教師は「ファシリテーター」だけではいけないのでは?
こんにちは。
ここでは、私の理想の教師像について語ってみたいと思います。
個人的な考えです。
ですが、似たようなことを考えている方もいるだろうなと思いますので
他の記事からのオマージュと思われてしまうかもしれません。
そのことを頭において、読んでいただけたら幸いです。
それでは、よろしくお願いします。
最近、学校の教師は「ファシリテーター(促す人)」になる。
ということが多くの記事や場面でいわれています。
たしかに、学びを促す人として、活躍する必要はあります。
学ぶ内容を教えるより、学びを進めやすくするために環境を整えることに注目していくべきだというような意見が多く取り上げられていますね。
しかし
学校の教師は「ファシリテーター(促す人)」の役割だけでいいのか?
と考えました。
もちろん、それだけでないという思考で考えた結果
私の理想の教師は「才能を見いだし、その才能を伸ばせる」人です。
もう少し詳しく説明します。
「才能を見いだす」
→「その才能を伸ばすことを促せる」
→「外部の人につなぐことができる」
この流れを作れる教師は、素敵だなと考えました。
1.才能を見いだす
まず、才能を見いだせるということは、その子どもについて深く理解しているということです。
なにが得意で何が苦手なのかがわかっていないといけません。
それがわかって初めて、何がその子の才能かを考えることができます。
2.その才能を伸ばすことを促せる
これがよくいうファシリテーターとしての役割にあたりますね。
3.外部の人につなぐことができる
学校で見いだされた才能を、学校外の人とつなぐことができれば、さらに発展性が高まります。例えば、数学が得意な中学生を数学の専門家である人とつなげることができたら面白そうです。
ただ、問題があります。
そもそも、「才能」っていろんな種類がありますよね。
絵をかく才能やスポーツの才能など様々です。
極端なことを言えば、すべてのことに「才能」があると言えます。
また、教師が経験値が高くなければ
どんな才能があるのかを判断できません。
いろんな世界のことを知っていない教師では
その子の才能に気づくこともできません。
そういった意味で、あくまで「理想の教師」となってしまうのですが、、、
もし、才能を見抜くことができる教師がいたとします。
そう考えると学校では、才能の片りんが見られるような機会が
増えるといいなと考えています。
自分ひとりだけで勉強していては気づかないし、やることもないようなことを「学校でやると決まっているからやってみる」という中で、「才能」が発見できるかもしれません。
「学校でやると決まっているからやってみる」というのは
強制的な印象がありますが、むしろ、新たな一面を見つけられるチャンスとも捉えれます。
自分がやりたいと思ったり、好きだと思ったりすることと
得意なこと(才能)は、必ずしも一致しません。
たとえば、「乗馬」で考えてみます。
馬に乗りたい!と思い、実際にやる中学生は
あまりいないのではないでしょうか?
それを学校で行えば、「乗馬」のすばらしい才能をもった中学生を見つけることができるかもしれません!
その中学生は、自分に「乗馬」の才能をもっているとは
思いもよらないはずです。
そして、この生徒に乗馬をうまく教えてくれる外部の人につなげることができたら、この才能を開花させることができます。
そんな、子どもが自分からやろうと思わないようなことを
あえて学校で行い、教師がその才能を見いだせる状況にあり
外部とつなげることがスムーズに行えれば
面白いなと思いました。