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「同調の罠」:企業組織が直面する心理的メカニズムとその克服策ー川上真史氏

 川上真史ビジネス・ブレークスルー大学教授の「企業と心理学 トピックス #31 同調」というテーマを取り上げます。

 「同調」は、単なる集団行動や協調性といった表面的な現象に留まらず、私たちの意思決定、創造性、そして組織文化に深く影響を与える、複雑で多面的な心理現象です。この解説では、同調がどのようにして起こり、なぜ組織にとって危険な側面を持ち得るのか、そして、その影響を最小限に抑え、組織をより健全な方向に導くためにはどうすればよいのか、心理学的な観点から詳細に掘り下げています。

 同調とは、個人の考え、感情、行動が、周囲の多数派の意見や行動に影響を受け、知らず知らずのうちに、自らの本来の意思とは異なる方向に変化してしまう現象です。これは、社会生活を営む上で避けられない側面ではありますが、特に企業組織のような集団においては、その影響力を軽視することはできません。表面上は円滑なコミュニケーションや協調性を生み出しているように見えても、その裏では、創造性の抑制、意思決定の偏り、そして時には深刻なハラスメントに繋がる可能性すら秘めています。

 人事視点でも極めて興味深い、重要なテーマであり、考察を進めてみたいと思います。

同調現象を解剖する:古典的な実験から現代組織の課題まで

 同調現象のメカニズムを理解するための出発点として、心理学史に残る重要な実験である「アッシュの同調実験」に再び焦点を当てています。この実験は、視覚的な判断課題(線分の長さの比較)という、一見すると簡単なタスクを用いて、人間がいかに集団の圧力に屈しやすく、自らの認識さえも歪めてしまうかを、鮮明に示しました。被験者は、他の参加者が明らかに誤った回答をしているのを見ながらも、その集団の意見に同調してしまうのです。この結果は、単に多数派に従うというレベルを超え、人間の認知プロセス、つまり「見て、理解し、判断する」という基本的なプロセスさえ、集団の圧力によって大きく左右されるという事実を、私たちに突きつけました。

 この古典的な実験の教訓は、現代の企業組織においても色褪せることなく、同調現象の理解を深める上で、非常に重要な基盤となります。現代組織において、会議やプロジェクトチームの意思決定、顧客向けのアンケート調査、商品開発における意見交換など、あらゆる場面で、アッシュの実験と同様の同調現象が起こり得ます。

同調の心理的源泉:情報と規範、二つの影響力

 同調現象の背後には、二つの主要な心理的要因が存在します。

 一つ目は「情報的影響」です。これは、私たちが、判断の根拠となる十分な情報を持ち合わせていない、あるいは、自分自身の判断能力に自信が持てない場合に、他の人の意見をより正しい情報源として捉え、頼ってしまう心理作用です。
 例えば、新しいテクノロジー製品を購入する際、多くの人が特定のブランドを推奨していれば、私たちはそのブランドが最も優れていると判断してしまう傾向があります。これは、自分自身で詳細な情報収集や比較検討をせず、多数派の意見に「情報源」としての信頼を置いてしまうからです。

 二つ目は「規範的影響」です。これは、集団の一員として受け入れられたい、あるいは集団から拒絶されることを避けたいという欲求から生じる同調です。私たちは、集団のルールや慣習を尊重し、それに従うことで、心理的な安定感を得ようとします。
 例えば、職場の飲み会で、皆が同じメニューを注文している状況では、たとえ自分が別のものが食べたかったとしても、同僚との調和を保つために、同じものを注文してしまうでしょう。

 この二つの影響力は、互いに作用し合い、同調現象をより複雑で強力なものにしています。

企業組織における同調の脅威:意思決定の歪み、創造性の窒息、そしてハラスメントの温床

 企業組織において、同調現象は様々な負の側面を露呈します。まず、意思決定のプロセスにおいて、同調が蔓延している組織では、一人の声の大きいメンバー(特に地位の高い人物)の意見に、誰もが異論を唱えられず、安易に決定が下されてしまうことがあります。これは、組織全体としての判断力を低下させ、リスクの高い意思決定や、偏った判断を招く原因となります。

 「リスキーシフト」とは、集団で意思決定を行う際に、個人で判断するよりも、よりリスクの高い選択をする傾向のことです。一方、「コンシャスシフト」とは、集団で意思決定を行う際に、個人で判断するよりも、より無難な選択をする傾向のことです。

 どちらの現象も、同調が意思決定を歪めてしまう例と言えるでしょう。さらに、同調は、組織の創造性を窒息させる危険性も持ち合わせています。全員が同じ意見ばかりを述べている組織では、新しいアイデアや革新的な発想が生まれにくくなります。多様な意見や異なる視点が交錯して初めて、創造的な思考が生まれるからです。

 そして、最も深刻な問題として、同調圧力は、組織内のハラスメントの温床となる可能性があります。同調しない人を排除しようとする動きは、いじめやパワハラといった深刻な問題を引き起こすだけでなく、組織全体のモラルを低下させ、優秀な人材の流出にも繋がります。

同調圧力に抗うための組織戦略:個人の意識改革と環境整備の両輪

 同調現象の負の影響を最小限に抑え、健全な組織文化を築くためには、組織全体での変革が必要です。

 まず、個人レベルでは、常に批判的思考を持ち、自分の意見を明確に持つことが重要です。自分の意見を表明することは、周囲の意見と異なる場合でも、恐れる必要はありません。むしろ、多様な意見が交わることで、より良い意思決定につながる可能性があります。また、他者の多様な意見を尊重し、受け入れる姿勢も重要です。自分の意見に固執せず、異なる意見にも耳を傾けることで、視野を広げ、より柔軟な思考を養うことができます。

 組織レベルでは、心理的安全性を確保することが不可欠です。心理的安全性とは、組織のメンバーが、自分の意見や考えを率直に表明しても、拒絶されたり、罰せられたりしないと感じられる状態のことです。リーダーは、メンバーの発言を尊重し、建設的な議論を促す役割を果たすべきです。また、会議などの場面では、メンバーの意見を積極的に引き出し、様々な視点から議論を深めることが重要です。さらに、多様な価値観や意見を受け入れる組織文化を醸成することで、同調圧力を抑制し、創造的な組織へと変革することができます。正解がない問題に対して、議論を通じてより良い解決策を探ることが、組織の成長を促進するでしょう。

まとめ:同調の罠を認識し、変革への一歩を踏み出す

 同調現象は、私たちにとって身近な現象である一方で、その影響は組織の根幹を揺るがすほどの危険性を秘めていることを、私たちは理解する必要があります。同調のメカニズムを理解し、その負の側面を最小限に抑え、同調圧力に打ち勝つための具体的な戦略を組織全体で実行することで、より創造的で、より健全な組織へと変革することができます。

 個人と組織が協力し合い、同調の罠に陥ることなく、自由に意見を交換し、多様な視点を尊重し合う組織文化を築くことが、これからの企業組織にとって、ますます重要になるでしょう。そして、この変革への挑戦こそが、未来の企業組織の成長を支える原動力となるでしょう。

企業人事の重要課題:組織における同調現象の深刻な影響とその克服戦略

 人事の立場から「同調現象」を捉え直すと、それは単なる組織心理の問題に留まらず、企業成長の根幹を揺るがす潜在的なリスク要因として、その深刻さを認識する必要があります。同調は、一見するとチームワークや一体感、効率的な意思決定を促進するように見えるかもしれませんが、その実態は、創造性の抑制、イノベーションの停滞、リスク管理能力の低下、そして最終的には組織の競争力喪失へと繋がる可能性を秘めた、見過ごせない課題です。

 特に、VUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)時代と呼ばれる現代において、企業は常に変化に対応し、新しい価値を創造し続けることが求められています。このような状況下で、同調に偏った組織文化は、変革への抵抗を生み、柔軟な対応力を奪い、成長を阻害する要因となり得るのです。

 人事部門は、この同調現象の本質を深く理解し、組織の持続的な成長と、従業員一人ひとりの健全な発達を両立させるため、戦略的かつ包括的な人事施策を策定・実行する、重要な役割を担っています。

人事部門が直面する同調現象:多角的な視点からの実態把握

 人事部門は、組織内の同調現象の実態を正確に把握するために、多角的な視点から情報を収集し、分析を行う必要があります。それは単に、従業員のアンケート調査や面談といった、表面的な情報収集に留まるものではありません。人事評価制度、組織サーベイ、採用活動、そして日々の組織運営におけるコミュニケーションパターンなど、組織内のあらゆる側面に目を向け、潜在的な同調傾向を洗い出す必要があります。

  • 人事評価制度における同調行動の助長リスク
     
    人事評価制度は、従業員の行動を形作る上で、非常に強力な影響力を持っています。評価項目に「協調性」「チームワーク」「組織への貢献」といった項目が過度に重視されている場合、従業員は、批判的な意見や異なる視点を表明することを避け、周囲に同調する行動を優先する傾向が強まる可能性があります。
     例えば、「上司の意向に沿った行動」や「周囲の意見に合わせる行動」が評価される組織では、従業員は、たとえそれが正しいと思えなくても、上司や周囲の意見に同調してしまうでしょう。人事評価制度の設計においては、評価項目が、同調行動を助長していないか、多様な意見や挑戦を促す仕組みになっているか、を慎重に見直す必要があります。

  • 組織サーベイによる潜在的な同調傾向の可視化
     
    組織サーベイは、従業員の意識や組織に対する認識を把握するための、非常に有効なツールです。サーベイでは、同調圧力の有無、心理的安全性の程度、意見を言いやすい雰囲気があるか、多様な意見が尊重されているか、といった項目を設けることで、組織内の同調傾向を定量的に評価することができます。
     また、自由記述式の設問を設け、従業員の具体的な体験や意見を収集することで、潜在的な同調傾向をより深く理解することができます。例えば、「会議で自分の意見を自由に発言できますか?」「上司や同僚に対して、反対意見を言うことに抵抗を感じますか?」といった質問項目を設けることで、同調圧力がどの程度存在しているかを把握することができます。

  • 採用活動における同質性の排除と多様性の促進
     
    採用活動は、組織の将来を左右する重要な人事戦略です。採用活動においては、応募者のスキルや経験だけでなく、価値観、思考パターン、コミュニケーションスタイルなど、多様な側面を評価する必要があります。組織の文化に過度に適合する人材ばかりを採用すると、組織内の同質性が高まり、同調が起こりやすくなるため、多様なバックグラウンド、異なる専門知識、多様な視点を持つ人材を、積極的に採用していく必要があります。
     例えば、採用面接では、「過去に周囲の意見と異なる意見を述べた経験」「新しいアイデアをどのように創り出すか」といった質問を通して、応募者の批判的思考力や創造性を評価することができます。

  • 日々の組織運営におけるコミュニケーションパターンの観察
     
    日々の組織運営における、従業員のコミュニケーションパターンを観察することで、同調傾向の兆候を捉えることができます。
     例えば、会議で発言する人が特定のメンバーに偏っている場合や、一部のメンバーの発言に対して、他のメンバーが異論を唱えない場合などは、同調圧力が高まっている兆候である可能性があります。人事部門は、会議の議事録や、従業員のコミュニケーションパターンを観察することで、同調傾向を早期に発見し、適切な対策を講じることができます。

同調現象を克服するための人事戦略:人事制度改革、研修プログラム、組織文化変革

 人事部門は、組織内の同調現象を抑制し、より創造的で、柔軟で、持続可能な組織文化を構築するために、包括的な人事戦略を実行する必要があります。これには、人事制度の改革、研修プログラムの実施、組織文化の変革という、三つの側面からのアプローチが必要です。

  • 多様性を尊重する人事制度の構築
     
    人事制度は、従業員の行動を促す上で、最も重要な要素の一つです。人事制度を設計する際には、同調行動ではなく、多様な意見や新しいアイデアを積極的に評価し、従業員の多様性を尊重する視点を持つ必要があります。例えば、業績評価制度においては、個人の目標達成度だけでなく、チームへの貢献度、新しいアイデアの提案度、そして多様な意見への対応力といった項目を評価に加える必要があります。
     また、多様なキャリアパスを整備し、従業員が自分の能力を最大限に発揮できる環境を整備することも重要です。例えば、専門性を高めたい従業員には、専門職としてのキャリアパスを提供し、マネジメントスキルを向上させたい従業員には、管理職としてのキャリアパスを提供するといったように、個々の従業員のニーズに合わせた、柔軟なキャリアプランを提供する必要があります。

  • 意識改革を促す研修プログラムの設計と実施
     
    研修プログラムは、従業員の同調現象に対する理解を深め、批判的思考力、コミュニケーションスキル、リーダーシップスキルを向上させるための、重要な手段です。研修では、同調現象のメカニズムや、組織に与える影響について、事例を交えながら、従業員に理解を促します。批判的思考力研修では、物事を鵜呑みにするのではなく、多角的に分析し、論理的に判断する力を養います。
     コミュニケーションスキル研修では、自分の意見を明確に伝え、相手の意見を尊重しながら、建設的な議論を進めるためのスキルを習得します。リーダーシップ研修では、部下の意見を積極的に引き出し、多様な意見を受け入れるための、リーダーシップスキルを習得します。

  • 組織文化の変革をリードする
     
    組織文化は、同調現象に大きな影響を与えるため、人事部門は、組織文化の変革を積極的にリードする必要があります。人事部門は、組織文化を変革するために、以下の取り組みを推進する必要があります。

    • 心理的安全性の醸成: 従業員が安心して、率直に意見を言える環境を構築します。リーダーシップ研修を通じて、管理職層が、部下の意見を尊重し、建設的なフィードバックを行うためのスキルを習得するように促します。

    • 多様性の尊重: 多様な意見や価値観を尊重する文化を醸成するために、従業員が多様なバックグラウンドを持つ人々と交流する機会を提供します。

    • 対話と議論の活性化: 会議やプロジェクトチームでは、活発な議論を奨励し、全員が発言できる機会を確保します。

    • 失敗を許容する文化: 失敗を恐れずに新しいことに挑戦できる風土を醸成するために、失敗から学び、成長するプロセスを評価します。

    • オープンなコミュニケーション: 組織全体の透明性を高め、従業員が情報にアクセスしやすい環境を整備します。

    • ロールモデルの育成: 多様な意見を尊重し、積極的に挑戦するリーダーを育成し、ロールモデルとして提示します。

人事部門の継続的な役割:同調現象の監視と対策の進化

 同調現象に対する対策は、一度実行すれば終わりではありません。人事部門は、同調現象が組織文化に深く根ざしていることを理解し、組織サーベイ、人事評価、採用活動、日々のコミュニケーションにおける、同調現象の兆候を継続的に監視し、組織の状態に合わせて、柔軟に戦略を修正する必要があります。人事部門は、従業員の意識を向上させ、組織文化を変革するための、継続的な努力が必要です。

まとめ:同調の罠を避け、持続的な成長を遂げる組織へ

 同調現象は、単なる組織心理の問題ではなく、組織の持続的な成長を左右する、重要な経営課題であると認識する必要があります。同調を放置すれば、組織は変化への対応力を失い、イノベーションを阻害し、競争力を低下させる可能性があります。
 人事部門は、同調現象の本質を深く理解し、組織全体で同調に打ち勝つための包括的な戦略を実行することで、組織を、より創造的で、より柔軟で、より持続可能な組織へと変革することができます。同調の罠を避け、多様な意見が尊重される、風通しの良い組織文化を創り上げることこそが、果たすべき重要な使命といえるでしょう。

企業組織における「同調」と「創造性」の対比を視覚的に表現しています。左側の暗い部分では、個々の意見が抑えられ、同調圧力によって画一化された人々の姿が描かれています。一方、右側の明るい部分では、多様な個性を持つ人々が自由に意見を交換し、創造性が生まれる様子が明るい色調で強調されています。中央の輝く電球は、新しいアイデアやイノベーションの象徴です。同調のリスクとそれを克服したときの可能性を直感的に伝えるものとなっています。


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