外向き思考の子どもの育成
昨日、練習試合がありました。
チームの勝利ではなく、個人の育成に全振りしていて、自分がかつて大きな衝撃を受けたチームです。
そのチームと出会ってから、同様な考えを持っているチームがあることを知り、色んな人と関わる機会が増えました。
久しぶりにそのチームの指導者の方にお会いしたら、これまで関わってきた当時の中高生や選手がどんどん進化してることを聞きました。
ブラジルのプロの一部リーグに所属していたり、クロアチアに行っている選手もいる。
高校在学中にドイツに行ってた子もいたみたい。
その他にも海外に出ている選手はたくさんいました。
すごい外向きの思考で、通常だったらあまり出会わない子どもなのかもしれません。
さて、その外向きの思考がなぜ作られるかを考えてみたいと思います。
確実に言えることは、大人が天井を作っていないということです。
個人のスキルアップに力を注いでいるサッカーの指導者を見ていても、外向き思考になっている子どもは、あまり制限がされていなくて、自由度が高い環境でプレーしていることが多いです。だから、自分なりに考えていろいろ挑戦します。大人は口うるさく言いませんが、もちろん礼儀とかその辺のことはしっかりしていて、なんでもOKってわけじゃありません。
一方で、旧来の教育を施している学校の先生は、先生が目指すべきだと思った方向へ(先生だけの意見)、生徒をまとめることが大事だと思っているような気がしています。ここで、自由度が制限され、挑戦しようとする気持ちが削がれていってしまうことが多いです。
また、外向きの思考の生徒は自分の意見をズケズケ言うので、旧来の教育を施している学校の先生は、そういう生徒をダメな例として扱ってしまうことが多いです。
ここで大きく差が開いてしまい、小学校一年生まではどの国も同じような子どもだけど、小学校を卒業する頃には日本人になっているとよく言われる原因になっているんだろうなと思います。
これは、スポーツ界だけではない問題で、日本は人口が少なくなっているから、どの業界でも海外に目を向けなければならなくなっています。
日本は島国なので、他の国より外に目を向ける意識がないかもしれません。
また、教員は自分の存在意義を確かめるために、生徒に頼られる存在でありたいと思っている人も少なくありません(というか、圧倒的にそういう人が多い)。自尊心は、人が生きていくためには必要な感情なのですが、本当はあなたが存在するだけで、存在意義があることを知っていなければいけないと思います。
そうじゃないと、「私がいるから生徒が成長できる」→「私がいないと生徒は成長できない」→「誰かがいないと成長できない子どもの育成」になってしまいます。
子どもの成長に関わる環境にいる大人は、肝に銘じていなければいけないなと思います。