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映画『ザ・フラッシュ』は、マルチバース映画じゃない!
Netflixに来ていたので見た。
今作のことを最近流行りのマルチバース映画の一種として見てる人が多いようだけど、このザ・フラッシュをマルチバース映画として扱うのはかなりまずい。それについて書く。
マルチバースって要はパラレルワールドが無数に存在するっていう世界観なんだけど、この映画においてフラッシュがパラレルワールドにやって来たのだとすると倫理的にまずい事になるし、これはクソ映画だとしか評価できなくなる。
マルチバースにおいて、パラレルワールドは定義上そもそも独立して存在している。
このことからフラッシュがやって来た世界は、フラッシュが来ようが来まいがゾッド将軍に滅ぼされていたことになる。そして更に、フラッシュがトマト缶を棚に戻してこの世界から立ち去ったとしても、この世界が滅ぶという事実自体は変わらない。
その場合、フラッシュが無限ループを敢行しようとする若フラッシュに対してかけた言葉はあまりにも酷いものになる。
「母親もみんなも救えない、運命を受け入れろ」彼はそんなようなことを言っていた。
よその世界から来て、その気になればすぐに帰れるような奴が、もうすぐ滅ぼうとしている世界の住人にこんなこと言うなんてあり得ないだろ、となる。ましてそれを感動的に演出するなんて悪趣味すぎる。
なので2人のフラッシュは独立した存在ではなく連続した存在でなければならず、この映画はあくまで時間SFの範疇にいるべきで、マルチバース映画であってはならない。
個人的な感想。
DCヒーローの中ではバットマンが好きで、フラッシュのことはあんまり知らない。ジャスティスリーグで出てきてたのと、あとビッグバンセオリーでシェルドンがコスプレしてるのをよく見たくらい。
終わり方がめちゃくちゃすぎて笑った。
こんなんで締めて良いわけないだろwwwってなった。
上で、これはマルチバース映画ではなく、あくまでも時間SFとして見るべきと書いたけど、これを時間SFとして捉えても問題は残る。
時間は非線形で、過去を改変した影響は予想ができない。ということを身をもって学んだはずのフラッシュが、なぜか父親の冤罪を過去改変によって解決するというラスト。お前は自分の母親をもう一度死なせてもまだ学べなかったのか?となる。
それまで散々語って来たテーマ性と明らかに矛盾していて、真面目に見るとこのオチにはイラつくんだけど、まあお祭りコメディ映画だしなんでも良いかなと思った。
過去改変の無限ループ辺りから不穏さは漂っていた。脚本家はこの辺で真面目に話を書くのがめんどくさくなっちゃったのかもしれない。
もうどうでもいいやwww疲れたwwwwとりあえずお約束の感動展開だけやって、後は適当でいいやwwwwって。
マイケルキートン版のバッドマンも見ていたので、彼の登場に対してそれなりに感慨はあったんだけど、かなり微妙な立ち位置のジョージクルーニー版はどうなるんだろう、彼は居なかった事にされるのかな?とか思っていた。
そしたらオチで出てきて、それも笑えた。
なかった事にされてなくて良かったけど、改めて見てもヒーロー映画でジョージクルーニーは浮きまくっていた。
前半は本当に良かった。
若フラッシュのバカっぷりが面白い。裸の彼を中心に、楽器が散乱して花火が飛ぶ楽しい絵面。
それに、自分がどんなに幸せなのか分かってないもう1人の自分にイラついてしまうフラッシュがとても良かった。
その他、細かな感想。
・冒頭の赤ちゃんのくだりはめっちゃ面白かった。叫びまくる看護師も。
・普通のスピードだった場合、フラッシュの走りかたってかなりダサいよねってのも面白かった。
・スーパーガールがめっちゃ可愛い。彼女が激昂するシーン超良い。