藤原広嗣公を訪ねて 唐津・鏡神社
皆さまコンニチハ、ひでみです。
今日は私の生い立ちとも深い縁のある
藤原広嗣公を訪ねて、佐賀県唐津市への旅。
時代を超えた魂の縁が交差する旅語りです。
どうぞ最後までお楽しみください。
皆さんは、藤原広嗣(ひろつぐ)という名を聞いたことがあるでしょうか。藤原家についてはご存知の方でも、広嗣を知る人はもしかすると少ないかもしれません。
私自身も実は日本史にあまり詳しく無いのですが、広嗣は私にとってとても特別な存在です。
私は奈良市にある南都鏡神社という神社の神主の孫として生まれました。藤原広嗣公の御霊をお祀りしている神社です。
幼い頃から神社の境内の砂利や木で遊び、何か悪いことをしてしまった時は「神さんが見てはるで!」と言われて育ちました。
そんなことで私には、いつもその神さん=広嗣が一緒でした。
南都鏡神社では2021年に30年ぶりの御造営が行われたのですが、その時期に合わせて、とある神社を訪ねました。
佐賀県唐津市の鏡神社です。
佐賀県の唐津は、広嗣が斬殺された場所。その御霊をお祀りしているのが、鏡神社です。
この地を広嗣の命日である11月1日に訪れたのです。
境内にはその御霊を鎮めるように、キンモクセイが咲いていました。
境内はとても広く荘厳で、清らかな空気が流れていました。この地での広嗣の存在感が伝わる立派な神社です。
私が訪れた時間帯は境内も参拝者が少なく、ゆっくりと手を合わせることができました。
歴史において、広嗣という人物は政府への反逆者であり、奈良時代最大級の内乱の首謀者。文武に長けているが協調性が無く、気性の激しい性格であったといわれています。
そしてまた、頭に一つのコブ(角)があったとも伝えられています。この絵でも、まるで鬼のような表情で描かれていますね。
没後も怨霊として恐れられる存在であり続けました。
これらの史実から、広嗣は荒々しさの目立つ存在であったのだろうと理解できますが、私は何故か、彼はとても繊細で正義感にあふれ、人を想い、人のために立ち上がり戦う、真っ直ぐな魂を持った人物であったのではないかと信じています。
広嗣の残した、こんな歌があります。
広嗣が桜の一枝と共に、心を寄せる女性に贈った歌です。
胸キュンすぎるのです。
一途で真っ直ぐな人って、時にその実直さが諸刃の刃になることがあるような気がします。
強くて、その強さの核が実は優しさでもあったりして、なんだろう、ロマンチックなんですよ。
さっきまで鬼みたいだった人物が、急にロマンチックお兄さんに思えてきます。
私は広嗣についての色んな歴史を調べるうちに、フォーリンラブ状態になってしまっているのでね。時空を超えた恋は盲目をしでかしているだけなのかもしれませんが・・・
なんかこの歌を読んで、広嗣について想いを馳せていると、胸の奥が痛む。
反乱者、怨霊として歴史に刻まれた貴方は、本当はどんな人物だったの・・・
タイムマシーンに乗って過去に行けるとしたら、私は迷いなく広嗣の元に行く!と決めている。
二人で心を開いた話をしてみたい。
色んなことを教えて欲しい。
唐津への旅は、広嗣の一生を辿るような、その魂と交差するような、なんとも言葉では表しきれない深い旅となりました。
もしこの記事を読んでくださった方の中に、同じように広嗣に特別な想いを持っておられる方がいらっしゃいましたら、是非コメントで教えてくださいね。
今日は個人的な想いが強めな旅でしたが
最後までお読みいただき
ありがとうございました
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