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酒、百薬之長、百害之首
自ら”禁酒法”を発令してから、なぜか酒をネタにしたnoteが増えている。
酒飲みは「酒は百薬の長」という「ご金言」を胸に秘め日々酒を飲む。
酒はいいものだと。
私など体を壊しておきながら、無意識に「酒は百薬の長」だと勝手に思って「酒飲みの言い訳」をしていたのだから今もって不思議だ。
「酒は百薬の長」のネタ元は中国新朝の皇帝王莽。王莽は人々の健康のためにこう言ったのではない。経済政策のためだった。王莽は塩や鉄などに加え、酒を国の専売(国営)にして、経済統制を図ったのだ。
「酒は百薬の長」には、「嘉会之好」という続きがある。
つまり、「宴会は楽しいぞ」と続いているのである。
確かに宴会は楽しい。
宴会をじゃんじゃんやって、酒をどんどん飲むとよいぞと皇帝は言いたかったのだ。
なるほど、国が儲かるからだ。
皇帝も隅に置けないお人だ。
皇帝の「ご金言」が金儲けのためだとわかった今、皇帝の術中にはまってはならない。
「酒は百薬の長」という「ご金言」を鵜吞みにしてはならないのだ。
私は「酒は百薬の長」という「ご金言」を肝に銘じて「酒の道」を究めてきた。
その結果、「酒は百薬の長」の言葉の裏には「酒は百害あって一利なし」という落とし穴があることを”悟った”。
「酒、百薬之長。酒、百害之首。」
である。
ただ、皇帝の「ご金言」のうしろの部分「嘉会之好」(宴会は楽しい)を否定するものではない。
王莽が生まれる前は、「以酒為礼、可通天地」(「荘子」外篇)と言った文化風習が根付いていた。
神々や祖先を祀る際には、酒を捧げることで敬意を表し、天地との交流を図ったり、「郷飲酒礼(きょういんしゅれい)」といった儀礼があり、目上の人を敬う場でも酒が使われていた。
だから王莽が「酒は百薬の長」と言ったのは、私は金儲けのためと邪推をしたが、実のところは、酒の文化伝統を重んじた言葉だったと読み取った方が健全だろう。
酒は健康のためでも何でもなく、人を敬う姿勢を学ぶためのものであった。そこに「酒の道」があるということなのかもしれない。
中国では古くから「酒以成礼」(酒は適量が礼儀)という「ご金言」がある。この「ご金言」は中国古代から伝わっているものである。
お酒を以て礼を失することばかりの私には耳の痛い「ご金言」である。
参考情報:
夫盐,食肴之将;酒,百药之长,嘉会之好;铁,田农之本;名山大泽,饶衍之臧;五均赊贷,百姓所取平,以给澹;铁布铜冶,通行有无,备民用也。此六者,非编户齐民所能家作,必於市,虽贵数倍,不得不买,豪民富贾,即要贫弱,先圣知其然也,故斡之。每一斡为设科条防禁,犯者罪至死。(《汉书·食货志》,置五均六斡,百姓愈病。莽知民苦之,复下诏。)
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