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モノガタリスト モノガタリズム

「モノガタリスト」は、「物語+ist」のことで私が勝手に作った造語です。簡単に言うと、「物語の担い手」です。

モノガタリストは必ずしも物語を創作する人だけではなく、物語を伝える人、物語を語り継ぐ人、物語に心を動かされた人を包括するのがモノガタリストです。

そして、物語を中心に世界を捉えなおそうとする考えを、私は「モノガタリズム」と言っています。モノガタリズムも造語で、「物語+ism」の合成語です。


物語というと小説や映画などの作品の世界の物語と思われるかもしれませんが、今あるような作品としての物語の歴史はそれほど長くなく、物語はもともと小説や映画などの作品の枠にとどまる個人的なものではなく、人々の共有のものとして機能していました。

古代から人は自然や宇宙から神話という物語を紡ぎ出してきました。そして、神話の神を頼りに「自然に感謝しながら豊作を祈る」「そらを見上げて嵐が止むように祈る」ことをしてきました。人々は古くからずっと物語を共有することで、共同体や社会を成り立たせてきました。

人々が物語を共有して社会を形作る深層領域では、「集合的無意識」が働いているという捉え方があります。

一方で、意識は利己的でわがままなものなので、人間は意識だけでは物語を共有することは難しく、昨今の「分断」の本質は、頭脳で社会を何とかしようとする意識偏重のあり方を皆が受容しているからだという考え方もあります。ちなみに、この考え方は私個人のものです。

「集合的無意識」は、スイスの心理学者であり精神科医であったカール・グスタフ・ユングが提唱したもので、心の階層には「意識」「個人的無意識」「集合的無意識」があるとしました。

個人的無意識の内容は主として、いわゆる強い感情を伴ったコンプレックスであり、これは心的生命のうち個人的な内容の部分を形成している。それに対して集合的無意識の内容はいわゆる元型である。

ユング「元型論」

またユングは、「集合的無意識」の内容を「元型」と呼びました。「元型」とは古今東西の神話に共通したものから見出されたものです。

つまり、ユングの考えを借りて、社会を捉えると、私の整理はこういうことになります。

  1. 社会の原動力は「物語の共有」。

  2. 「物語の共有」から「元型」が見出される。

  3. 「元型」は「集合的無意識」により形成される。

意識からは無意識を把握することはできませんが、無意識からの働きかけに意識は反応しています。これを強引に拡大解釈すると、「集合的無意識」により社会は動かされていると見ることができると思います。このような社会の深層には物語の力が働いているという世界観を「モノガタリズム」と私は名付けました。


物語とは文字通り「物を語る」ことで、もともとは語りがベースの口承文化で、長い歴史があります。ギリシャ神話は紀元前8世紀頃に遡ると考えられていますが、そのギリシャ神話に出てくるアテナはアテナイというポリス都市を守る神であり、共同体のアイデンティティでもありました。そして、共同体のアイデンティティを支えるものが「物語の共有」でした。

世界には今でも長い間語り継がれ共有されてきた大きな物語があります。

例えば、ひとつは万物の創造主たる神の物語であり、ひとつは世界の中心は中原とする中華の物語です。

この二つの大きな物語の表舞台では、経済戦争や軍拡競争が起こっていて、見事に世界が「分断」されているのですが、モノガタリズムの視点からすると、グローバル時代になった今でも、物語の違いを共有できない人間の不器用さが浮かんで見えてきます。

続いてこんな見方もできます。

敗戦国となった日本。焼け野原となった土地に生きる人々は国に裏切られ、何もかも失っただけでなく、信じるに値するものまでもなくしてしまったことは、戦争を知らない私でも想像に難くありません。

しかしそんな状況下でも、当時の人々の一人ひとりの心の中にある「なんとかなるさという気持ち」が、人から人へと伝染し集団の思いとなり、新たな社会を形作ってきたのではないでしょうか。それが、戦後の復興と高度経済成長につながった原動力と見ることもできると思います。

逆に、バブル崩壊から失われた30年と言われますが、その間に人々は目先の情報ばかり見て「なんとかしなければ」と頭で考えるばかりで、「なんとかなるさという気持ち」を皆が持てなくなってしまったところに、失われた30年の要因があるのではないでしょうか。

このように社会の動きには、いい意味でも悪い意味でも、捉えどころのない「集合的無意識」が働いていると思うのです。そして、一人ひとりの人間にも物語があり、その一つひとつの物語が行動に影響を与えていると考えるのが「モノガタリズム思考」です。

モノガタリズム思考は、科学的な因果律に基づく結果次第という思考とは違って、捉えどころのないところと向き合い、人の心のあり方や動き、人の行動の動機に寄り添おうとする姿勢でもあります。


※このnoteは、2024年4月20日に書いた以下のnoteを書き直したものです。


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日出丸
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