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マイストーリー~ビジョナリー・コーチ上野 英律(ひでのり)~

はじめまして
ビジョナリー・コーチの上野 英律(ひでのり)と言います。
自己紹介ページをご覧いただき、ありがとうございます!

1979年生まれ。
東京生まれ東京育ちですが、2014年に宮城に引っ越し10年になります。

このページでは、マインドセットコーチングアカデミー10期生として
認知科学をベースとしたコーチングを学び、プロコーチを目指している
私がどんな学生・社会人生活を送っていたのか。
どんな経験をし、何を感じて 今があるのか、をまとめています。


・学生時代

小学校・中学校時代は、仲間とサッカーに没頭。

キャプテン翼の松山光 くんを敬愛し、「どんなときもあきらめない」「粘りの松山君」の在り方に惚れこみ、
彼の日本代表の背番号「12」を自ら希望して自分の背番号にしてました。(サポーターの番号なのに)

↓学生時代の苦い経験まで知りたい方は、こちらの記事をどうぞ。
https://note.com/hidenori_55/n/n017c4768d2f6

高校からは、一変して音楽の道に。
ブラスバンド部では、ホルン。大学では、Jazzに目覚めSAXを。
熱中するものを見つけたら、他には目もくれない私は 就職活動そっちのけでSAXばかり。将来のことよりも「今」に熱中することが大事。そう信じて生きてきました。

しかし、「外」を知らなすぎるのでは。
とふとした瞬間に思い立ち、一人旅をすることを思い立ち北海道へ。


飛行機のるのも初めての1人旅

約20日間の旅だったのですが、「陶芸家」「1人旅好きな女性」「大勢のライダー」「映画撮影に来る社会人」などなど・・
学生でSAXばかりやってた僕は、この出会いやそこで起きた奇跡の連続に 「人生っておもしろいなぁ」「おもしろい人沢山いるなぁ」と実感。

そこで、就職する前に、もっと世界を知りたい!
と思い立ち、大学を休学。ワーキングホリデー制度を使ってオーストラリアに10ヶ月間行きました。

現地の楽器屋さんでバイト、日本人がほとんど来ない宿でマネージャー、ヒッチハイク、1週間かけて行ったタスマニアでの縦走・・・
細かくは、語りませんが この旅も最高で。

・思考は現実化する
・やってやれないことはない、やらずに出来るはずがない
・自分には可能性だらけ

そんなことを体感した貴重な時間でした。

‐新卒~20代前半~

リクルートと同じような匂いがする会社(社員がイキイキしてて、ビジョナリーな会社)に入りたくて辿り着いたのが、(株)インテリジェンス(現パーソルキャリア)。

今でも大切な同期(東北に異動する直前)

若いうちは、とにかく「泥臭く経験を積む」。
と決めていたので、グループ会社の(株)オポチュニティ という当時50名ほどのベンチャー企業への配属を希望して、無事配属。
インターネットでアルバイト探し求人の先駆けの会社。

それは効果も出ず。2週間掲載して、PVがようやく二桁、、、なんてこともザラ。効果は、出なくて当たり前。

しかし、「これからは、インターネットです!」「一緒に業界を創っていきましょう!」と謎の営業トークを真剣に語り受注をとってくる。
そして、効果がどうやったら出るかを めちゃくちゃ考えてお客さんと共に結果を出しにいく。そんな営業スタイル。

・お客様と業者ではなくパートナーとして関わる
・1%でも可能性があるなら、可能性を信じて関わる

こんなことを学べた新卒時代だったな、と感じています。

・20代後半~苦難の時代~

そこから、マネジメントを経験したり企画部門に異動したり。
30代前半までは、成長の踊り場。

同期は、結構出世する人も出てきて、自分的に焦りを感じ始めていました。
そんな自分を直視せず、どこか他人であるかのように見ていたことが見透かされマネジャーを降格されられたこともありました。

新卒時代や海外で頑張っていた自分を見失い、いつしか他人軸で生きてる。
他人から自分がどう見られているか。
に捉われた 今思うとカッコ悪いサラリーマン。

失敗するのが恥ずかしい⇒だからやらない。
自分は、知らなかった振りをする。
ほんと、かっこ悪い時代。

・30代前半~新たな光~

そんな私を変えてくれたのが、東京スカイツリーの営業経験。
東日本大震災があり、日本中が暗い空気に包まれた時代。
そんな中、誰しもが斜め前を向ける。世界一高い電波塔には、そんなメッセージがあったと感じています。
東京タワーが高度経済成長の象徴になったように、スカイツリーの成功が 日本が再び立ち上がるきっかけになる。

そう信じて、東京スカイツリーの開業採用一括支援を全社プロジェクトとして進めることに。その私は、リーダーとして営業をしていました。

結果、失注だった(失注だったんかい!)のですが、

・チームで仕事する楽しさ、難しさ
・自分の仕事が地域に与える影響
・ビジョンに共感して人は動く

この経験は、私にとって非常に大きく今の自分に繋がっています。
その後、私は全社の商業施設専任営業として、お台場や、渋谷、みなとみらい等、数々の商業施設オープンに携わることになりました。

・30代後半~東北へ~

自分自身のキャリアを考えたときに、ふと、このままでいいのかな。
商業施設で一定の成果をあげられたな、後輩に引き継げた感もあった私は、ふと将来のことを考えます。新しいチャレンジがしたい。

そこで、ふと思い立ったのが 東北でした。

東日本大震災で何度かボランティアに行っており、気になっていた。
東北に面白い人が集まっているし、東北から新しいコトが生まれている。
ウネリを感じていたことが主な理由。

社内での異動申請を2-3年? した結果 ようやく仙台へ。
仕事も公共事業を扱う事業部に異動。宮城県や仙台市など自治体と共に事業を立ち上げ推進するプロジェクトマネジャーとして活動をはじめます。

東北で、はじめて地域で活動する面白さをしりました。
仙台市さんが主宰するワークショップに参加すると、民間・NPO・行政職員・主婦の方、、など業界や役職・年齢関係なく
「地域」を良くするために自分たちが何を出来るか、を考えてる。

これが、とっても面白い。
自分たちが住んでる地域は、共通の主語になるんですよね。

ここから、私の地域との関りがスタートしました。

就業支援事業、被災者の自立再建事業、助成金の審査業務など様々なプロジェクトを行ってきましたが、今でも行っているのが宮城県南三陸町で行っている移住支援事業。

南三陸での仕事経験は、人生観を変えるくらい大きなものでした。

関わる人が、自治体や企業だけでなく 地域の人全て。農家さんや漁師さん、ご年配の方やお子さんまで。彼らが考える理想の町は何か。その実現のため、自分に何が出来るのか。を問いながら、動くことが楽しくて。


40歳の誕生日、南三陸の農家さんから頂いた「ネギ束」

しかし、そんな中 ある課題に直面。
折角、南三陸に移住してもらったのに 働く職場でうまくいかなくて退職。町を離れてしまう。そんな方を何人か見てきました。
このまま ただ移住に興味ある人を連れてきても、受け入れ態勢が出来ていなかったら同じことを繰り返してしまう。

そこで、現在行っている組織開発をローカルにも広めるべく、
妻の羽山暁子が代表を務めている株式会社Pallet に私もjoin(2020年)することにして、今に至ります。

・現在の私

私は、「ミドル層が勇気を取り戻し、人・組織をエンパワーメントするビジョナリー・コーチ」として活動しています。

具体的には、Pallet という会社で全国のコーチ(約120名)とチームを組んで管理職のトレーニングプログラムを行っています。

・なぜ、私がビジョナリー・コーチと名乗っているか

それは、私が営業でも地域と関わるときでも「可能性を信じる」「未来を描く」「伴走する」を通底してやってきているし、大切な価値観として持っているから。
そして、何より ビジョナリー・コーチ、と置くと自分がワクワクするから。
※ビジョナリーコーチについては、また別の機会で触れたいと思います。

真の「コーチ」になるべく マインドセットコーチングアカデミーの10期生として、以前学んだコーチングをアップデートし、プロコーチになるべく日々奮闘しています。

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今回の記事をお読みいただき、上野にピンときた方!
ご連絡頂けたら嬉しいです! 全力でセッションさせて頂きます。

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最後までお読みいただきありがとうございました!!

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