「今度の総裁選とその結果どうなる?」
くどいが僕は政治の専門家ではないので、あくまで一日本国民が思ったこととしてこの時期の備忘録として残しておく。
菅さんが総裁選に不出馬ということで、全員が横一線に並んではじまる総裁選、しかも一部では5人程度出ると言われており、見る方としては、近年になく、なかなか「面白い見もの」のではあるが、なんか昔のそれとは何かが違うような気がするのですが。。。
■どう選ばれるか?
そもそも総裁選は推薦人が20名集めないことには始まらない。
「20人とか超少ねーな」とか思いますが、推薦人は名前が出ますので、負け馬に賭けると、当然大臣とかの椅子は遠くなりますよね。「てめー俺を推薦しないでふざけんな!」となりますよね。となると派閥の長で黙っても自分の名前を書く子分でもいない限り、20名を集めるのは、余程勝てそうではない限り難しいでしょうね。(逆に勝ちそうな人にはすごく人が群がるのは容易に想像がつく)。
しかし、ちょっと調べたら、昔は50人だったそうなので、数字上は、楽にはなったように見えますが、その分派閥が弱くなったので、楽になったと言い切れないのではないでしょうか。
■誰が出るのか?
岸田さん、河野さん、高市さん、野田さん、石破さんと言われている。
本当に5人もでたら、なかなか楽しいじゃないですか。
推薦人制度ができて5名以上出たのは、2008年と2012年の総裁選だけ。
実はこの2回にも出ているのは、この中では石破さんだけ。
しかも石破さんは2012年の投票で1次投票では1位になっている(決戦投票で安倍さんが勝利)。岸田さんと河野さんは1回過去に立候補している。
やはり、過去出たことある人は、選挙戦術・戦略面などで、多少アドバンテージがあるのだろうか?
■誰になるのか?
当然分からない。途中までは順調でもいつ何か文春砲に一撃を喰らうか分からないし、僕が文春の編集長なら、今まで秘蔵していた決定的なネタを出すならここからであろう(国益に叶うかどうかは別として)。新聞などがやっている「誰に総理大臣になってほしいか?」というアンケートがあるが、別に党員でも議員でもないので、殆ど意味ないだろう。それみて投票権がある人が考えを変えるなら別であるが。
つまり、「総裁選で選ばれる人は、国民がなって欲しい人と乖離があっても全然おかしくない、むしろ、別のロジックで動いているので、そうなる可能性は高い」のである。これが今の制度上の限界である。また、推薦人は透明だが、投票は無記名なので誰がどうしたかは当然分からない。こんなコロナで危機的状況に、「間接的に民意が反映されている」というおおよそ幻想みたいな制度に、我々は運命を託していいのだろうか?
言い換えると、この総裁選では、「普通この人でしょ」ということではなく、「えー」という人が選ばれても仕方ないのである。この心の準備も必要だ。
■諦めからの無関心
「XXさんは線が細いし、XXさんは経験がないし、いい候補がいない!田中・福田や竹下・安倍・宮沢とか鎬を削っていた時代とは違うな」とかいう話はよく聞くが、ではどうしてそうなったのか?
昨日の日経に衆議院議員の当選回数のグラフがあった。3回の人が異常に多い。おそらくだが、昔はもう少しなだらかな半分ピラミッド型(当選回数の多い人がなだらかに多い)だったのではないか。当選回数=能力とは思わないが、政治家に大事な雰囲気や納得性は兼ね備えることはできるのではないか。今回もベテラン議員の引退が続いたが、年寄りばかりは不満だが、若者ばかりでも不安である。各年代とある程度相関のある選び方はできないのだろうか? 自分やその周辺を代弁してくれる人がいなければ、投票者もそれは無関心にもなろうと想像できるし、逆に地方の人が地元のためにやってくれる年次年代関係なく「同じ名前を書き続ける」理由も分かる気がする。
■では誰の責任か?そしてどうする。
それは国民ですよね。投票に行かないと行く人にメリットがあるようなことになりますし、政治家もそっち向きますよね。投票行かないけど、文句は言うとか、本当に意味分かりません。
せめて、今度の衆議院議員は、しっかり行ってください。生き残りたかったら。
今度の総裁選、仮に僕らの思う「あの人」が選ばれなくても、驚かないし、諦めない。選ばれたら全力で応援する。それだけ。