「伊集院秀麿」というプロジェクト
「写楽」プロジェクト説
江戸時代に、忽然と現れて、一世を風靡し、
忽然と表舞台から消えた「絵師」が知られています。
「東洲斎写楽」という絵師ですが、実は正体が全くわからないのです。
そして、活躍したのもわずか10ヶ月間であり、
忽然と浮世絵界に現れ、忽然と姿を消しました。
作品の中身はほとんどが「役者絵」でした。
江戸時代の「浮世絵」は、今で言うと
「グラビア写真集」みたいなものであったと
イメージしていただければ良いと思います。
当然ながら、「絵師」もおりますが、
「彫師」、そして「刷師」、そして「版元」による
共同作業の「芸術」であったと言えます。
江戸時代の「絵師」と言えば、「美人画」の喜多川歌麿、
天才「葛飾北斎」、風景画の「安藤広重」が有名ですが、
写楽の場合、版元がすべて「蔦屋」であることや、
「役者絵」がほとんどであったことから、
ひょっとしたら壮大な「プロジェクト」だったんじゃないのか?
という説も一部にあります。
「伊集院秀麿」はコードネーム
「伊集院秀麿」は本音を言いますと
「ペンネーム」とか「HN」とは少し意味合いがちがいます。
ひょっとしたら「複数の作家や学者によるプロジェクト名」
であるかも知れません。(^▽^)
それは秘密にしておくことにして、
このプロジェクトは、一人でも十分可能である。
ということです。
一人の人間は、たくさんのタスクを持っています。
また、社会においてもいろいろな「顔」を持っています。
けっして「一つ」ではないでしょう。
あえてこういう事を言わなくとも、
人はたくさんの「立場」を持っています。
しかし、それをすべて、自己に同一化させる必要はないのです。
他人は一度ついた「名前」に、
それぞれの立場からイメージでものを言います。
だから、「あの人らしくない」とか、
「ああなのにね」と一面的な見方をしてしまう。
言ってみれば他人からみられる「自分」はフィクションなのです。
なのに、それをすべて「一個人」に収斂する。
これではやってられないでしょう。
最近の芸能人は、かってのように「雲の上の人」ではなく、
「クラスの人気者」のような気もします。
だからすぐスキャンダルになるのだろう。そんな感がします。
つまりフィクションの主体を他にゆだねているからです。
「伊集院秀麿」は多様性があります。
宗教学者、小説家、コラムニスト、エッセイスト、
イラスト描き、詩人、写真家、美術研究者、哲学者、
歴史家、考古学者・・・。
これらの要素は、「伊集院秀麿」という
ひとつの「プロジェクト」にまとめられています。
で、そのホールディングスは、
「Note」という一つの「クラウド」に存在しています。
その象徴が、個性的な助手に手を焼く、紅茶片手の「伊集院先生」
あるフォロアーさん(とても心が素直で純粋な方)に、
「伊集院秀麿」の在住地を問われましたが、
「クラウド」ゆえに「空の上ですよ」と答えたのは、
ふざけた気持ちではないのです。
ひょっとしたら「伊集院秀麿」は
複数存在で成立しているのかも知れない。
そういう「ミステリー」があってもいいのではないのか。
そんなファンタジーがあってもいいんじゃないか。
そんなことをおもうのです。