睡眠の主役化:覚醒との逆転する役割と健康リスクーTHE21:上田泰己氏
The21 2024年12月号の中で、「最新研究で判明した睡眠と脳の驚くべき新常識」(p16)を取り上げます。
従来、睡眠とは「脳や身体の疲労を回復させる休息時間」とされてきました。多くの人が、忙しい一日を過ごした後や、頭を使う作業を終えたときに「今日はしっかり寝て明日に備えよう」と考えた経験があると思います。
しかし、最近の研究では、実際には睡眠中の脳はただ休んでいるわけではなく、驚くほどに活発に動いていることが明らかになっているとのこと。特に注目すべきは、睡眠中の脳が日中の覚醒時よりも瞬間的に活発になる時間があるという事実です。覚醒時以上に活動的になる脳は、まるで目には見えない「脳の進化」のプロセスをたどっているようです。
上田泰己氏(東京大学大学院教授)による記事は、企業における社員の活動にも大きな影響を与えるもので、大変興味深い内容です。
脳が「進化」する時間としての睡眠
「進化」という言葉が示すように、睡眠中の脳は単に休むのではなく、むしろ日中の経験を整理し、必要な記憶を定着させる一方で、不要な情報を削除していくという重要な作業を行っています。睡眠中に脳で行われるこれらの作業は「配線作業」とも言われ、神経細胞のつながりを見直したり、新しい接続を生み出したりするなどして、脳内の回路が常に最適化されるようになっています。このように、睡眠は単なる休息の時間ではなく、脳が毎日少しずつ進化していくための不可欠な時間であると考えられるようになりました。
ノンレム睡眠とレム睡眠の役割:新たな理解
睡眠には大きく分けて「ノンレム睡眠」と「レム睡眠」という2種類の状態があります。これまで、ノンレム睡眠は深い眠り、レム睡眠は浅い眠りと理解されてきましたが、近年の研究からは、この二つの睡眠状態にはそれぞれ異なる役割があることが示唆されています。ノンレム睡眠は「新しいものが作られる時間」として位置づけられ、日中の経験を神経細胞間のつながりとして定着させるのに重要な役割を果たしています。例えば、学習した内容や日中に経験した新しい情報を脳に固定し、次の日にその知識を活用できるようになるのは、このノンレム睡眠の働きがあってこそです。
一方で、レム睡眠は「不要なものを間引く時間」として認識され、神経細胞のつながりのうち、必要のない部分を除去し、脳内の情報の整理が行われる時間です。これにより、不要な記憶や情報が削除され、脳の処理効率が向上します。こうしてノンレム睡眠とレム睡眠が交互に繰り返されることにより、脳は常に新しい情報を生成し、同時に不要な情報を淘汰するプロセスを経て進化していきます。このような生成と淘汰のサイクルを繰り返すことで、私たちの脳は翌朝、少しだけ新しい自分として目覚めることができるのです。
睡眠不足がもたらすリスクと健康への影響
十分な睡眠を取らない場合には「睡眠負債」が蓄積し、長期的な健康リスクにつながる可能性があります。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は他国と比較して非常に短く、そのため日本人の健康における睡眠不足の影響が懸念されています。睡眠不足が慢性的に続くと、ただの疲労感や集中力の低下だけでなく、糖尿病や心血管疾患など、深刻な健康問題に発展するリスクが増大すると言われています。さらに、睡眠不足が続くことで「睡眠負債」が蓄積し、心身に悪影響を及ぼすことが科学的に証明されています。この「睡眠負債」は、ただ単に週末に長時間の睡眠を取るだけでは完全に返済できないため、日々の生活の中で計画的に十分な睡眠を確保することが重要です。
良質な睡眠を得るために考慮すべき要素
良質な睡眠を得るためには、いくつかの重要なポイントがあります。まず、室温の調整が大切です。暑すぎる環境では寝苦しく、逆に寒すぎると体が冷えてしまい、良質な睡眠が妨げられることがあります。適度な室温を保つことにより、入眠がスムーズになり、深い睡眠を得やすくなります。また、精神状態も睡眠の質に大きく影響を及ぼします。ストレスや不安が多いと、脳が興奮した状態のままとなり、深い睡眠に入りにくくなります。そのため、寝室を安心できる環境に整え、リラックスした気持ちで眠ることが推奨されます。
さらに、自分の体内時計に合わせたタイミングでの睡眠も重要です。シフト勤務など不規則な勤務時間の影響で体内時計が狂っている場合、そのズレが睡眠の質に悪影響を与えることが知られています。将来的には、個人の体内時計や睡眠リズムに合わせた睡眠環境を提供する技術の発展が期待されています。これにより、各自が最適なタイミングで良質な睡眠を取れるようになることで、健康の維持や日中のパフォーマンスの向上が図られるでしょう。
新しい視点:覚醒と睡眠の主従が逆転する可能性
従来の考え方では、睡眠は日中のパフォーマンスをサポートするための「脇役」と見なされ、覚醒が主役とされてきました。しかし、最新の研究からは、むしろ睡眠こそが脳を進化させるための「主役の時間」であり、覚醒はそのために必要な情報を収集する「探索」の時間と捉えられるようになってきています。これにより、覚醒中に得られる情報が睡眠時に整理され、脳が進化するための土台が作られるという新しい視点が注目されています。こうした視点に基づくと、日常生活での「探索活動」を積極的に行うことが、深い睡眠と脳の成長に寄与することが理解できます。特に、日中の運動や感動が、夜間の深い睡眠と結びつき、脳の成長に大きな影響を与えるとされています。
睡眠は単なる休息の時間ではなく、脳の成長と進化を促すための重要なプロセスとして再認識されています。私たちは睡眠の本質をより深く理解し、日常生活での睡眠の質を向上させるための努力を惜しむべきではありません。質の高い睡眠を得ることで、脳が毎日少しずつ進化し、私たち自身が成長することを支えているというわけです。
企業人事の視点から考える
この記事からも、睡眠が社員のパフォーマンスや健康、ひいては企業全体の生産性に及ぼす影響は非常に大きいため、社員の「質の良い睡眠」を促進するための施策を検討する必要があります。以下に、企業でできることはないか、という視点で考察してみます。
1. 健康経営の一環としての睡眠促進
近年、「健康経営」が多くの企業で重視されるテーマとなっており、社員の健康を守り、メンタルやフィジカルの不調を予防することが企業にとって重要視されています。睡眠不足が慢性的に続くと、社員の集中力や判断力が低下し、ひいてはミスの増加や生産性の低下を招く可能性が高まります。さらに、長期的な睡眠不足はうつ病や心疾患のリスクを増加させることが報告されているため、社員の健康を守るために企業として睡眠に配慮することが求められます。
健康診断やメンタルヘルスのチェックと並行して、睡眠の質を向上させるための情報提供や、睡眠に関するセミナーの実施などを検討できます。これにより、社員が睡眠の重要性を認識し、健康を保つためのサポートを受けられる環境を整備することが可能となります。
2. フレキシブルな勤務時間制度の導入
睡眠には個人差があるため、全社員に「同じ時間帯に就業」を求める働き方は、社員の自然な睡眠リズムを妨げ、かえって睡眠の質を低下させることがあります。特に、夜型の人材が無理に早朝の出勤を強いられると、睡眠不足に陥るケースが多くなり、パフォーマンスの低下やメンタルヘルスの悪化につながるリスクがあると考えられます。
そのため、会社としては、フレキシブルな勤務時間制度やテレワークを活用し、社員が自分の睡眠リズムやライフスタイルに合わせた働き方を選べるような制度を整備することが有効です。こうした柔軟な働き方を認めることで、社員は自分に合ったタイミングでの就業が可能になり、結果として睡眠の質が向上し、集中力や創造性の高まりが期待できます。
3. 睡眠の可視化技術の活用
近年、ウェアラブルデバイスや睡眠アプリの進化により、個人の睡眠状態を可視化できる技術が普及しつつあります。企業としても、これらの技術を活用し、社員が自分の睡眠状態を把握し、必要に応じて生活習慣を見直すことができるよう支援することが考えられます。例えば、睡眠測定サービスを提供する企業と提携して、社員に割引価格で利用できるような福利厚生の充実を図ることも一つの方法でしょう。
また、睡眠の質向上に関するデータや情報を定期的に提供することで、社員が「質の良い睡眠」を意識しやすくする効果も期待できます。こうした取り組みにより、睡眠の可視化が促進され、社員自身が生活改善のヒントを得られるようサポートすることで、自己管理能力の向上やメンタルヘルスの安定が期待できます。
4. 研修や教育における睡眠の重要性の啓発
社員教育や研修の一環として、睡眠の重要性について理解を深めてもらうことも有効です。特に新入社員や若手社員に対しては、仕事に対する熱意や責任感から睡眠を削ってしまう傾向が見られがちです。そこで、人事部門として、睡眠の重要性や「睡眠不足がもたらすリスク」をしっかりと伝え、無理をしない働き方や健康的な生活習慣を啓発することが大切です。
また、睡眠が学習効果や記憶の定着に与える影響についても、研修や教育プログラムの中で紹介することで、自己啓発やキャリアアップを目指す社員にとって、睡眠が大きな役割を果たしていることを意識してもらうことができます。これにより、社員は健康的な習慣を維持しながらキャリア形成を図ることができ、組織全体の活力と生産性向上にもつながります。
5. 働き方改革の一環としての「睡眠重視」の推進
企業の働き方改革の一環として、社員の睡眠を大切にする「睡眠重視の働き方」を促進することも検討すべきです。日本の企業文化では「寝ずに頑張る」ことが美徳とされる場面も少なくありませんが、企業人事としては、こうした考え方を改め、社員が無理なく自分の能力を最大限発揮できるような環境作りを目指すことが重要です。
たとえば、残業時間の削減や長時間労働の是正に努め、社員が十分な睡眠時間を確保できるようにすることも有効です。また、早朝会議の廃止や深夜勤務の制限を導入し、社員が自分の睡眠サイクルに合わせて働けるような制度を整えることで、組織全体のパフォーマンスが向上することが期待できます。こうした取り組みによって、社員の健康維持とともに、業務効率の改善や生産性の向上につなげることが可能となります。
まとめ:企業の成長と社員の健康の両立を目指して
睡眠は単なる個人の健康にとどまらず、企業全体の生産性や活力に直接的な影響を与える重要な要素です。睡眠の重要性を認識し、社員が質の良い睡眠を確保できる環境を整えることが、持続的な成長や競争力の向上に不可欠といえます。社員一人ひとりの健康が守られることで、組織全体の働きやすさや効率が向上し、長期的な視点で見ても企業の成長につながるでしょう。
企業としても、睡眠に関する理解を深め、適切な施策を実施することで、社員が「良質な睡眠」によって活力を保ち、より高いパフォーマンスを発揮できる職場環境を作ることが求められます。睡眠を重視した企業文化が根付くことによって、社員のウェルビーイングが促進され、企業としての持続的成長が期待できるのではないでしょうか。
静かな夜の都市を背景に、浮かぶ脳が光りながら活動する姿を描いており、睡眠中の脳の活発な働きが表現されています。柔らかい神経の接続が流れるように広がり、記憶の定着と不要な情報の削除の両方が象徴的に示されています。背景にはノンレムとレム睡眠のサイクルが波のように描かれ、脳が情報を生成し、洗練させるバランスを表現しています。穏やかな色合いが、睡眠の成長と変革の力を優しく伝えています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?