中華三千年の歴史に挑戦する
はじめに
今まで手をつけてないジャンルって結構ありましたね。
ある意味壮大すぎたのですが、過去に東洋思想についての記事を書いていたとき、「歴史的背景」はどんななんだ?という素朴な疑問がでたわけです。すなわち、中華の政治・経済史です。
あれ?これって手をつけてなかったじゃん。
絵ばっかり描いててなにやってんだ。てな気持ちにもなりましたよ。
ということで、第一編は、「古代中国政治経済史」をひもといてみますね。
殷王朝
(紀元前16世紀〜紀元前11世紀)
文献や考古学的成果では、東アジアにおける最初の王朝は、殷王朝であると言われています。だいたい今から3400年前くらいに成立しました。
日本ではだいたい縄文後期くらいにあたる時代です。この時代の考古学的な遺跡には「殷墟」という、この時代の王の巨大な墓の遺跡が発見されています。したがって、「殷」という王朝は実在したと実証されているのです。
ところが伝承によれば、この王朝以前に中華開闢となる王朝が伝えられています。それが「夏王朝」です。
「夏」の王朝を築いた禹王は、黄河の治水によってその地位を得たと伝えられています。これが最初の王朝であるという伝説ですが、あくまでも伝承の域を出ません。
中国には「易姓革命」という伝統があり、悪政をなした王は滅ぼされ、次の王朝がたつという繰り返しが続く歴史です。したがって、王は天命によって国を治めるという大きな責任が生じるのだという思想が生まれました。
善をなした王は認められ、悪をなした王は滅ぶという考え方です。「革命」という言葉はここから生まれています。
中国の歴史はここに基本があると、まず頭に入れておいてくださいね。
さて、夏王朝は、17代桀王が悪政をなしたため、商の湯王に滅ぼされました。夏の後に成立した商は、やがて「殷」という王朝を築きます。
王権神格化による天命思想
殷の統治形態は、「神意」による政治であったと考えられます。すなわち、王は「天」の意を体する存在であり、卜占によって政治的な意図を決定したと考えられます。
ですから、王は神意を体する存在。そして、実際に卜占を実行する神官や巫者が重要な地位を得ていました。
つまり、「神権政治」というものです。
王の下には上・下に別れた補佐官がつき、同じような政治形態を持った「邑」のような国家が、おのおの部族が城を中心に「邑国家」を形成していました。
これらの族長は伯・男・候という位をもとにして、おのおのの地域を統率し、その連合の上に「殷王朝」が緩やかな連合を作っていたと考えられます。
もちろんこの外部にはこの連合に参加しない部族もおり、これらは天命に仇なす意味で「夷方」「土方」とよばれ、しばしば交戦していたようです。
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