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パラレル・マザーズ, ヒューマン・ボイス/ペドロ・アルモドバル監督

少し前にスペインのペドロ・アルモドバル監督の映画を2本見た。少し立て込んでいて2022年最後の映画となった。

ひとつは「パラレル・マザーズ」。予期せぬ妊娠をした女性2人と彼女たちの取り違えられた子どもをめぐり、図らずも置かれたに状況に戸惑うジャニス(ペネロペ・クルス)の葛藤を描いた映画だ。

2人の女性をめぐる物語は、もうひとつの物語である未だ人々の心に刺さる棘の痛みである「スペイン内戦」に内包される。内戦の記憶を留める最後の世代がジャニスで、彼女のパラレルである女性アナ(ミレナ・スミット)は、内戦を知らない若い世代である。もっとも、映画はその負の歴史についてを語ろうとするでもなく、繰り返し訪れる日常の苦悩と、その日常とパラレルに人々の深淵に触れる歴史としての時間と、そして個人の体験と記憶の継承についても描いている。

監督:ペドロ・アルモドバル  
出演:ペネロペ・クルス | ミレナ・スミット | イスラエル・エレハルデ


もうひとつの「ヒューマン・ボイス」は、打って変わってジャン・コクトーの戯曲『人間の声』の翻案である。30分という短いが濃密な映画であり、形式としては英語劇の一人芝居である。女が斧を買い求める場面から映画は始まる。

もう若くはない女(ティルダ・スウィント)は、男がスーツケースを引き取りに来るのを待っている。傍の犬も、彼女とともに主人に捨てられたことに気づいていないのだろう。絶望に囚われた女は多量の睡眠薬を摂取するが、目が覚めて、スマートフォンに着信を見つける。コクトーの原作でも、彼女が男と繋がるのは電話だけなのだ。

女はスマートフォン越しに男に語りかける。初めは冷静に、そして次第に取り乱し、狂気に取り憑かれていく、『人間の声』はそういう物語である。男の声は私たちには聞こえず、女が紡ぐ会話の一方の端末だけで男の存在を知のみである。だが驚くべきは、この一人芝居を演じるティルダ・スウィントを物語の中に残しながら、彼女の家は実はスタジオに作られたセットであることを、アルモドバル監督は私たちの目にさらしてしまう。彼女が男を思って立つベランダの外は、セットの外の存在しないエリアであり、女とそれを見る私たちが共謀し作り出す物語の一端である。

フィクションである物語とリアルな現実とは、そもそも常時パラレルに存在するのだと私たちに明示することで、物語の中の女は、自分を捨てた男を原作の世界に置き去りにし、ベニヤ板で作られた虚構の「家」を焼き放ち、物語の扉から抜け出して新たな現実を選択することになる。主人がいなくなった犬とともに。

監督:ペドロ・アルモドバル  
出演:ティルダ・スウィントン | アグスティン・アルモドバル


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hideonakane
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