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「バズライトイヤー」の感想、郷愁の欠如。

もうディズニープラスで配信されていた。もうディズニー/ピクサーは劇場で見る必要ないじゃん、と思いながらもう一度見返した。そういえば「ミラベルと魔法だらけの家」のときにも同じことを思ってたので、次も同じことを繰り返すのだと思う。

というわけで、まず、公開当時の感想を載せた後に、改めて見た感想を書いていく。

公開当時の感想

前半がクッッッソ面白かった。
今さらウラシマ効果をドラマに使うこと自体に感動したりはしないけど、その描き方がスマートで良かった。

ただし、後半は話がスマートすぎるなと思った。具体的にはバズのチームのことだ。チーム感を出して、それでいて話が鈍重にならない最適な数が4人だったんだろう。
しかしバズのチームの内、数合わせの2人の新兵がまじで物語に不要で、その割には画面に登場する割合が多くて気になった。

郷愁の欠如

テーマはアナ雪2で言及した偽史問題をSF的に発展させたのかなと思うけど、個人的にはドラえもんの鉄人兵団のアナザーとして見ていた。
というか、ハッピーデスデイ2だった。
こういう展開大好き。最善の歴史じゃなくても我々の歴史だ。っていう感じ。
一点、この歴史が嫌だと思っているのはバズだけだという点がすこし足りてないなとは思った。
バズが過去をやり直したときに救われるのは、自らを責めるバズの心と、孤独なバズの心だけだ。つまり歴史改変という舞台立てはフェイクで、これは単にバズの心と個人史の問題でしかない。
そういう話は好きだけど、それにしてはバズが移民全員の人生への責任を感じたりと、風呂敷を広げすぎだよなとは思う。何というか、心的問題の設定が簡単すぎる。もっとグチャグチャの感情でハイパークリスタルを破壊して欲しかった。
そう、これだ。もっとグチャグチャの感情でハイパークリスタルを破壊して欲しかった!(序盤で、さまざまなやりきれない思いを胸に、ハイパースピードに加速したみたいに。)

また、この映画にはザーグをもっと大切にする方向に進んで欲しかった。
この歴史を否定したがるザーグは、捨て去られるべき主人公の未熟さとして描かれている。
しかし、捨て去られるべき存在だったとしても、爆破して「やったー!」は酷すぎるだろ。自分なんだぞ。
過去に戻ってやり直したい。自分の人生を取り戻したい。それはそれで切実な思いだっただろ。
迷いの中で倒して、倒した後にも本当にこれで良かったのか迷う。それくらいの描き方をして欲しかった。

無限の彼方へ向かうこの映画は、通り過ぎたものを余りにも無邪気に切り捨ててしまう。

トイストーリーとの接続

この映画のバズから作られたおもちゃがトイストーリーのバズだと言われると違和感はある。この映画のバズは最初から人間味に溢れてるし、おもちゃのバズのスーツを装着する時点ではもう主人公として成熟しきっている。
でも実際にアンディがこの映画を見るシーンが映されるわけでもないし、見てる間はあまり気にならなかった。(というか、任務のことしか頭にないトイストーリー1のバズのキャラそのままで映画を作るのはキツいと思うので、このバランスになるのはしょうがない。何もかもを投げ打って任務に打ち込む今作のバズは、トイストーリー1のバズのキャラに別の解釈を持たせる深みを作れていたと好意的に捉えたい。)

トイストーリーのおもちゃって原作のどの時点の人格を設定されてるんだろう?という新たな疑問が湧いて面白かった。考えてみればバズはアンディのオモチャの中で特別な性質を持っている。ウッディのアニメは、サザエさん的に、西部の日常を変化する事なく繰り返していくが、バズの映画にはキャラの変化がある。

トイストーリーのスピンオフとしての必然性はバズというキャラクターくらいしかないので、そもそもバズの映画にする必要あったか?とも思うけど、そうなると魅力がかなり削られるだろうし。うーん……ファンムービー。
この映画もチップとデールみたいにディズニープラスで配信するのに適した映画だったんじゃ?とは思う。

バズって髪の毛生えてたんだ、と思った。生えてたとしても、ベッタリ撫で付けられた黒髪だと思ってた。
普通にイケメンだった。

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