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初めてのnote &初めての自分史
2021年にnoteを開設してたのに何を書いたら良いか分からずにずっと放置してた💦
とりあえず自分史を書いてみようかな?ふと思ったから、これは神様からのお告げだと思い書く事にしました
それでは長い長い自分史を書いていこうと思います
誕生からの幼少期
昭和45年11月14日愛知県渥美郡赤羽根町(現在は田原市赤羽根町)にて生まれました
家族構成はおじいちゃん、父、母、5歳年上の姉、3歳年上の兄、そして末っ子の俺
おじいちゃんは独学で勉強して獣医師免許を取得して獣医さんしてて
父と母は養鶏場をしながら農業もして、めっちゃ大変そうでした
幼い時の記憶は無いんだけど母から聞いたのが色白で髪の色素も薄くて女の子みたいな感じな時に足を怪我して傷が全然治らなくて傷口を乾燥させる為なのか?スカートを履かされてたら近所の親子が俺の事を女の子だと勘違いして、この子と遊んでって女の子と遊んでたらしい 笑
オカンもこの子は男です!ってツッコミ入れないと 笑
でもまぁ俺も何も言えずに遊んでたけど、幼少期は引っ込み思案で他人の目が気になって仕方なかった。だから自分の言いたいことも全然言えなかったのは覚えてる。
唯一の家族旅行
家族旅行の思い出とかって全然無くて、唯一家族旅行したのは隣町にある海の見える綺麗なホテルに一泊したのが最初で最後の家族旅行
しかも昼過ぎに出発してホテルで晩御飯食べて寝て朝ご飯食べたら帰宅💦
そりゃニワトリ飼ってるからニワトリの世話しないとね💦
でもこんな一泊旅行でも凄く嬉しくて今でも覚えてる
忙しい中時間を作って思い出作りさせてくれたんだなと思うと胸が痛いです。
オカンに2回も命を助けてもらった
これも俺の記憶には無いんだけど、1回目は養鶏場で卵を詰めるプラスチックのケースが段積みしてる所で、そこの1番上まで這い上がって行って、2メーター以上ある所から頭から落ちたらしい
オカン達が卵を集め終わって、そこに来た時には白目をむいてぴくりとも動かない俺が横たわってたらしい
そこでオカンは勘が良いのか頭が動かない様に固定して病院まで行って診てもらった
病院の先生曰く『頭を動かしてたら命の保障はなかったかも』って
そして2回目はまた養鶏場で食いしん坊の俺は大人でも開けるのも大変なネズミを殺す毒薬みたいなのを、こじ開けて食べちゃってたらしい
親が発見した時には毒薬の缶を股に挟んだまま口から泡を吹いて倒れてたらしい
本当俺ヤバイよね
でもこの時もオカンは咄嗟に俺の口の中の毒薬とか吐かせられる物は全部吐かせてから病院に行って一命を取り留めたらしい
病院の同じ先生だったから
『この子は2回もお母さんに命を助けて貰ったから長生きするね』って言われたらしい
でもオカンの寿命は縮まったよね💦ごめんね🙏
小学生時代
小学校に上がっても内気で人の目を気にするタイプでした。授業でも答えが分かってても手を上げれなくて、うつむいて先生にいかに指されないか考えてた 笑
内気で色白で本当俺は女子なのか?って思うぐらいでした。だからなのかジャイアンみたいな身体の大きなボスにイジメにあいそうでした。
姉も兄貴も運動はほどほどな記憶なんだけど、俺は何故か足が早かった。そーなると運動会とかに活躍したり、その当時流行ってたローラースケートがめっちゃ速く走れて、何故かイジメから回避されてた。マジで足が速くて感謝した。もし足が遅かったらイジメにあってたかも💦
低学年の時は普通にかけっこが速くてリレーメンバーだったんだけど、校内マラソン大会の時に俺めっちゃ速くて校内トップになった。
今でも鮮明に覚えてるのが1000mを3分14秒で走った。当時の小学生の渥美郡記録を塗り替えた!
あと覚えてるのが夏休みの自由研究で、魚釣りが好きだったから、家の裏にあった貯水槽?で何時にどこのポイントでエサを何に変えて何が釣れたか?って全部メモって、それをまとめたのを提出したら
学年発表する事になり、何か賞を貰った気がする。翌年は全然宿題も自由研究もしなくて、最終日に急いで書き上げたのが
『トンボの一生』って題名でトンボを一匹捕まえてヒモを付けて、それを観察した。
って言う本か何かをパクって書いたら、また何故か学年発表するハメに 笑
俺って世渡り上手なのか?って思った 笑
そして何故か勉強もほどほどに出来た。
勉強出来て運動も良く出来て本当親に感謝です。
中学生時代
中学生になり部活に入るんだけど、陸上部が無くて、小学生の時から剣道を習ってたから
何も考えずに剣道部に入部。
そしてその剣道部にはヤンチャな先輩、同級生も居て何故か俺もヤンチャな格好をするようになる。
この頃は色々考えてて、どう自分を他人に見せるか?って事で考えたのが
『ヤンキーで勉強しないのに、何故かテスト結果が良くて、そんなに練習しないのに足が速いヤツ。そして硬派だから女子とは喋らない』
こんなヤツが俺の理想像と考えて実行した。
学生服はヤンチャな感じな着こなしして、テスト前には『俺全然勉強してないよー』とか言いながら、ちゃっかり隠れて勉強して、部活終わって家に帰ってから手首足首にオモリを付けて砂浜をめっちゃ走って、凄くコソ練してた 笑
だからヤンチャなグループに居るのに何故かテストの点数が良く、陸上の大会でも大活躍してた。
俺のイメージ通りな生き方が出来た。
そしてバレンタインデーには毎年20個以上チョコレートもらってた。
硬派だから『チョコちょうだい』とかは絶対に言ってない。中には告白してくる子も居たけど、硬派だから断ってた。
今考えると俺すごい 笑
中学2年の時からはバレンタインの日はもう一個バック持ってった思い出がある 笑
だって一年の時はバックに入りきらなくてチョコ学校に置いてったから 笑
高校生時代 前半
高校は地元の1番頭の良い高校へ入学。まぁ田舎だから選べる高校が少ない 笑
高校生活初日の入学式の時に可愛い女の子居るかなぁ?ってみんなで見回してたら、めちゃくちゃ可愛い女の子発見。
周りの男子も『あの子めっちゃ可愛い』って大絶賛で1番人気の女の子が気になって気になって仕方なかった。でもでも内気な俺は、遠くから眺めるだけで精一杯。しかもクラスも違うし絶対に手の届かない雲の上の人だった。
そりゃほとんどの男子から大絶賛の女の子に俺が近づけるはずもないよね。
部活はやはり陸上部へ。
そして一年の夏休みの時に同じ陸上部の女の子から呼ばれた。(あの子と仲良しな子)
なんだろう?と思いながら行ったら
『あの子が付き合いたい』って言ってるんだけど、どう?
えーーーーーっ!!!!!!!!
は?ん?ドッキリカメラ?何?なに?ナニ?
いやいやいやカッコ良い男いっぱい居るし、田舎者だし、頭良いヤツいっぱい居るし、俺より運動出来るヤツ居るし、、、、
なんで俺?は?え?俺で良いの?
頭の中でパニックなってたけど硬派な俺は平気なフリして『まぁ良いよ』って
心臓爆発しそうだったよ 笑
めっちゃ甘い時間を過ごしてた。
とりあえず高校生時代前半までで一区切りします。
まだまだ長い道のり。
高校生時代後半をぼちぼち書いていきます。