Part 5
大学に退学手続きをしに行き無事に大学中退。
心残りは何もなくむしろ開放感と達成感に満たされた僕は休む間も無く渡米資金を集めた。
とにかく早く行きたかったので休み、連勤の概念を無くして働ける限り働いた。ダンスのお仕事は増やさずに少し遠ざけていた。バイト仲間の「6連勤だ〜だる〜」などの言葉を嘲笑うかのように気づいたら90連勤を超えていた時もあった。
なぜ急いでいたかというと、LAに行くと言っていた知人のダンサーが日本でダンサーとして安定した生活を手に入れ何年経ってもLAに行かなかったからだ。
人間は自分は違うと思ってもその境遇に身を置くまでわからない生き物だ。
自分自身ダンスである程度稼げて周りの人に恵まれたら恩やその場所に情が生まれ、わざわざアメリカに単身渡米しなくなるんじゃないかと考えた。
とにかく別の職種のアルバイトで資金集めをした。
その際に出会った方々や経験、知識は今でも僕の宝物です。
飲食・ライブスタジオ・建築・力仕事・イベント・清掃・その他
たくさんの職種や組織の人に出会いたくさん学びダンサーというより1人の人間として成長できた期間だと振り返る今。
ダンスのレッスンは3ヶ月に1回ほどで海外のダンサーやこの人はっ!っていう数少ない方のWorkshopを受けていた。求めるものは質感。
3ヶ月に1回は平均的に少ない頻度だと思うが、お金を必要以上に使いたくないというのと一度観た技術やアイディアの吸収に3ヶ月かけてた。
決して踊るのが3ヶ月に1回ではなくレッスンが3ヶ月に1回。
毎日踊っていてよくスタジオにこもっていた。
当時通ってたスタジオのレンタル時間はは基本的に1時間の短期集中型。
なぜかというと無料やお金がかかってないところで1人で練習してもそこにプレッシャーや時間の認識が薄れて集中力が欠けるからである。
1時間1000円というお金を自分が働いたお金から払いこの1時間は無駄なことはせずお金がかかってるという意識のもと練習や"自己解放"をしていた。
"自己解放"とは...
Part6へ続く…