その昔「エデンの園」という言葉をよく聞いた事があった。
旧約聖書で言う「アダムとエヴァ」が人類最初の住処として過ごした場所だ。
だが、神は自らに似せた彼らをそこから追放してしまう。
理由は「智恵の実」をエヴァが蛇にそそのかされ、アダムとともにそれを食したからだというのだ。
しかし、ここに疑問が残る。人間はなにゆえ「智恵」を持ってはいけないのか。
人間が一番最初に得た智恵とは「羞恥」だった。
アダムとエヴァは、互いの性の違いを意識し、その違いを隠す行為に及び、それが神が彼らが禁断の実を食したことに気づいたのだ。それを咎めるも、彼らに衣服を与えて祝福さえする。
そして、彼らはエデンの園を追放され、その東の土地で暮らすようになったのだ。さらには彼らに「産みの苦しみ」と労働を課したのだ。
「エデンの園」・・か。
穏やかな瀬戸内の海の車窓を観ながらふとそんなことを考えた。
この海は穏やかであるが故に、この島々には隠されたいくつかの「罪」を背負っている。
「この先の駅から、ウサギさんがたくさん住んでいる島に渡ることができるのよ。」
彼女はそう言う。聞けばその島は、戦争中「毒ガス兵器」の実験所があり、そのウサギは実験動物として飼われていたものが、終戦後に脱走し、野生化したものだという。
いわば負の遺産なのだ。しかし、くだんの島影は夕日に映えて限りなく美しい。
しかし、私たちは昨日、究極の破壊兵器の痕跡に触れ、技術の粋を集めた巨大兵器の全くムダのない機能美に触れてきた。
戦争とは神の与えた「罪」である。しかしそれと同時に教訓も与えられた。
アダムとエヴァの子供である、カインとアベルは神の所作によって、アベルには死を、カインには罪を与えることとなる。
そして、カインはその罪を背負うことで神の加護を得て子孫を増やすことになった。
その罪を忘れて増長した子孫はやがて神の怒りを買い、たびたび罰を被った。
その罰の毎に、人々は神の真意を求め、預言者に「戒律」を授けられた。 つまり己の罪に気づけば加護があるというのである。
この、明媚な瀬戸内の車窓を眺めれば、自ずと「負」を無意識に宿した「楽園」なのではないか。そして、それを眺めうる所にいる私たちは、カインの末裔。
まさにその東に住む存在なのであろう。