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「ジュラシック・ワールド」の感想
感想
初めて観たときは二次創作みてーな映画だなって思った。特にオーウェンのキャラ造形。元軍人で頭が良くてイケメンで恐竜と心を通わせている。何だよこの完璧超人は。
改めて見ると、パーク1,2の要素をしっかり受け継いでいて、最終的にはパーク1のラストのような状態に落ち着くんだけど、この物語が何を主張してるのかがよく分かんねーなって思った。
結論部分とは具体的にはインドミナスレックスがなぜ否定されたのかって点。
ワールド恐竜とインドミナスレックスを分ける論理として、本物/偽物って二項対立は中盤のウー博士のセリフで否定されている。これへの再反論はなかったので、インドミナスレックスは別の評価軸で否定されたことになると思うんだけど。
しかし描写を見る限り「本物」の恐竜であるティラノサウルスが「偽物」の恐竜であるインドミナスレックスを倒したとしたとしか見えず、だとするとこんなに欺瞞的な話はないわけで。
別の方向から見て、隔離して育てられたせいで周囲の恐竜との付き合い方が分からないインドミナス君を、ティラノ先輩とラプトルとモササウルスがリンチするっていう話として見ても、割としょうもない話だなって思う。
時間をおいて考えても全然整理できなかったので諦めてもう次に行くことにする。
パニック映画としてはかなり面白かったのでいい映画だったと思う。モササウルスもカッコよかったし。
インドミナスレックスが脱走したときに、オーウェンの隣の車に隠れた男が食べられちゃうシーンがお気に入り。
助かったオーウェンと食べられた男を分けたのは運でしかない。理不尽に殺される男が、その最後の瞬間にこっちを見る眼差し!!(補足1)
補足1
・ドミニオンを観終わっての補足
後にドミニオンを見たことで、僕は、この理不尽さこそがジュラシックパークの本当の魅力だったのだと逆説的に知ることになる。
今作の子供は凄い良かった。後半では厄介ごとは全てインドミナスレックスによって引き起こされていたので、野生下の恐竜に触れてその温かさを知る。みたいな展開はなかったんだけど、恐竜大好きの弟と、弟思いの兄って二人組は最高だった。お兄ちゃんのやらかしも、弟を思う優しさが根本にあるので全然許せる。
演技も良いし、コリントレボロウって子役の使い方が上手いなと思った。
観ながら書いたメモ
恐竜の脚かと思いきやカラスの脚でしたって場面転換、スマートで良いね。
この名物BGMを恐竜の登場シーンじゃなくて、ワールドの御目見で使っちゃうんだ。
恐竜を創り出すラボすら観光の対象にされてんのか。
「今時、恐竜に驚く人はいません」
恐竜=CG映画と読み替え可能?
客の子供達みんな楽しそうだな。
この技術者はパークの素朴な感動、生の生を信奉してんのね。今のちょこざいなインドミナスレックスとかには否定的。「カオスの一歩手前が落ち着く。」じゃあこれからカオスの一歩先に踏み込んじゃうから落ち着けないね。
ハモンドにパーク改めワールドを譲られた金持ち。
ジュラシックワールドは人類がいかにちっぽけな存在かを知らしめるために作られた。
なるほど。
でもこれってパーク1でのハモンドの論理だよな。パーク2でハモンドは恐竜への不干渉を決めてるわけだし。
「滅びた生物に権利はない」こいつ悪そー。パーク2の悪役の言い分だね。
パークを回る兄弟。恐竜とのふれあい広場とか、子供達が喜んでる。ハモンドの夢が叶ったね。(叶ったのか?これは本物の体験なのか?)
本物と偽物、この映画を見ているとずっとこの二項について考えることになる。
恐竜を展示物(偽物)として見るクレアと自分と対等な生物(本物)として見るオーウェン。
モササウルスきたーーー!!恥ずかしがり屋なんだー、かわいいー。でっっっか。シャチショーレベル100みたいなね。こんなショー最高すぎるな。
オーウェン曰く、クレーンから吊るされた肉だけで外界と繋がり、他者を知らないインドミナスレックスにとって自分以外は全てエサ。生き物として歪であると。
わあー!出ちゃった!並んだ二つの車に隠れる2人。マジで運だけでオーウェンが助かった。食われる直前にこちらを見る男の目線。このシーン素晴らしいな。
とんでもない怪物を作りやがってという代表からのお叱りに科学主任が反論「私たちのしてきたことは最初からなにも変わってない、ジュラシックワールドそのものが自然じゃないんだ」インドミナスの不自然性を強調してきた話の中でこのセリフは重要だね。そもそも自然ってなんだよ。と。
そんでこの代表はハモンドの欠点もそのまま受け継いじゃってんのな。
子守りが1番執拗に痛めつけられて殺されてるのウケるな。製作者のベビーシッターへの不満が現れてるみたい。
ホスキンスがラプトルに「俺たち仲間だろ」って言っても食べられちゃったのに、オーウェンはOKなんだ。やっぱ敬意があるからかな。敬意って何だよ。
うーん。偽恐竜を本物恐竜が協力して倒すぞ!ってのはどうなん?しかし、生態系に居場所が無かったインドミナスを最終的にモササウルスが食べて生態系のなかに組み込んだとも取れるよな。
インドミナスの何が悪かったんだろうな。偽物であること?でも出自としてはパーク恐竜はみんな偽物だよな?人間のエゴで作られたこと?それも違うだろ、パーク恐竜だってハモンドのエゴで作られてる訳だし。
他者との交流がなかったことかな?でもそれって物語的にどういう意味を持つんだ?
ジュラシックシリーズを見ているといつも偽物と本物の対の概念について考えることになって、今作でもその疑問が湧いてくる以上、このワールドは間違いなくジュラシックシリーズの後継だと言っていいんじゃないかな。
1作目をなぞった話なら、システムが破綻することでその向こうから剥き出しの生が見えてくるという1の醍醐味は再現できていたのか?
うーん、やはり再現しきれてない気もするな。システムが破綻して状況がカオスになってからはずっとその収拾に終始していた。
1にあった、ブラキオザウルスとの触れ合いなんかの、システムが破綻し、パークの奥深くに迷い込んだからこそ出来た思い出、みたいな部分はないんだよな。
子供達が恐竜を特別に感じなくなった現代でその物語は成立しないのかもな。
その意味で今作におけるインドミナスレックスの存在はめちゃめちゃ自己言及的なんだよな。
子供達は今更恐竜に驚きを感じない→キメラ恐竜を作ろう。
観客は今更CGの恐竜それ自体に魅力を感じない→キメラ恐竜を出そう。
そしてインドミナスレックスの存在は否定されるわけなんだけど、何によって否定されたのかってのがよく分かんねーんだよな。
ティラノとラプトルと戦って、最終的にモササウルスに喰われてたけど、これって別に人工vs自然の構図にはなってない。
多分、怪獣vsキャラクターなんじゃないかな。CGに魅力を感じない観客達。じゃあ替わりに何に魅力を感じで欲しいのかと言えば、それは明らかに人間と交流できるラプトルだろ。ティラノも一作目と同個体ってことで、キャラクターとして登場してるし。
じゃあモササウルスは何?って話になるんだけど、もう分からん。
やっぱり恐竜付き合いが苦手だったインドミナスレックスがやっと生態系の中に組み込まれたって解釈が1番救いがあると思うんだけど、それでも納得はいかねーな。
あとパークシリーズは基本どこか目的地へ辿り着けるかどうかの物語だったんだけど、こっちでは動き回って位置を把握できないインドミナスをどう倒すか、混乱をどう収めるかとやることが多くて、冒険感はない。