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[102]無理やり仲直りさせても仲良くならない

今回は、子ども同士では日常茶飯事である
(と思われる)ケンカのことを
お話できればと思います。

と申しますのは、今読んでいる本
「勉強するのは何のため?」(著者;苫野 一徳 氏)で、
少し興味深いお話が出ていたので、
ご紹介しようと思ったのです。

そのお話というのは、
19世紀ロシアの大文豪トルストイのことです。

トルストイといえば、
「戦争と平和」があまりにも有名ですが、
今日はそのことではなく、
氏が作られた学校について触れてみたいと思います。

トルストイが学校を作ったということ自体、
今まで知らなかったのですが、
氏が作った学校では、
子ども達の自由を十分に認めていたそうですね。

例えば、子ども同士のケンカで
つかみ合いをしたり、
口論をしたりします。

やがて十分にケンカをした後
「もうこの辺が潮時かな」
とお互いにどこかで折り合いをつけようとする
と氏は言います。

そして、お互いに相手のことを認め合う
「相互承認」の機会を作ろうとするのです。
子ども達は、その力を持っているのです。

でも教師や大人は、このような場合には、
ケンカの途中ですぐに2人を引き離し、
無理やり仲直りさせようとしてしまいがちですよね。

それはかえって逆効果で、
本人達が納得するまでケンカをすることができなかった子ども達は、
お互いに憎しみをつのらせることになります。

つまり大人のそういった
“余計なお世話”的な対応は、
子ども達のお互いを認め合うという力を
発揮する場を奪うことになると
トルストイは言うのです。

たまたまですが、このメルマガでも、
ボクの幼少期に起きた
友達との殴り合いのケンカについて、
ご紹介しました。

83.「生きる力」は体験・経験から学ぶ

その時に見ていたボクや友達の母親達は
ボクらに思う存分に
つかみ合い・殴り合いのケンカを
させてくれました。

その友達とは、中学3年でボクが転校するまで、
一番仲の良い友達の1人でした。

もし母親達がボク達のケンカに
無理やりに割って入って
仲直りさせようとしていたら

ケンカは途中で止まったかもしれませんが
ボクとその友達は、
お互いにずっと恨みつらみを抱きながら
暮らして行くことになったのかもしれません。

子ども同士を仲直りさせたいと
大人がそう思うのであれば、
最初から介入するのではなく
子ども達自らが納得して相互承認する機会を
奪わないでいたいものです。

大人はその見極めをする役割ではないかと思うのです。

トルストイが作ったという学校、この目で見てみたかったです。




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子どもの“しあわせ力”向上委員会 〜教育・子育て3分間ラーニング〜

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