレムを見学したときに、大奥が舞台であるこの映画を強く連想して、「これはもう完全に観る流れに乗ってるよな」と思ったので、日本に帰ってきて、テレビシリーズを予習してから観に行った。

三角の波紋

観てみたら、めっっっちゃ面白かった。テレビアニメ版も面白かったけど、劇場版はやばすぎた。面白すぎた。 久々に劇場で映画を見たのもあって、本当に幸せな90分だった。 次回作が待ちきれない。

今作の薬売り

今回の薬売りはテレビアニメ版と比べてとっつきやすい。結構しっかり受け答えしてくれる。

男子禁制の大奥には当然薬売りも入れないわけで、こんな状態でどうやってモノノ怪の三様を探るんだろうって思ってたけど、正面から力技で入ってた。
で、朝礼の時なんかには、みんなから離れた後ろの方で静かに座っている。 テレビアニメ版の頃から、薬売りには「こいつ結局何なん?」っていう周囲から浮いた異質な存在感があったんだけど、今作においては、その異質さが「男子禁制の大奥に男がいる」という異質さに紛れていて、それが今作の見やすさに一役買ってる感じがする。

映像、演出、うずまきの顔など

劇場版だけあって、それにテレビアニメ版時点からの技術進歩もあって、映像表現がドチャクソにパワーアップしていた。大奥という場の異様な空気がめちゃくちゃ表現されてる。映像がどれも本当にかっこよくて、それだけでマジで幸せだった。
中でも印象的だったのは、うずまきの顔。

モブの顔をうずまきにしてしまう省略表現がスタイリッシュ。それに、これはただの省略表現ではなく、登場人物たちが公と私どちらの状態にあるのかというステータスを示す表現にもなっている。たとえ主要登場人物であっても、彼女らが自我を消して「大奥の女」という全体の中の部分としてふるまう際には、その顔はうずまきの中に隠れてしまう。省略表現にそれを超えた機能を持たせるの、あまりにも演出がうますぎる。最高。

それ以外にも、襖絵が動いたりとか、こけしがこっちを向いたりとかの細かな描写もいちいちかっこいい。
雲や臭気なんかがユラァって動くのもいい。画面の情報密度がやばい。
薬売りが天秤を並べたりお札を貼ったりするのもかっこいいし気持ちいい。 物が等間隔にリズムよくトトトトッて並んでいくのには生理的な気持ち良さがある。

唐傘は、古今東西の唐傘の中でいっちばんヤバそうな唐傘だった。
唐傘顕現時とかヤバすぎた。なんかもうエヴァみたいなことになっとる。ガフの扉みたいなのが開いとる。
そして薬売りの変身シーン。超かっこよかった。生身から連続的に変身していくのではなく、存在の位相がまるごと切り替わるような変身。戦闘BGMも超ノリノリで超かっこいい。

意外にシンプルな話

途中までは人の名前を覚えられなかったりとか、全然話を把握できなくて焦ったけど、終わってみればかなり分かりやすい話だった。 混みいってるように感じるのは次作以降への前フリも含まれてるからで、本作内で回収されてない要素を省いて本筋だけ取り出せばシンプルな話だし、丁寧に説明してくれている。大切なものを捨ててしまったら、渇ききって、最後には生きる意味を無くしてしまうよっていう。そしてアサは切り捨てるのではなく守るためにカメと離れることを選択したっていう。

回収されてない要素というのは、基本的にはおみず様関連のこと。みんなで臭い水を飲む儀式だったり、夜伽前に水を飲ませ合う儀式だったり、この大奥の謎システム。そしてあの侍は井戸の底の空間で何を見て叫んだのか。
結局今作では天子の子を作るための場っていう大奥の根本的な存在理由の部分には触れておらず、言っちゃえばまだシリーズの導入部分、大奥の入り口部分ではある。そこに切り込んでいくのであろう続編が楽しみ。

毎日臭い水を飲む

具体的にどういう点が楽しみかというと、たとえば今作でのおみず様の扱いは、臭い水を平気で飲めるようになったという表層を通じて、自分たちを使いつぶしていくような組織の在り方を飲み込み、それに尽くせるようになってしまったという内情を表現するモチーフだったんだけど、続編ではこれに新たな意味が付与されていくような気がしてならない。そして物語が展開することでモチーフの持つ意味が変わるっていう作劇はまじで大好きなので、今から楽しみでしょうがない。

モノノ怪の本質

今作をみたことで、このモノノ怪ってアニメの本質がようやく分かった。 基本的に、このシリーズにおいてモノノ怪は、殺された女達の情念に起因して発生する(例外:海坊主、ただしこの章でも犠牲になっているのは女だ)。
そして重要なのは、ここで女たちが何に殺されたのかという点。女たちは構造によって殺されている。
今作における構造は大奥という権力のシステムだ。私を捨てて公に尽くすことで上り詰めていける。でも私を捨てることは渇きにつながる。
大元の原因が構造であるが故に、その悲劇は再現性を持つ。だから、モノノ怪の発生原因である過去の悲劇自体はもうどうやったって救うことはできないんだが、同様の構造にとらわれ、今まさに殺されそうになっている者はこの物語を通じて救われうる。
(テレビシリーズだと、座敷童子の章が分かりやすく今作と同型になっている)

その他、細かな感想。

・一応テレビアニメ版を予習してから行ったんだけど、これ単体で見てもしっかり楽しめただろうなと思う。

・公開から時間がたっていたのと、レイトショーだったのでかなり空いていた。5組くらい?久々に空いてる劇場で映画が見れてよかった。

・エンドロールの背景に映っていた社? に3本の縄が掛かっていて、そのうち一本が切れていた。モノノ怪を斬るたびに封印が解けていくシステム?だとしたらこの大奥にモノノ怪は全部で3体いて、このシリーズは3部作?←マジらしい。

・映画を見てから改めて主題歌のLOVE SICKを聴くと、唐傘のカラカラ音だったり、渇きや捨てたものについて歌った歌詞だったりに気が付いて、どんだけ名曲なんだよって思った。続く2作の主題歌もTKとアイナジエンドのコンビでやって欲しい。

特典は薬売りの変身シーンのフィルム。かっこいい!

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