
[ダイアログ・イン・ザ・ダーク]有名でない今行くべき理由
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という目の見えない人の世界を擬似体験するイベントに行ってきた。とても興味深くぜひたくさんの人に行ってほしいと思う一方、人気になったらとても「危ない」と感じた。この記事ではイベントの特徴と魅力、そして危うさについて書きたい。
◆どんなイベントなの?
文字通り、暗闇の中で対話をするのだが、イベントは時期と場所によってさまざまなテーマで行われる。僕が行ったのは暗闇の中で握り飯を食べるという奇妙なテーマだった。
光を完全に遮断した空間で、10人前後の参加者(僕以外全員女性だった)が手を取り合い、視覚障碍者にガイドされながら、水に触れ、砂利石や草を踏んで、握り飯を食い、茶を飲む。終盤に参加者は2人ペアになり、ガイドの出したトークテーマをもとに5分ほど語り合う……。
ざっくり概要を書くと、こんな感じだった。
正味1時間強のワークショップは味わったことのない特別な体験で、2500円超とやや割高ながら、参加してよかったと心から思った。
一方で、もう少し工夫したらもっとよくなるのではと感じる点もいくつかあった。まずHPや広告が地味で何をやっているのかわかりにくい。上述のHPを見ただけで、行ってみたいと思う人は少数派だろう。イベント内容もせっかく真っ暗な空間なのだから、もっとゲーム性があったほうが売れると思った。それと、ガイドの出したトークテーマは「生命について考えたこと」だった。難解! 5分もたなかったよ。
だが後述するようにこうした曖昧さはあえてやっているのかもしれない。
◆触れる対話の危険性
触れる、というのは恐ろしい。最悪の暴力になる。その例は枚挙にいとまがないのでここでは書かない。だがだからこそ僕たちは触れることが最善の対話にもなることを見落としている。
昔、フリードリヒ2世という王様が、生後すぐの赤ちゃん数人を集めて、一切のスキンシップをしないで育てたらどうなるか実験をしたそうだ。王は、赤ちゃんに生きていくために必要な食事を与えたが、それ以外の一切の接触を禁じた。その結果、実験を行った赤ちゃんはすべて死んだという。
人間は飯だけでは生きていけないのだ。
◆暗闇の中での安心感
何も見えない空間は極度の不安を与える。ひどい場合、見えないだけでパニックになり、めまいや吐き気などの体調不良につながる。(もちろんイベントではそうならないよう細心の注意を払っていた)。そんな中で、隣にいる赤の他人とのふれあいは僕に強い安心感を与えてくれた。目が見えたらありえない程の早さで距離は縮まる。
もし仮に暗闇に3日、いや3時間でも2人きりでいたとしたらどうだろう。人間の意志や理性なんてぺらっぺらなものだ。
そう考えると、ダイアログインザダークのトークテーマの難解さ(雑さ?)は参加者同士の距離を近づけすぎない配慮に思えてきた。※ちなみに、幸か不幸か、僕が背中を合わせた相手は僕の親世代の方で、話もいい感じにかみ合わなかった。
HPのわかりづらさもそうだ。安易にこびた広告と楽しいイベントをして、テレビやSNSで口コミが広がり、数万人規模で参加希望者が集まったら? 暗闇の中でおかしな行動をする人(あるいは初めからそれ目当ての人)も必ず出てくるだろう。
ダイアログインザダークは今のスケール感でギリギリ保たれている。だからこの記事を開いた物好きなあなたにぜひ今のうちに行っておくことをおすすめしたい。
誤解がないように書いておくが、僕が言いたいのは有名になったらセクハラするやつが出てきてイベント自体無くなる危険あるから、早めに行っておこうなんて話だけではない。男女で時間を分けただけでは対策が十分ではないことは容易に想像がつく。
明るいところで決して踏み越えない距離感をバグらせてしまう恐ろしさが暗闇にはある。だが繰り返すが、それが善にもなることが大事だ。
今日ケアも含めて、接触を避ける傾向が増えている。だって責任を取りたくないもの。師匠と弟子、先生と教え子、先輩と後輩、親と子まで、みんなが触れるのを恐れている。それはある面でクリーンで良い社会である。しかしそこからこぼれおちてしまう良さがあることも事実である。
ダイアログインザダークを通じて、非日常感を体験してみてはいかがだろうか。