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「時代」の流れとは怖いものだ
今あらためて、
「なにゆえ、日本は先の大戦に突入したのか」
「なにゆえ、原爆投下なしに、終戦がなしえなかったのか」
という2点にしぼって
様々な資料を漁っているところです。
「昭和」が
ようやく「歴史的検証」ができる
そういう時代になったからでしょう。
あたしらのような「歴史研究者」にとっては
余分な政治的バイアスがなくなった分、非常に研究が進みます。
しかしながら、ひもとけばひもとくほど
こういった「歴史の動き」は
本当にどうしようもないものだと思うようになりました。
時代を破滅に向かわせる
そんなどうしようもない「movement」が働いているのです
それは、本当に「いつのまにかそうなっていた」
まさにそれでした。
その原因が、キーワードとしていくつもあげられました。
まずは、「無関心」・・そして「無責任」、
「根拠のない希望的観測」
「サンクコスト(せっかくやったんだからもったいないでしょ)の横行」
「現実逃避」
「都合の悪い情報の隠蔽」
「記録に対する軽視」
「縄張り意識」
「成功体験への固執」
「外圧への妥協と、開き直り」
「情報収集能力、および分析能力の欠如」
「大局的戦略立案能力不足=場当たりな政策」
「特権意識と汚職」
「政治に対する失望」
「自己保身」
「社会規範の低下」
これらが相まって、かつての国民は「破滅」へと向かっていったのですが
その夥しい犠牲の結果
産まれたはずの「国際秩序」は
不気味な音を立てて、崩れていってます。