住所不定無職vol.1
初めまして!
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
最近荷物をとことん減らしてバックパック一つに収めて住所不定の生活を始めました。
荷物をとことん減らしてバックパック一つに収めて動き回るしかなくなった
ぼくの生活の過程を皆さんにうまく公開できたらなと思います。
日記のような感じでその日感じたことや暮らしの情報、ゲットしたもの・手放したものなど
いったいなぜこんな生活をするになったのでしょうか。
まずは遡ってみる
ぼくはコロナになって東京・東日暮里のシェアハウスに引っ越してきてubereatsでめしをくってました。
大学では建築を専攻していたので今は都市を観察しながらお金を稼げることに喜びを感じています。
そう!もっと遡ると...
九州の佐賀で生まれ育ちました。
佐賀平野がどこまでも広がり、北には脊振山、南には干潟の有明海。
とても穏やかで、見晴らしのいい街です。
ものごころついたら宅地開発が進む田園地域の住宅街のハコガタの家にいました。
1階に父方のおじいちゃんおばぁちゃんの生活圏
2階に2部屋にぼく父母の生活圏
外に出て遊ぶのもゲームで遊ぶのも好きでした。
ゲームでは設計的にいけない場所があるってのも、他人の家の屋根にのぼっちゃいけないのと同じなもんか
とか感じたり
木の上や、公共トイレの上、フェンスと塀の隙間、水路のトンネルの中
秘密基地のような居場所をたくさん見つけて楽しんでました。
そして高校になった当時のぼくはこんな田舎で過ごしていたらダメだと思い、死んだ後もなにかでかい塊を地球にドーンと置いていきたいイメージで建築を選んだ気がします。(みなさんはどうやって今の仕事えらびましたか?)
当時ひたすら勉強していなかったぼくは浪人もしてしまったのですが偏差値50くらいのぎりぎりで、群馬県前橋市の公立大学になんとか行けることになりました。
上京...プラス127.4キロです。
関東ならどこでも人が多くて都会なイメージを持ってたぼくは前橋もこんなところだろうとなんとなく想像していたのですが、
JR前橋駅に着いて外に出てみると建物は少なく人も全然いない。
とても静かな駅でバスを待ってるおじいちゃんに群がる鳩の数が忘れられません。
アート、産官学で今だいぶ栄えてきてます!
よかったら遊び来てください。
関係性の再定義
コロナになったタイミングで、皆んな外に出なくなり、家で大事な人と過ごす時間の大切さに気づき、
ぼくが過ごしている地域でも人と密に関わり合うことに怯えるようになっていました。
お店は営業を停止して給付金をもらうところや
営業しながらデリバリーへと営業形態を変化させていくところもあったり
当時たくさん人が出入りしていたシェアハウスにもパッタリ人が来なくなっていました。
逆張りの東京行き
メディアで続々と感染者が出てる東京の実態はどうなっているのか気になった。
これまで密度と効率化で価値を担保していた大都市東京がどう変わっていくのか
前から気になってたモバイルハウスのシェアハウスがちょうど住人を募集してて、勢いで連絡して飛びこみました!
ここでは半年ほど生活させてもらって
たくさん迷惑かけちゃったけど
めちゃくちゃ勉強させてもらいました。
少しずつ還元してく。
そうやってシェアハウスを後にしたものの、金もないし家もない。
ひたすら街をみながら人々にご飯届けて稼いでました。
という状況です。