生成AIにおける批判について
本日、オンラインで未来の先生フォーラムに参加しました。
五日間、超有名人のお話が聞けるので、非常に勉強になります。
生成AIにおける批判
生成AIにおける批判はいろいろあります。
子どもたちが思考するのをやめてしまうとか、考える力がなくなってしまうとか、トラブルがあったときの責任の所在が曖昧とか…。
でも、その中でよく聞くのは読書感想文などの「各種コンクールの作品やレポート・小論文など」をAIを使って提出するなどの問題です。
これについての、東京学芸大学附属小金井小学校の鈴木秀樹先生のお話が非常に面白かったです。
鈴木秀樹先生のお話(多少ニュアンスが異なるかもしれません)
「各種コンクールの作品やレポート・小論文など」❌生成AI➡️提出
は不適切であるが、そもそも、
「各種コンクールの作品やレポート・小論文など」
の取り扱いが不適切なのでは?というものでした。
確かに、「各種コンクールの作品やレポート・小論文など」の取り扱いは、結果して見ていない。
本来大切にしなければならないのは、
「各種コンクールの作品やレポート・小論文など」を作成するまでに行った「読む」「考える」「理解する」「感じる」「交換する」「評価する」
である。
制作物を作成したいと思うのが大事
基本的に、「やりたいことをやる」という文化は教育の世界ではほとんどなく、「やらせる」という文化が残り続けている。
だから、不適切な方法で提出物を提出する問題が起きたり、「読書感想文なんて生成AIがパッと書いてくれるのに、どうして自分で書かなければいけないの?」という疑問が出てくるのだと思う。
「この本を読みたい」「本を読んで感動したい」「感動を伝えたい」という背景を作っていけば、上記の問題は起こり得ない。
その背景を作るサポートをするのが教師の仕事なんだろうなと感じる。