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「失敗」とか、「×」だらけの答案は「教訓」なので大切なのに、「軽視」される。

指導する立場のものが「抽象論」や「美しいスローガン」を出したときは気をつけるべきである

社会の中でもっとも怖いものは「驕慢な無知」である。
これは、わかりやすく言うと

「知っていながら無視して、固執する」

ということなのである。
過去の歴史、特に「現代史」の中には、
こういった事例が多々見受けられる。

それと、「底知れぬ無責任」

トカゲのしっぽ切りのような、「パフォーマンス」
があって、よくよく見たら、誰もなんの責任を負っていない。
特に「ほとぼり」がさめたら・・・。
ちゃっかり、中央のなんとかに返り咲いてたりなんかする。

なんだよ

いろいろな過去の大失敗を、将来の教訓のために残しておけ
という声は当然ある。
だけど、実行する事はほとんどない。

学生には
「バッテンだらけの答案用紙は、
明確な課題提起資料だから大切にせよ」

と言っている、
しかしながら、数値や単位認定のレベルしか頭にないものは。
次回も同じ轍を踏むわけだ。

失敗から学ぼう。

そういうスローガンはよく聞こえる
だが、実際にやろうとするものはごく少数だ。
特に「組織」は絶対にやらない。

威勢の良いときは成功体験だけを自分のものとして、
「勝利病」に罹る。そして、同じ失敗をくりかえし
うまくいかないと責任転嫁か「丸投げ」してしまう。

上に立つものが
かっこいい抽象的な「スローガン」を掲げたとき

それは、責任転嫁の現れだと、
われわれ市井のものは知っておいた方がよい。
なぜなら、彼らは「美辞麗句」で
おのれの失策を隠し、できなかった原因を
庶民の責任として押しつけるからだ。

そして、ふたたび抽象的な「美しいスローガン」
を掲げる・・。

騙されるな、気をつけろ!。

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