スタンド攻撃を受けている!
は!!!!
と意識を取り戻したのがついさっき。気付けば2週間以上も自動(オート)で過ごしてしまっていた。
合唱の練習中に意識がどっかに飛んで、気が付いたら2番のサビ前まで進んでいた。みたいな感じ。みんな経験したことあるんじゃないか?僕だけか?そんなことはないだろう。
自動で体が動いていて、それを意識できないみたいなこと。でんぐり返しとか逆上がりとかの途中でも起きるよね。キングクリムゾンをくらったらあんな感じなんだろうな。
キングクリムゾンといえば、ある友人はジョジョについて「どの章もラスボス戦だけ読めばそれで充分楽しめる」なんていう恐ろしい強硬論を唱えていた。まあ1番盛り上がるのがラスボス戦っていう意味では一理あると思う。僕が1番好きなのは7部です。欠けた主人公がエゴを丸出しにしてもがく様が最高。
「『納得』は全てに優先するぜ!」
それにジャイロのこの価値観が本当に大好き。7部に感化されて痛い言動をとったりしたこともあった。
犬との散歩中、ブンブン振られる尻尾のなかに黄金の回転を見つけようとしたよね。春のことです。思い出してごらん?
思い出せない?
あー、それはスタンド攻撃ですね。
最近見たもの読んだもの(ネタバレ有り)
・スパイダーマンNWH
公開初日に久しぶりに事前に席の予約をしてから見に行った。こんな田舎の映画館が満杯になるのはエンドゲーム以来のことだ。
結論から書くとめちゃめちゃ面白かった。今年No.1がもう決まっちゃった感がある。
ピーターのヴィランを治療するという発想に最初はドキッとしたが、思い返してみると過去シリーズのヴィラン達はみんな意図せず手に入れてしまった大いなる力に振り回される被害者的側面があった。つまり蜘蛛に噛まれてしまったピーターパーカーと彼らは同じ苦しみを共有していると言える。
だとしたら何が初代やアメイジングのピーター達とヴィラン達を分けたのかといえばそれは「大いなる力には大いなる責任が伴う」という教訓だろう。対してMCU版のピーターがヴィランにならずにすんだのはピーターの特殊事情を知った上で支えてくれた周囲の人間の善性によるところが大きい。トニースターク、ハッピー、ネッド、そしてFFHからはメイおばさんもピーターを支えてくれていた。
周囲の人間達の善意に支えられてきたピーターが過去のスパイダーマン世界にあった悲しみを癒すってのはかなり納得度が高い。
これまでMCU版のスパイダーマンには微妙に乗り切れていなかったけれど今回はもう…もう…!って感じ。
ようやくMCU版のピーターパーカーがスパイダーマンになったと思った。
僕は切なさと共に終わる青春映画が大好きだ。
孤独を感じるラストにも見えるけど、でももうピーターは自分が1人じゃないことを知っている。この世界には居ないとしても、孤独を共有する相手は確かに存在する。
その関係性は映画を見る僕とスクリーンの中の彼らのそれに近い。
・呪術廻戦0
それぞれ別のグループの友人2人に勧められたので観に行った。原作は既読、アニメはちょっと(1,2話)しか観てない。
「ちゃんと映画化されてるな」とは思ったけど、期待していたほど面白くはなかった。おすすめのされ方が激しすぎて過剰にハードルを上げてしまった感はある。
戦闘シーンが良いなと思ったけど、戦ってばっかだなとも思った。
夏油と乙骨の対立構造を端的に説明するなら
「大衆の反逆的現状認識に基づいた過激派人種主義vs田舎ヤンキー的仲間意識」
って感じになる。
・大衆の反逆(オルテガ・イ・ガセット)
2回名前を聞いた本はできるだけ読むようにしてる。かっこいい名前の哲学者によって1930年に書かれたヨーロッパ人向けの本。
内容を一行でまとめるなら
「最近(1930年)大衆のさばりすぎじゃねー?」
って感じ、流石にこれは乱暴すぎるか。
以下簡単な要約
自由主義デモクラシーと技術による革命によって世界は一気に暮らしやすい場所に変わった。しかしその暮らしやすさゆえに大衆は人類がようやく到達したこの世界を当然のもののように享受するようになり、「甘やかされた子供」になってしまった。そして今の社会ではこの「甘やかされた子供」である大衆が最も強い権力を持つようになってしまっている。これヤバいよ!!!
100年近く前に書かれた本とは思えないくらい現代にも通ずる内容で面白かった。EUの誕生をその60年近く前に言い当ててるのは凄いと思う。
てか今のSNS社会を覗けばまさにオルテガの言う大衆の反逆という現象をまんま観察することが出来るんじゃないか?
それくらい内容が古びてない。凄い。
ただ僕はこの本の中で批判されている大衆そのものな人間なので紙幅の大半を何もそんなに言わなくたって良いじゃん!とムカつきながら読み進めていた。
・ハリーポッターと呪いの子(J.K.ローリング)
おっもしろかった。息子への接し方に悩むハリーを見て「大きくなってまあ〜」って法事で久しぶりに会った甥に対するおばさん的感情が溢れた。BORUTOを見たときもこんな感じになった。
アルバスとスコーピウスのコンビいい感じだな。ホグワーツに馴染めない、ホグワーツが好きじゃない生徒っていうこれまで登場してこなかった補集合が埋まって、世界観がよりフェアになった気がする。
SFファン的には過去改変と被改変者の記憶のルールの不明瞭さが少し気になったけど、でもこれはファンタジーだから突っ込んでは考えないようにした。そんなことよりアルバスとスコーピウスが可愛い。あと改変された側の視点を描くのって地味に珍しいと思う。
40を迎えた父親としてのハリーの苦悩がまあ〜良い。息子との関わり方を決定的に間違えてしまうハリー。もうダンブルドアは居ない、大人たちが道を用意してくれて、ハリーはそこを進めばいいという時期はもう終わった。ハリーは自分の考えで道のない暗闇を進まないといけないし、ときには間違えることだってある。
そんな中でのハリーとダンブルドア(肖像画)の会話はすんごい良い。ハリーはもう大人の不完全さを知っている。
この続編は徹底的に本編の裏側を描いていく。
逆転時計という時間の裏側を見る(さらに今作ではifの歴史を実現させる)アイテムがその姿勢を象徴している。
前作を相対化させるような視点の置き方は誠実に思えたし、またみんなに会えたし、アルバスもスコーピウスも可愛かったので大満足。あ〜名作。
(デルフィーの扱いがちょっと雑じゃない?とは思った。)
レシピ:コンソメ薫るヒートテック
1.材料を全部洗濯機にぶち込みます。
2.選択スタートのボタンを押します。すすぎは一回。
3.30分待って洗濯が終わったら完成!
研究はいよいよ追い込みの時期に突入した。
まだまだ余裕のつもりでいたけれど、洗濯機に洗剤と柔軟剤と一緒にコンソメも入れてしまったあたり僕もだいぶ追い詰められているのかもしれない。いや、それくらいのお茶目は常日頃から割と頻繁にやっちゃってるかもしれない。
Netflixにバナナマンの単独ライブが追加されたので最近はそれをずっと見返している。
「絵本」「a shocking move」「sky diving」「青い鳥」
がお気に入り。それとシーズン3で追加されるであろう
「先輩とオマエ」「箱」「punks」
が今から楽しみ。
あと今は地球外少年少女が楽しみすぎてヤバい。小学生の頃に見た電脳コイルに完全に頭をやられ、それからアニメにドンばまりした人間からすると2日後、15年ぶりに磯光雄監督の新作が公開されるってのはもう。なんだ。何にたとえればいいんだろう。
まさに(いい例えを思いついたらここに書く)って感じだ!