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3.投資と投機(ギャンブル)〜投資に勝った、負けたは存在しない

投資と投機の違い


「投資とは、詳細な分析に基づいたものであり、元本の安全性を守りつつ、かつ適正な収益を得るような行動を指す。そして、この状況を満たさない売買を投機的行動であるという」
(1934年に著した証券分析 ベンジャミン・ブレアム、デビッド・エルドット、シドニー・コトル、チャールズ・タサム著)

この定義に基づくならば、詳細な分析をせず、元本の安全性も守られず、適正な収益を得られるかどうか分からない(つまりリスクが大きい)ものは、投資ではなく、すべて投機、と言う事になります。
前述の定義は昔の文献からチョイスしていますが、投資と投機の定義は今もこれとほとんど変わりません。

よくお金の世界で勝った、負けたと表現する場合があります。
その場合は、ほとんどが投機、つまりギャンブルに対してです。
投資に対しては、「勝った、負けた」は本来存在しません。
株式投資に対しても、勝った、負けたと表現する人がいますが、それは本来投資であるはずの株式投資を、自ら投機にしてしまっているからだと言わざるを得ません。

投資をギャンブルにしてしまっている?!


現在新NISAにより国を上げて「投資」が促進されています。
確かに器は用意されました。
が、その器に料理を盛り付けるのは国民一人ひとりの手にかかっています。
料理のレシピは、料理のプロまたは詳しい人から学んだものでしょうか。
それとも自己流でしょうか。

投資家である国民一人ひとりは、詳細な分析をしているのかと聞かれたら、どうでしょうか。
もし、詳細な分析をせずに、他人の言われるままに、投資信託や株などを買っているとしたら、それは投資とは言わず、投機、つまり利益が出るかもしれないけれど、損失する可能性も同じくらい秘めていると言うことを認識しておかなければなりません。

乱暴な言い方をするならば、投機は「ギャンブル」です。
決して投機が悪いなどと言うつもりはありませんが、「愚かな投機」と言わざるを得ない行為は以下の3つだと言われることがあります。
・投資と勘違いした投機
・娯楽としてではなく、真剣にかつ適切な知識も技術も持たずにする投機
・リスクを許容できないほどの金額をかけた投機
(「賢明なる投資家」より)

つまり、投機と分かって投機を行うならば良いのでしょうが、投資と投機の違いも分からずに、結果的に投機になってしまうことは愚かな行為であると言う事になります。

投資は将来の成長に対して行うもの


よく、投資は資産に投じる、投機は機会に投じる、と言われます。
僕は、投資とは、将来付加価値を生み出すものに自分の資金を投じることだと考えています。
株式投資はまさにそうですよね。
その会社の商品やサービスといった、将来付加価値を生み出すための資金を投資家が投じるわけですから。
そして付加価値を生み出すという確固たる根拠も必要です。

例えば、
「この会社はこのような商品開発をする。その商品はこのような人たちの役に立つ。必ずや将来世の中に広く普及するだろう」
そう思えるものがあるのであれば、その将来生み出される見込みが立つ付加価値に対して資金を出す。この行為こそが、投資です。
感情や勘で投資はできません。

それに対して「投機」は、付加価値を生み出すものに資金を投じるわけではありません。
投機は、値動きに対して資金を投じること、それはいわば単なる取引です。
その値が上がるか下がるか分からないけども、それが投資だと思い込み「えい!」と大事な資金を勢いに任せて投じてしまうのは愚の骨頂です。

投資を投機(ギャンブル)にするもしないも、我々自身がお金の勉強をするかしないかにかかっています。

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