新高二が高二病を知って
「高二病」って少しスラング味がありますが、「思春期」と大まかに捉えてくれれば大丈夫です。
私もこの手のワードはただの言葉遊びだと思いますので笑
執筆時に聴いていた曲です↓
私は高二病を普通に「避けたいな」と感じました。
「病」とされているものが良い意味で使われるとは思わないから。
まぁその考えがすでに高二病かもしれませんね笑笑
「達観した態度をかっこいいと勘違いする」や「何かと悲観的にモノを見て他者を批判する」など、今までの自分を見ていてもあるあるでしたね。
どうなんでしょうか。
厨二病経験を生かして熟考して、高1の1年間も考えに考えた結果、
高二病の根底には”色々なもの”がないまぜになったものが虚勢を張った攻撃性として方々に現れているのかなと感じました。
どんなものがあるのでしょうか。
※個人的には高校生のコミュニケーションから「本音と建前」がはっきりしてきて、水面下でうごめいている感じがします
多かれ少なかれ、世の高校生はそういった高二病要素を持っているのではないでしょうか。
私は高二病から逃げたい
それを踏まえた上で完全なる高二病からは逃げたいのですね。無理なら上手く折り合いをつけられる位には大人になりたい。
セクションのタイトルにはいくつか意味があります。
高二病と一括りにされて自分らしさが見えなくなる事から逃げたい
高二病という生き様がちょっと痛いから地に足つけた生き方をしたい
最低限法を守ったり対人関係を築きつつも、子供らしい空想ができるような幼い心、あるいは厨二病のままでいたい(高二病になりたくない)
早く大人になって自由に一人暮らしをしたい
何だかこうして文字に起こしてみると、しょうもないプライドとは言わないものの、抱えるものいつまでも抱えて逆に動けなくなってる感じがしますね。
ただの「高二病の人」より「私らしさの中に高二病に似た部分もある」って思いたいですよね。こういうこと↓
前者は何だか人の性質を一まとめにしているようで寂しいです。
このことは別の記事で書きました。
けれども後者にすると、「それもひっくるめて自分だよね!」と自己肯定感が高まるんじゃないかな。気分もマシになる。
下3つをまとめると「高二病はさっさと治して経済的に、場所的に自由な大人になりたい。そして子供向けアニメとか趣味を楽しみたい」というものだ。
高校生にして「目の前の現実を見よう」だとか「社会に自分を合わせることは必要」とかいう考え方は、高二病の同級生からは
「つまらないヤツ」「青春しようよ」「真面目なんだね」
という、若干冷めたような反応をされる。
もっと言われる場合は
「陰キャ?」「なんか達観してて大人だね」「なんかダサい」
くらい言われる。
別にいいんだけどね
だって、高校卒業して大学や院行くかしたら新卒カード使って就職だよ。この日本社会ではさ。
20代までは転職もちょいちょいあって、30代差し掛かったら結婚なり子育て。独身者の立場もあればいいけどねぇ。
40、50になったら同窓会で子供の話とか出る頃かな?体にガタも出始めるだろう。
60、70になったら定年退職。孤独老人になるか、持病の事とか立ち話してる老人になるかの二極化。
んで80代くらいで死ぬか、4、50年働いて年金貰えても生活カツカツ。
90、100まで生きても生きなくても変わらない。健康寿命なんてとうに終える時期だから。
大体みんなこんな人生を歩むの。
みーんな、大人とか子供とか以前に「世代の悩み」「個人の悩み」ってのがあって、それと上手く折り合いつけたり、あるいはやり過ごしたりして地に足つけた生活送ってるの。
だから、「既存のレールに沿って行こう」とか「夢なんか見てないで現実を見ろ」と言いたいわけじゃないですよ。
夢と高二病特有の大言壮語は違うよって話です。
大人になりたい部分と子供でいたい部分
それと、3つ目と4つ目の文言の違いについても。
法を守って犯罪歴をつけないこととか仕事上の距離感や対人関係、経済的自由や時間的自由・居住地の自由という面では大人と同じ権利を手にしたい。
まぁそれには成人する必要はあるんですがね笑笑
次はちょっと生々しい話になりますが、
経済力にものを言わせて思春期以前の体毛やニキビが少なかった状態に戻りたいですね。そういう意味では外見は子供に戻りたい。
あとは頭髪を整えたりスキンケアをしたり、色んなファッションを楽しんだり。
やはり清潔感は大事にしたいですね。
自分にお金さえあればコンプレックスも思いきり解消できるのも大人の特権って感じがしますよね!
大人としてちゃんと生活費を稼ぎつつも、子供みたいな身軽さで、「自分の行動に責任も取れる大人として」一人旅とかしたり。
童心に返って子供向けアニメを観まくったり。
中高生時代みたいに推し活したり。
私はそういうのが好きです。
しかし。
世間一般としては「その年代にあった振る舞いや服装」とか「体の性別にあった行動や喋り方」が求められます。
それを心から納得してやっているのならいいけれども、”世間で求められるそれ”から逸れた人に周りの人やメディア・広告は色々口出しをしてきます。
「多くの男性は大学に卒業したら就職して、働き盛りの4、50代で昇進して…」
「桜花爛漫の候、貴社におかれましてはますます輝かしい春をお迎えのことと存じます〜(国語で敬語の単元を習うのはこういう中身ない文を書くため?)」
「40代にもなって若い子みたいな服装をしてる女性はイタい」
「昼間からほっつき歩いている人なんてニートとかロクな人じゃない」
「女性誌などで年相応のファッションを学ぶ」
「お前ってナヨナヨしてるけどオカマ?」
「この秋外せない!新作ダウン10選!みたいな広告」
「50代独身でアニメばっか見てる男性とか人としてどうかしてる」
「婚活でナシな条件:実家暮らし・家事に非協力的・長男」
。。。
私たちは普通に生活してるだけなのにみーんなアレコレ文句言ってくる。
ニヤニヤ冷笑しながら不愉快なことばかり言ってくる。
ほっとけばいいのに。ヤンデレみたいだよ?
そういうのに従うことが、大人になるとかマトモな社会人になるってことなら、ずっと子供のままでいたいな。
今ここでも、「〜だよ」「〜なぁ」というくだけた口調と「〜だと思います」「〜です」という少々お堅い口調を行き来するのは自分のアイデンティティでも子供らしさと大人らしさの両方を大切にしたいからです。
たまに「経済的自由」などの分厚めの漢字を使う時もあれば、「そういうの」などのふわふわした表現を使う時もあります。
高二病の症例の一種かもしれませんが、これが自分でもあります。
終わり
まぁ大抵の脅威からは逃げられたことがなく、折り合いをつけてきたので、きっと高二病もそのようになるでしょう。
一番良くないのが、「自分は高二病なんかじゃない!ならない!」「自分が高二病だなんて認めるか!」「もう高二病じゃないもん!」と自分に嘘をついて抑え込むことです。
折り合いをつけるか、高二病を機に将来の展望を考えてみてもいいかもしれない。
高二病というものを知って高二病デビューを果たした方へ。
私のこの記事みたいに、
「自分は高二病に対してどう思っているか?」
「自分は将来どうしたいのか?」
「高二病を直すとしたら方法はどうすべき?」
などと考えて、それをノートやメモに書き留めることをオススメします。
ただでさえ思春期に重なる複雑な時期ですからね。
自分軸というコンパスを掴むためにもしておいて損はないです。
それでは終わります。
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