田舎住まいがいよいよ現実に
今日引越し先の下見に行ってきました。妻の妊娠に伴い、これからの子育てを二人だけで完結するのはとても難しく、義両親に頼ることにしたので、妻の実家に近いところに引っ越すことにしたのです。今は西宮市という都会に住んでいますが、引越し先は神戸市北区です。三ノ宮へのアクセスはよいようですが、いわゆる田舎です。
下見は4部屋ほど見てきました。建物自体は2軒です。どちらも最寄り駅から10分ほどで駅からのアクセスはそれほど悪くありません。2軒とそれぞれの部屋を比較して決定打になったのは、家賃の安さです。というのも近い将来に家を建てることを決めているのですが、今は資金が足りなく、かつこれまでに全く「家を建てる」ということに関心がなかったことから全くの素人知識しかなく、すぐに購入することを回避しました。そういったいわゆる仮住まいを豪華にすることはないだろうという二人の考えを反映した部屋選びをしました。
さて、家を建てることは今でも、私の中で、もやっとしたものがあり、決めきれていません。義両親からは「家を買って男として一人前」や「子どもを育てるなら家がないと」など旧的な考え方を押し付けられており、はっきり言って、それだけが家を買う動機となっているわけです。
この義両親からの圧倒的な論拠不足、非現実的な主張に抗うことができません。私一人で生きていくのであれば全く相手にする必要はありませんが、妻がいます。妻のこの存在はこういった場面でとても大きいです。というのも私は「家族の縁」というものを全く信用できない生育環境にありました。今でも私は親(母親とは絶縁しているので今何処にいるのかも知りません)との関係が非常に希薄で、それは私が求めていることであり、相手は求めていない(はず)です。でも、これから妻と二人で生きていくのであれば、義両親を無視するわけにはいきません。妻が無視しないからです。妻は実家が田舎ということから想像できるように、とても大家族的な価値観、生活環境で生きてきました。したがって親が持ち家なので、夫に持ち家を求めるのが当たり前、だってそういう環境で育ってきた彼女にとっては当たり前のことだし、その思想を親も強力に承認しているからです。
こういった非論理的、非現実的な思考というものはこれから二人で生きていく、子どもを育てていく中で何度も私の前にあらわれてくるでしょう。いわゆる「親戚づきあい」なんてものもそういう類に入ることだと私は考えています。
日々発生するこの私の中でのイレギュラー処理を楽しめるように、田舎住みでの田舎づきあいに入っていくことを決めたのです。まずは「それをやろう」という決断ができただけでもとても進歩したと思います。偉いよ、私。
※あら?本当は「生活レベルを落とす」ことをテーマに書こうしていたのに、いつのまにか「家族関係」について書いてしまった。というくらいに無意識の中で考え続けている課題なんですね。