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親のあるべき姿を、子供から学ぶ


いつの間にか説教おじさん

「はいはい」と面倒くさそうに返事をする娘に、「『はい』は1回でいい」と注意していた。 いつも間にか「面倒臭そうに」の部分は抜け落ち「はいはーい!」楽しげに返事したときにまで。

最近では、返事した後にあっ!と言う顔をしてチラッとこちらをみて「はい。」と言い直すようになった娘にどこか満足している自分がいた。

ある時、「はいはーい!」と義祖母が返事したのを聞いた娘が「あのね、パパにそうやって2回言うと怒られるの。でもね他の人もそうやって返事するのになんで私だけダメなのかわからないの」と言って泣き出したそう。妻から聞いてショックだった。

いつの間にか偉そうに「親」の顔をして理由も説明せずに説教垂れるおっさんになっていた。友達のように過ごしたい、と思っていたはずなのに・・・

人生の判断基準は何か?

全ての人がそうであるように、自分も完璧じゃない。ましてや物凄いスピードで社会が変革しているこの時代に、「正しいかどうか」を判断基準にするとつまらない大人になってしまう。人生の判断基準は普遍的なものであるべきだ。時も場所も選ばずに。それは社会全体に共通してあるものではない。なぜなら、いわゆる「常識」なんて時代や国、地域、家族、個人によって様々に変わるのだから。では、何か基準にすべきか? 

それは「楽しいかどうか」だ。

教える、のではなく、寄り添いともに楽しむ存在

どんな時もどこにいても幸せになる為に大切なのは、自分の「好き」を知り、見つけることだ。その為には、「楽しそう」を自分で全部やってみるしかない。親は絶対に子供のそれを止めてはいけないし、止めるならその理由を子供が理解できる形で示してあげるべきだ。親子といえども別人。何が楽しくて楽しくないかは、本人にしか分からないのだから。

親の役目は、何かを子供に教えることではなく、子供がいろんなことをできるだけたくさん提供してあげて、やりたいという子供の気持ちに寄り添い応援してあげることだ。

そんなふうにして、自分も親として人として、子供と一緒に成長していきたいなと思う。

初めてのサポート頂いたら、それが¥10でもめちゃくちゃ嬉しいだろうな。初めて自分の写真が雑誌に載ったときのように! 今はそこがモチベーションです。