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物を大切にするということ
武蔵野大学のアントレプレナーシップ学部の学生さんに、自然教室の発表者の指導を放課後1時間やってもらいました。
プレゼンの本質や工夫すべきポイントを教えてくれたのだけれど、自分にとっても勉強になりました。
有名なプレゼンターは、たしかにそうだなって。
というか、素晴らしいプレゼンのデータを取ったという感じなのかな。
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本日、息子の靴が片方だけなくなりました。
よくよく聞くと、靴を脱いだ状態で公園で友達と遊んでいたら、靴を蹴ったり、投げたりする遊びに発展してしまい、靴が見つからなくなったのだそう。
息子には、自分と妻があなたに靴を買ったのは、足を怪我しないように買ったものであって、お友達に蹴られたり、投げられたりするために買ったのではない。そして、物を大切にしなければならないということを伝えました。
妻と息子は一生懸命に探したそうですが、草が生い茂っていてなかな見つけられなくて断念したそう。自分は意地でも見つけれやろうと思っていたので、18時に帰宅してから45分間探して発見することができました。
これは自分の中で大切なことだと思っています。
それは、物を大切にしてほしいという感情と同時に、その物が手元に届くまでに多くの人が絡んでいることを知ってほしいからです。
なんでもそうですが、1つの物には多くの人が関わっています。
靴一つにしても、デザインをしている人、靴をつくる材料に関わる人、靴を購入したい人の手元に届ける人、靴を買う人、きっと自分が理解できていないほどの人が関わっていると思います。
物を粗末にする行為は、その人たちの仕事をぞんざいに扱っているということと同じです。
それって、みんな幸せかって言う視点で考えたらそうじゃないと思うし、「靴を作るのに関わってきた人がわからなければ良いでしょ?っ」ていう隠蔽体質にもなりかねないなと思っています。
以前紹介した、パワーストーンを購入したキャサリン氏にも、あなたは物事を難しく考えすぎだと言われましたが、こちらはゆずれません。笑
だから、部活動でもボールがなくなったら見つかるまで意地でも探させるし、物がなくなっても放置する指導ってのはナンセンスだなと思っています。
最後に感じたのは、自分の息子以外にもこの感覚を伝えたいのだけれど、伝える手段がないということ。
昔は連絡網があって(今日遊んでいた子は、息子と同じクラス)、なにかあれば連絡できました。
ですが、今は個人情報の観点で、連絡網を作っている学校はほとんどないと思います。
個人情報のために、身近な子どもたちに大切な指導ができなくなって、多くの人がその子に伝えたい思いを学校に伝えること(ご指摘という形で)によって、学校の先生の負担が増えるのだろうなとも思いました。
世の中がよくならない循環になっているなと思います。